[今月のエッセイ]
社会的要請に基づく医療
現代社会の生活環境は昔に比べて劇的な様変わりを見せ、便利になった反面、子どもたちが生き辛くなっていると感じる。30年前、ようやくPC、携帯電話、電子メールが少しずつ使われ始めていた。IT(情報技術)という言葉が使われ出した2000年頃からの進化はすさまじく、高齢者がついていけず「情報弱者」という言葉が生まれた。
この30年間の変化のプロセスを経験して成長した保護者と、今現時点の生活環境を人生の起点とする子どもたちとでは当然その心身発達に及ぼす因子の質量ともに大きく異なるはずである。特に、スマホを中心としたIT機器の普及は若い世代の夜更かし型生活を助長し、その在り様は保護者たちの子ども時代とは比べものにならないのが当然であろう。
私は、小児科医として、神経や筋肉疾患を専門に診療・研究に明け暮れていたが、1984年、小児発達学講座(熊本大学)を主宰することになった。その直後から、ちらほらと「学校に行かない」子どもたちが保護者に連れられて受診し始めていた。「何故、学校に行かないの?」―― この関心が抑えられなくなった。自傷行為を伴う者もあり、どうしてこのようなことになるのか、疑問が更に増大していった。これが、私が不登校問題に深く関わり始めた背景である。
不登校児たちの支援活動を行っている東京シューレを開設した奥地圭子氏によれば、「不登校児たちは学校に行かないで生きる生き方を選んだ」と説明されており、私はこの説に感服して診療にあたっていた。この説明の背景には、幾度となく病院に足を運んでも、検査結果はすべて正常であり、病気とは言えず、いわゆる
現在、私たちの研究成果からは、不登校児の、生理・医学的病態が確認されている。不登校問題については2014年上梓した『子どもの夜ふかし 脳への脅威』(集英社新書)にまとめているので参照していただきたい。不登校児の大半は「
37兆個とされるヒト全身細胞の体内時計の歯車がかみ合わず、睡眠覚醒・自律神経・体温調節・ホルモン分泌など生命維持機能の低下・混乱が生じており、治療困難な現代病である。不登校のみならず、五月病、うつ、Ⅱ型糖尿病、引きこもりなど、現代人の年齢・性を問わず蔓延する生活習慣病の様相を呈している。しかも、その素質の一部は母親の胎内、つまり胎児期に既に作られていることが分かってきた。本書をお読みいただいて、胎児期・新生児期からの体内時計形成に向けた生活リズムの大切さを、感じていただけることを期待する。
私は十数年、生活リズムや睡眠の重要性を伝えるため、睡眠教育「眠育」に取り組んできたが、この臨床的な取り組みは現代社会の要請に基づくと捉えてきた。妊娠中の母親が、赤ちゃんの将来の学校社会生活を意識して出産まで過ごす。そして保護者自身が生活リズムを整えることによって、適切な睡眠の重要性を赤ちゃんに伝える。そうすることで「眠育」は出生前・直後から進められていることになる。
この度刊行した『赤ちゃんと体内時計 胎児期から始まる生活習慣病』では、胎児期に始まる生活習慣病として、発達障害、不登校、引きこもり、Ⅱ型糖尿病、などを解説しており、これらの病態の原因解明、治療・予防法開発は、現代社会が私たち医療従事者に強く要請している社会的問題と理解している。世代や、価値観が如何に違っても、命を大切に思うバランス良い脳の働きはヒトとして欠かすことはできない。そして、それは、適切な概日リズム体内時計形成と、そのリズムを守る日常生活に依存することを皆様にお伝えしたい。
脳機能のメンテナンスには十分な睡眠が必要であり、それが世代を超えてお互いに理解しようとするゆとりの脳(こころ)をつくるが、慢性的睡眠不足や生活リズムの乱れは人々のこころを
三池輝久
みいけ・てるひさ●小児科医、小児神経科医。
1942年生まれ。熊本大学名誉教授。30年以上にわたり子どもの睡眠障害の臨床および調査・研究活動に力を注ぐ。著書に『子どもの夜ふかし 脳への脅威』等。