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今月のエッセイ/本文を読む

彩坂美月『サクラオト』刊行記念エッセイ
「五感を巡るミステリー」

[今月のエッセイ]

五感を巡るミステリー

「短編小説を書いてみませんか?」
 物語の始まりは、編集さんからのそんなお誘いだった。
『小説すばる』でミステリー小説の特集をするという。テーマは「美しき謎」。
 単純に、面白そう、と思った。しかし実を言えば、私は読むのも書くのも長編が多く、短編の仕事は当時ほとんど経験がなかった。さてどうしよう、と頭を捻る。
 そのとき、たまたま『ローズレッド』と『ホーンティング』という映画を観ていた。どちらも呪われた屋敷を題材にしたホラー作品だ。
 訪れた人が謎の死を遂げる呪われた場所―― それをミステリー短編に仕立ててみたらどうだろう? ふっと、そんなアイディアが降ってきた。
 ミステリー小説の特集号が発売されるのは春だと聞いた。夜桜の下、一組の男女が廃校舎を見上げる場面が頭に浮かぶ。男女の表情にはかすかな緊張と恐れがにじんでいる。なぜなら彼らがいるそこは、過去に複数の人間が不可解な死を遂げたいわくつきの場所なのだ。静かに花びらが舞う闇の中で、二人は互いの推理を口にし合う。
 なぜ、この場所で次々に人が死ぬのか……?
 作品のタイトルは、「サクラオト」。書いている最中はひたすら楽しく、おおむねイメージ通りのものに仕上がった。完成した原稿を送った後、編集さんから再び連絡があった。
「作品、面白かったです」
 そう褒めてくれた彼女が続いて口にしたのは意外な言葉だった。この短編をシリーズにできないか、という。
「たとえば五感を題材にしたミステリーなんてどうでしょう? 『サクラオト』の聴覚を初めとして、視覚、触覚、味覚、嗅覚、それぞれをモチーフに五つの短編を書くんです」
 思いがけない提案に、ぽかんとした。
 戸惑いつつ、けれどその一方で、「なんか面白そうかも」と興味が湧いた。
 何より、「書けません」と答えるのは嫌だった。たぶん編集さんには一ミクロンもそんな意図は無いのだろうが、書き手として試されているような、勝手に挑戦状でも突きつけられたような気持ちになったのだ。
 そうして次に書いたのは、〈視覚〉を題材にした短編だった。家族の危機に際した少女が奮闘する物語だ。一話目が仄暗い雰囲気の小説だったので、こちらは読み味のよいものを、と意識した。
 三話目は〈嗅覚〉を扱った短編だ。中年の主婦が学生時代の親しい友人たちと久しぶりに集まり、思い出話に花を咲かせるが、その数日後にメンバーの一人が命を落とし……というミステリー。残るは、〈味覚〉と〈触覚〉だ。
 ところが、そこでまたしても編集さんから思いがけない提案があった。
「もし五つの短編を全部つなげる仕掛けなんかがあったら面白くないですか? そういうのって、出来ます?」
 意表を突かれた。
 まるで「五つの秘宝を集めてこい」というミッションに挑戦していたら、突然、「実はそれらは魔王を倒すために必要なアイテムだったのだ。さあ、魔王を討伐してくれたまえ」と、より困難な指令を与えられたRPGのプレイヤーになった気分だ。
 困惑しながら、けれど「やれなくはないかも」と考えた。同時に、またもやこう思ってしまっている自分がいた。―― 「なんか面白そうかも」、と。
 時に作者にさえ予想外の方向に進んでいく物語と格闘するのは、苦心しつつもやりがいのある作業だった。いつのまにか、私は五感を巡る物語の冒険を心から楽しんでいた。音を、色を、匂いを、味を、手触りを―― 鮮やかな謎を追う冒険を。
 五感ミステリーのうち四編は、二〇一二年から二〇一八年にかけて『小説すばる』で不定期に掲載していただいた。その頃と現在で、大きく変わってしまったことがある。
 新型コロナウイルスの存在だ。皆が口や鼻を覆って外出することを求められ、誰かに、何かに気安く触れることを制限される。マスクや透明の壁越しに世界と接することは、もはや私たちの日常となりつつある。
 こうなってみて初めて思う。これまで、なんて贅沢に、屈託なく「感じること」を楽しんでいたのだろうと。
 こんなご時世だけれど、だからこそ今、〈五感〉を豊かに織り込んだミステリー小説を出せて良かった。日々はいつだって、新鮮な驚きに満ちているのだから。

彩坂美月

あやさか・みつき● 作家。
山形県生まれ。2009年、『未成年儀式』で第7回富士見ヤングミステリー大賞に準入選しデビュー。著書に『ひぐらしふる 有馬千夏の不可思議なある夏の日』『夏の王国で目覚めない』『僕らの世界が終わる頃』『みどり町の怪人』『向日葵を手折る』等。

『サクラオト』

彩坂美月 著

集英社文庫・発売中

本体580円+税

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