[インタビュー]
混乱した世界を
修復するための教科書
アメリカ合衆国元大統領バラク・オバマのメモワール『約束の地 大統領回顧録Ⅰ』(上・下)が刊行されました。北米では単行本・電子書籍・オーディオブックで売上ナンバー1になり、それらすべての発行形態での合計売上数二百十万部を突破(二〇二〇年十二月四日時点)という大ベストセラーの邦訳です。上・下巻合わせて千ページを超える大作ですが、自身の生い立ち、大統領選挙での闘い、大統領就任、そして二〇一一年のオサマ・ビン・ラディン暗殺までの出来事が詳細に描かれています(それ以降の時期は『Ⅱ』として現在執筆中)。
オバマ元大統領は、二〇一六年五月二十七日、現職大統領として初めて被爆地・広島を訪れ、「核兵器のない世界」に向けたスピーチを行いました。その現場にいたジャーナリストの池上彰さんはオバマのスピーチに感激し、自ら翻訳を手がけています(『きみに聞いてほしい――広島に来た大統領』翻訳・池上彰/画・葉祥明、徳間書店)。
本書の刊行を待ち遠しく思っていたという池上さんに、お話を伺いました。
聞き手・構成=増子信一
赤裸々に綴られた世界各国の首脳評
─ オバマ元大統領が回顧録を出すというのは、かなり早くからご存じだったのですね。
ええ。退任後間もなく、アメリカの大手出版社がオバマ氏とミシェル夫人の二人の回顧録の世界出版権を獲得したと知って、まだ出ないのか、まだ出ないのかと、ずっと楽しみに待っていたんです。でも、いざ現物を目にしたらなんとも分厚い二巻本。なるほど、こんなに分量が多ければ、それは時間がかかるわなと思いました。
欧米の政治家は退任後に回顧録を書く人が多いのですね。たとえばイギリスですと、チャーチル、サッチャー。ニクソン、レーガン、クリントンといったアメリカの歴代の大統領も書いていますが、あの息子のほうのブッシュ(ジョージ・W・ブッシュ)も書いている。きっと自分で書いたのではないだろうとは思いますけど(笑)。
それらリーダーたちが回顧録を書くのには二つ意味があって、一つは、自分が在任中に何があったのかをきちんと記録に残すという歴史的な責任です。もう一つは、「私はこんなに頑張ったんだ、こんな立派なことをしたんだ」という印象を残しておくための自己アピール。
後者の場合は、本当にそうなのかと、ちょっと眉に唾をつけながら読むことが必要なのですが、歴史的責任ということでいえば、日本の政治家はそれをまったくやらない。やらないどころか、総理大臣のあいだに見聞きしたことをすべて墓場まで持っていってしまう。本当にこれは情けないことだし、残念なことだと思います。
もし日本の総理大臣に、辞めたら必ず記録を残さなければいけない、回顧録を書かなければいけないという義務感、責任感があったら、日頃の言動がもう少し違ってくるのではないか、あるいは、公式な記録を破棄したり
─ お読みになって、印象に残ったところは?
まずは、大統領の引き継ぎの場面ですね。当然のことながら、オバマはそれまでのブッシュ政権のことをずっと批判してきたわけです。その批判してきた者をブッシュが快くホワイトハウスに招き入れて、いろいろな引き継ぎをする。オバマにしてみると、ブッシュ大統領は自分に対して複雑な感情を持っているのだろうけれど、それを露ほども見せずに、本当に優しく丁寧に、つつがなく引き継ぎが運ぶように最善を尽くしてくれた。だから「自分が退任するときにも同じように後任の大統領に協力することを心に誓った」わけですね。
事実そのとおり、トランプに対してはいろいろな思いがあるけれど、オバマはちゃんと引き継ぎをした。ところが、そのトランプは何もやろうとしないどころか後ろ足で砂をかけるようなことをした。こういうところは、今だからこそ新しい読み方ができると思います。
それから非常に印象に残ったのは、オバマの世界各国の首脳に対する批評で、「えっ、こんなに赤裸々に書いちゃっていいの?」というくらい面白かったですね。
たとえば、ドイツのメルケル首相については、「知れば知るほど
その他、ロシアのメドベージェフ大統領、プーチン首相、サウジアラビアのアブドラ国王(いずれも当時)などについても興味深い評がなされています。ところが、日本の政治家はわずかに鳩山首相(当時)が出てくるだけです。日本に対しての関心が少ないのか、あるいは日本の国際的な存在感が希薄なのか。いろいろなことを考えさせられます。でも、当時の天皇と皇后(現在の上皇、上皇后)のお二人に対しては実に敬意を払い、非常に高く評価しているので、ここでちょっと救われるのですけどね。
「広島スピーチ」を間近で聞いて
─ 今回の『大統領回顧録Ⅰ』には出てきませんが、二〇一六年の「広島スピーチ」を翻訳されていますね。
私はかつてNHK広島放送局の呉くれ通信部に三年間勤務していました。被爆者が一番多いのは広島市で、二番目が長崎市、三番目に多いのが呉市なんです。アニメ映画にもなった漫画『この世界の片隅に』の舞台が呉ですが、最後のところで、広島の原爆の爆風で呉の町にいろいろなものが飛んでくるというシーンがありますね。あのとき、広島が大変なことになっている、助けに行かなくてはといって、大勢の人が呉から原爆投下直後の広島に入っているんです。入市被爆というのですが、これによって多くの呉の人たちが被爆したわけです。
私が通信部にいたころは、すでに被爆者の方たちは高齢化していて、被爆二世の人たちが結婚適齢期を迎えて被爆三世の子供たちが生まれてくるという時期でした。当時は被爆二世に放射能の影響がどこまであるのかが医学的にはっきりしていなかったので、ちょっと病気になったりすると、これは親の被爆のせいではないか、新しく生まれてくる自分たちの子供は大丈夫だろうかと不安になる。そうした二世の人たちも含めて被爆者の方々の取材をしていました。
その取材をしているときに、みなさんと話していたんです。アメリカは原爆を落とした責任を認めようとしない。でも、この被爆者の苦しみをなんとかアメリカの人たちにも分かってほしい、アメリカの大統領が来てくれるといいよね、って。これはその後のことになりますが、スミソニアン博物館で原爆を投下した爆撃機エノラ・ゲイが展示されるときに被爆の被害を取り上げようとしたら、アメリカ国内から強い抗議の声が上がったように、責任を認めてきませんでした。
オバマが広島の平和記念公園で演説をしたとき、私はテレビ東京のロケで、演台から百メートルほど離れたところで聞いていました。隣にはお笑い芸人のパックン(パトリック・ハーラン)がいて、演説が終わったところで、パックンから「どうでした?」と聞かれ、「もう亡くなってしまった被爆者の人たちにこれを見せたかった」と言っているうちに不覚にも涙が出てきてしまいました。それだけでも大統領としてのオバマを高く評価していいと私は思っています。
今回の本には残念ながら広島スピーチについては出てきませんが、二〇〇九年の核兵器の削減と究極的な廃絶を訴えた「プラハ演説」の思いは出ています。これによって、北朝鮮とイランの核開発問題に取り組むためには、自分たちも核兵器を減らさなければいけないんだという思いがあったことが分かりますが、やはり、広島を訪れることになった経緯、演説の内容がどうやって出来上がったのかを、早く次の回顧録(『Ⅱ』)で読みたいと思っています。
─ 二〇二〇年八月の日付が記された「はじめに」には、「今回のパンデミックは世界が互いにつながり合った状態へと容赦なく移行している証拠」で、この本は世界をもう一度つくり直すための、若い世代へ向けての招待状であると書かれています。
トランプ政権下の四年間で、アメリカ国内では分断が進み、国際情勢は、アメリカ・ファーストということでひどい混乱が起きてしまいました。バイデン政権の下、これから四年間かけてそれを修復していくわけですが、修復するためにはどうしたらいいのかを学び、知るためにも非常に読む価値がある本です。ある意味では、オバマが次世代に向けた遺言だともいえるでしょう。
またこの本には、力強い理想が謳われています。最初、ミシェル夫人はオバマの大統領選出馬に反対するわけですが、「僕が右手を挙げて、合衆国大統領への就任を宣誓したその日から、世界はアメリカをこれまでと違う目で見始めるだろう。国中の子どもたちが、黒人の子も、ヒスパニックの子も、周囲になじめないでいる子どもたちもみんな、自分自身を新しい目で見つめはじめるだろう」という言葉を聞いて納得する。
もちろん、オバマにも野心や権力欲があったでしょうけれど、こういう理想があったんだということがこの言葉で分かります。事実、オバマ大統領が誕生したことによって、本当にアメリカが変わった、世界はいい方向に進んでいるのではないかと、私たちは信じることができた。実際には、その後の四年間で、歴史は真っすぐによくなるわけじゃない、後戻りしたら大変なことになるということを私たちは知ることになるわけですが。しかし、それでも理想に向かって全力で突き進んでいくことがとても大事なんだと教えてくれるし、勇気も与えてくれる。
トランプによって翻弄された四年間でしたが、これから改めてアメリカの政治、国際情勢はどうあるべきか、あるいはリーダーはどうあるべきかを考える上で、この本は良き教科書になると思います。
池上彰
いけがみ・あきら●ジャーナリスト。
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。報道記者や番組キャスターなどを務め、2005年に独立。名城大学教授、東京工業大学特命教授など、9つの大学で教鞭をとる。著書に『私たちはどう働くべきか』『これが「日本の民主主義」!』等多数。