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対談/本文を読む

第164回芥川賞候補作、第44回すばる文学賞受賞
木崎みつ子『コンジュジ』
川上未映子さんとのすばる文学賞受賞記念対談
『コンジュジ』は子どもの地獄めぐりを描いた
2020年の『ライ麦畑』

[対談]

川上未映子×木崎みつ子
ラストシーンの破格の美しさ
これは二〇二〇年の「ライ麦畑」で「フューリーロード」

十一歳の少女が、深夜のテレビ番組で偶然見かけたイギリスのロックスターに恋をした。その恋の妄想は、以来、父親から性的虐待を受ける少女の唯一の緊急避難場所となった。少女の地獄はいつまで続くのか── 性的虐待被害者のサバイブな物語を見事な構成と独特なドライブ感で描き出した木崎みつ子氏の『コンジュジ』が、第四十四回すばる文学賞を受賞、そして、第一六四回芥川賞の候補作にノミネートされた。
すばる文学賞の選考委員としてこの作品に最高点を付け、その技術やポテンシャルの高さに心底感心したという作家の川上未映子氏と著者との対談を通して、改めてこの作品の魅力に迫ってみたい。

構成=宮内千和子/撮影=山口真由子

※本対談は2020年11月20日に帝国ホテルにて行われました。

選考よりも、忘れられない
すごい作品を読んだ感じ

川上 まずは、すばる文学賞の受賞おめでとうございます。木崎さんの『コンジュジ』は、私は最高点を付けて臨みました。受賞がかなって本当に嬉しいです。

木崎 ありがとうございます。

川上 小説の選考については、選考委員によってそれぞれ基準があると思うんですが、私は当然のことながら、自分の好き嫌いや、テーマへの共感などはいっさい関係なく、その作品が作品の中で目指しているものをどれぐらい達成しているか、そして、その強度を基準にしています。『コンジュジ』は本当に素晴らしかった。この小説が向かうべきところに細部が全力で資している。このテーマに対して、丁寧に構築された読みやすい文体が見事に奏功しているし、緊張と笑いのバランスも絶妙。全体の強度が非常に高い。何より、この書き手は相当にタフだなと思いました。このタフネスさは異様だなと感心してしまって。

木崎 恐縮です……。

川上 性暴力を扱ったつらい内容でもあります。書き手は常にどこに立ってそれを書いているのかが問われますが、誰も傷つけない方向で最適解を出していくというのではない、「社会的な正しさ」ではない倫理が、作品じたいに感じられました。今でも選考したという感じがしないんですよ。とてもいい小説を読んだなという印象です。最後のシーンは掛け値なしに素晴らしいですね。選評にも書きましたが、詩も散文も含めて言葉が描くことのできる、最良の場面のひとつだと思います。
 これを書くのに五年かかったと聞いていますけど、どんなふうに書き進められたのですか。

木崎 五年といっても、タイトルを決めて、冒頭の部分を書いただけで、それ以降四年間はまったく書けませんでした。家族間の性暴力のことを書こうと決めてから、被害当事者の方が書かれた本を読んだり、性的虐待事件を描いた映画を観たりしていました。ほかにも、新聞やネットニュースなどで性暴力の報道を見るのも日課にしていました。でも、どのように書き進めていけばいいのかわからなくなるばかりでした。執筆中の多くの時間を「安易に書くくらいなら何も書かないほうがいい」と思って過ごした気がします。今でも自分が扱っていいテーマなのかという迷いはありますが、作品を書いたからには言い訳はできません。長い間自分の中にあった問題を、じっくりと考えられる時間があったことはよかったと思っています。

川上 書き始めたのはいつ?

木崎 四年間考えて、最後の一年間で書いていたという感じですね。

川上 一年で何枚の小説を?

木崎 二二〇枚くらいです。

川上 難しい枚数ですよね。

木崎 人に読んでいただく際の適切な枚数というのがよくわからなかったんですけど、これぐらいなら大丈夫かなと。

漫画家になりたかった
少女時代

川上 今四年間悩んで書けなかったとおっしゃったけれど、必要な時間だったのではないかと推察します。当事者がいる、つらい体験や状況を書くときの距離を書き手が理解して実際に書いていくっていうのは、本当に難しいんですよね。でもね、この作品は、いわゆる適切な距離、正しい距離をとっているわけじゃないですよね。悲惨なことは呆れるくらい日々繰り返されていて、誰もがありふれた被害者のひとりともいえて、感情も、踏みにじられかたも、うんざりするほどおなじ道を辿るしかない。そのことは百も承知で、言葉を積みあげ、木崎さんにしか書けない「たったひとつの、彼女の場合」を書いた。これは難しいことです。新人はとくに── 小説をわざわざ書こうというくらいだから、そこで自分が書こうとしているものの絶対性からスタートします。自分の書こうとしていることには書かれるだけの特殊性があると、その絶対性を信じていて、その思いの強さの一本背負いでやってくる。だから選考では、作品でいかにそれが相対化されているか、ということが作品の技術や強度を測るポイントになってしまう。でも木崎さんは逆で、そういうレベルじゃなかったですね。相対化されたところから始まって絶対化へ向かうんですね。そしてさらに、その先がある。
 また、物語の構造も見事でした。焦点になる女の子・せれなの人生と、リアンの人生。ふたつのプロットを走らせて周到に編み込んでいく。普通の新人は、ちょっと目を引く文体で、どっちかひとつを思い切り書いてしまうよね。あれは別々に書いて組んでいったのかしら?

木崎 はい、そうです。ワードでパートを分けて、せれなの人生は「せれな」というタイトルで、リアンは「リアン」で書いていきました。

川上 リアンのパートを読んでいると「ああ、この作家は、こういう筆致でこういうことを、どれだけでも書き続けられるんだろうな」と感嘆しました。イギリスの音楽シーンやバンド仲間とのやり取りの、あの情報を情報の顔をさせずに読ませる手つき。ひょっとして、少女漫画のすごくいい影響を受けているんじゃないかなと思ったんですが、そのあたりはどうかしら。少女漫画のある種のかろみというか、独特のポエジーがあるように感じたんですけど。

木崎 じつは小学校四年生くらいまでは漫画家になるのが夢で、ノートに自分の漫画を描いていたんです。家には母や姉が買ってきた漫画が常にあって、月刊誌のりぼんもよく読んでいました。

川上 りぼんっていうと、池野こいの『ときめきトゥナイト』とか?

木崎 『ときめきトゥナイト』は母が好きで。

川上 あ、お母様のほう(笑)。

木崎 いえ世代というより、当時私の一番好きだった漫画が、佐々木倫子のりこさんの『動物のお医者さん』で、ああいうドタバタコメディのようなものが好きで自分でも描いていたんです。

川上 割と前の作品ですよね。

木崎 そうです。一九九〇年ぐらいですね。

川上 漫画という表現のどこに惹かれたんですか。せりふとか。木崎さん、絵が上手だったの?

木崎 それがすごい下手くそで(笑)。練習をしていたらそのうちうまくなると思っていたんですけど、まったくダメでした。

川上 下手なのがわかっているのに漫画家になりたかったの、いいね(笑)。それで、文章を書こうと思ったのには、何か契機があったのかしら。

木崎 漫画のほうは、仲がよかった女の子と見せ合いっこしたり、あと、美術の授業の絵も、自分なりに頑張って描いたんですけど、褒められるのはいつもほかの子みたいな感じで……。でも、文章は、小学生のころから、書くと、先生方から褒めていただいて。

川上 なるほど。褒められる体験っていうのは、やっぱ大切なんだなあ。本もたくさん読むタイプでした?

木崎 母が読書好きで、家の書棚には名作と呼ばれる小説がたくさん並んでいて、そこから抜き出して読んでいました。小学六年のとき、その本棚から初めて読んだのが『高瀬舟』です。

川上 小学六年生の女の子が鷗外の『高瀬舟』って渋くない? 私がその年のくらいのとき、折原みととか読んでたよ(笑)。で、『高瀬舟』にはぐっときた?

木崎 重いテーマなのに、すごくきれいに書かれているなと。といって、問題の深刻さは決して薄れさせていない。大人向けの小説だと思うので今はとても好きな作品なのですが、当時読んだときは本当にこんなにきれいに終わらせていいのかという、わだかまりみたいなものが残りました。

川上 小学生でそんなわだかまりを持つの、すごくないですか(笑)。問題の深刻さは維持されている、しかし結末のご都合主義はあまりに怠惰たいだではあるまいか……みたいな。

木崎 それからもっといろんなものを読んでみたいなという気持ちになって、いろいろ読みあさりました。

川上 芥川とか太宰とか、日本の近代小説も?

木崎 そうですね。それもありますし、あとは、「怪盗ルパン」シリーズ。アルセーヌ・ルパンが好きで図書館で借りては読んでいました。

シリアスな場面で発露する倫理

川上 ちゃんとした小説を書いたのは何歳ごろ?

木崎 最初はSNSのmixiになんでもない日常のことをふざけた文章でアップしたりしていたんですけど、友達からそれが面白いと言われて、どんどん書くようになって。二三歳くらいのときに、織田作之助青春賞に二年連続して応募して、最初は二次で、次は三次で落選しました。

川上 今三〇歳? ということは、七年前に初めて小説をお書きになって、文芸誌の新人賞は今回が初めてなのかしら。

木崎 はい。

川上 それでデビュー作がこの作品なのか……。そうだ、リアンのところを書いているとき、どんな気分だった? というのは、端的に文章がすごく巧くて。あんなに巧い文章を書いているときって人はどんな気持ちなのかなって(笑)。楽しんでらっしゃる感じも伝わってきたんですよね。

木崎 楽しかったです。

川上 七〇年代に活躍したバンドという設定になっているけど、モデルはいたりするのでしょうか。

木崎 特定のモデルはいません。もともと海外のロックスターの発言録が好きで、ネットや音楽雑誌の記事とか拾って読んでいたんです。彼らはユーモアのセンスがすごくあるので、よく爆笑させられていました(笑)。作中のバンドメンバーの人物造形には悩みましたが、自分がバンドマンになったような気分で書けて、とても楽しかったです。

川上 独特のユーモアのある比喩も素晴らしいですよね。この感じ、どこかルシア・ベルリンに通じていると思いました。
 彼女はシリアスな場面になればなるほど、笑いというか── 逆方向に作用する力を、すごく繊細に用意するんです。それは緩和させるため、というのでもないし、読者に対する姿勢ということでもないんですよね。自意識も関係ない。なんというか、そこで起きた事件や生まれてしまった感情への、まるで礼儀ででもあるかのような……彼女にはそういう倫理観がある。ルシア・ベルリンの「私は冗談にできることだったら何だって冗談にする」というのは、そういうことだと思っています。『掃除婦のための手引き書』は岸本佐知子さんの素晴らしい翻訳で、昨年(二〇一九年)刊行されたんです。もし未読だったら、ぜひ読んでみてほしいなあ。

木崎 読んでみます。

川上 ルシア・ベルリンが丁寧に用意している逆方向の作用にも似た視線が、この作品の全体に行き届いてる。たとえば、血まみれのせれなが父親の死体を発見したときの描写もまさにそう。「元気いっぱいのサボテンのように両腕を広げて倒れていた」という表現。父の死んだ姿を、せれながそのように見てしまう。それだけで多くのことが表れているものね。

木崎 元気いっぱいのサボテンは、父親に対しての悪意をちょっと込めました。

川上 コメディ本来のふところの深さですよね。そういう表現を読んで、エンターテインの原理的な悲しみが備わっている作者なんだなと思ったんです。本当にタフネスのある書き手だと思います。

破格のラストシーン

川上 なんか私のほうが九割がた話してるね。これもう対談じゃなくてインタビューだってことにしたほうがいいね(笑)。でも、いい作品を前にすると、お話ししたいことがたくさん出てきてしまうんですよね。
 そう……本当に私ね、あのシーン、一生忘れないと思うんですけど、主人公のせれなが、父親が死んでもなお、振り払えない悪夢に対して、覆いかぶさってくる恐怖に対して、来るなら来いとシャベルを握って初めて上向きに寝る場面からあの最後のシーンは、本当にたまらなかったです。普通は候補作って、採点視線で読むんですよね。心にも実際にもペンを持って臨むんです。もっというと、この仕事をしていると読書って行為がだんだんそれに近くなってくるんです。でも、この作品は、純粋な読書になった。どうなるんだろう、どうするんだろう、と思いながら読み進めて、最後にあの場面でしょう。もうまじかよと。なんだよこれ、どんくらいまじやねんと首を振って、涙が出て。本当に胸を打たれました。あのときの感覚、ほんと一生忘れない。
 この小説を読んだ人は、ひょっとすると主人公の妄想だとか現実逃避の対象としてリアンの存在を位置づけるかもしれないけれど、それはまったく的外れです。主人公が言葉で書かれたリアンの伝記を読み、リアンの歌詞に触れ、そして、せれな自身の言語活動でもって、せれなが生きる現実や感情を作っていく、これはどこまでも肉体的なサバイブをこそ描いているんです。それも、世間に流通していて安心して使える概念をひとつも使うことなく。
 さきほど、木崎さんは相対から始まって絶対に向かっていく、そしてさらにその先があると言いましたが、もうひとつ大技が仕込まれていて、リアンの人生に何が起きたのかを段階的に多角度から知るにつれ、別のレイヤーにおける相対化がなされてゆくんですよね。つまり、せれなとリアンを突き詰めることによって個別を超え、今、このときにも地獄を生きているすべての子どもの存在を示し、傷ついた子ども自身が、リベンジの彼方へ、その救済へ向かおうとするんです。しかも綺麗ごとにはならない。無力さを充分にわかったうえで、それでも人が見ざるを得ない風景を提示する。これはもう『ライ麦畑でつかまえて』で、『マッドマックス・フューリーロード』だろうと。感動しました。

木崎 恐縮です。ただ、自分がこういうことを書いてもいいのか、使命感を持っていい人間なのかどうかもわかりませんでしたが、心の奥底では絶対書き切ってやるぞとはずっと思っていました。とくに主人公のせれなが父親に初めて言い返すシーン、絶対に書きたかったです。

川上 『ライ麦畑』はお好きですか?

木崎 はい、すごく面白かったです。

川上 『コンジュジ』は、子どもの地獄めぐりを描いた、二〇二〇年の『ライ麦』だなと思いました。

木崎 とんでもないです、そんな。

川上 ところで『コンジュジ』というタイトルは、ポルトガル語で「配偶者」という意味ですよね。これも、よく効いていますね。

木崎 最初に主人公を結婚させようと思って、そのタイトルにしたんです。でも書くうちにそうはならなくて……。

川上 配偶者、という言葉の多義性がゆらいで、読むたびに変化する絶妙なタイトルだと思います。

木崎 ありがとうございます。選評よりも前に、担当編集者さんから選考内容を少し伺いまして、川上さんが『コンジュジ』について、この作品はナルシシズムの成分がなかった、というふうにおっしゃったというのがすごく嬉しかったです。そこは自分でもこだわったところでして、あまりいい子過ぎる主人公を書いても共感が得られないし、せれなの性格のバランスも考えて、結構模索しながら書きましたので、川上さんにそういうふうに読んでいただいたことが、本当に嬉しかったです。

川上 露悪的に書けばナルシシズムがなくなるかといえば、そういうことではないんですよね。どんなに露悪的に書いても、どんなに客観的に他人のことを書いても、ナルシシズムって出ちゃうんですね。もちろんナルシシズムにもいろいろあって、作品に資するものもあるけれど、だいたいは無自覚に漏れるもので作品の邪魔にしかならない。でも、木崎さんの作品にはなかった。とくに過食のシーンなどには出そうなものなのに、皆無で唸りました。
 次回作の構想はもうされていますか?

木崎 今回は主人公が被害者側ですけど、次は加害者側を主人公にしてみようかなと。

川上 いいですね。

木崎 被害者側になり得る可能性を考える人はたくさんいると思うんですけど、自分が加害者になるかもしれないというふうに考える人は割と少ない気がするんです。自分でさえいつ加害者側になるかわからない。なので、加害者側の心理というか、そういうものを考えてみようかなと。

川上 加害と被害のありかた、その可能性や関係をフィクションでやるのは重要ですね。出来事が起きてしまう前と後。加害者、被害者になってしまう前と後。そのあいだにいったい何があるのか。その猶予めいた時間というのは、自覚するかしないかだけで私たちの人生のすべての瞬間の別名ですものね。
 二〇年代に出てきた書き手の人がこうやって、明確に私はここを書きたいんだと言う。楽しみです。安心して、木崎さんの自由に書いてくださいね。楽しみにしています。

川上未映子

かわかみ・みえこ●作家。
1976年大阪府生まれ。著書に『乳と卵』(芥川賞)『ヘヴン』(芸術選奨文部科学大臣新人賞、紫式部文学賞)『水瓶』(高見順賞)『愛の夢とか』(谷崎潤一郎賞)『マリーの愛の証明』(GRANTA Best of Young Japanese Novelists)『あこがれ』(渡辺淳一文学賞)『夏物語』(毎日出版文化賞)等多数。2017年には「早稲田文学増刊 女性号」で責任編集を務めた。

木崎みつ子

きざき・みつこ
1990年大阪府生まれ。「コンジュジ」で第44回すばる文学賞を受賞。

『コンジュジ』

木崎みつ子 著

発売中・集英社刊

本体1,400円+税

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