[受賞記念エッセイ]
『逆ソクラテス』に関係する話
伊坂幸太郎
「少年の出てくる短編を集めて、アンソロジーを作りたいんです。少年ものを一つ書きませんか?」
依頼されたのが、二〇一一年頃、今から九年前だ。「子供の話は難しいから、書けないような気がする」と悩みながら、編集者と相談しつつどうにか書き上げてみると、これが意外にも大変お気に入りの短編となった。自分の良さが出た、最高傑作のひとつかもしれないと(自画自賛的に)思うほどだったのだけれど、あくまでもそれは、アンソロジーに収録してもらうためのものだから、それでおしまいと考えていた。それが表題作の「逆ソクラテス」だ。
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「少年たちの出てくる短編をいくつか集め、『逆ソクラテス』も含めて、一冊の本にしましょう」
当時の担当編集者にそう言われたのは、アンソロジーが発売されて少し経ってからだ。その頃の僕は、一冊の本にまとめるために短編を用意するという仕事があまり得意ではなく、とにかく長編を書きたい気持ちのほうが強かったのだけれど、その担当編集者とは常日頃からお互いの子供のこと、子供を取り巻く学校や友達のこと、自分たちが子供だった頃の話などを話しており、「自分たちの子供が小学生の間に本を出しましょうか」と言われると、ああ、そういう本が一冊くらいあってもいいな、とうなずいていた。
とはいえ短編集にするためには、ほかにも短編を書かなくてはならず、それは簡単なことではなかった。別の仕事とのスケジュール的な兼ね合いもあるけれど、一番の理由は、表題作の「逆ソクラテス」を僕がとても気に入ってしまっていることにあった。「あれと並べても遜色のない短編じゃないと嫌だな」という思いが強く、なかなか完成させられなかったのだ。結果的に、五作全部が揃うまでにはずいぶん時間がかかり、僕の子供も担当編集者の子供も小学校を卒業してしまう。
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「ちょっと待ってください。今まではどういう気持ちだったんですか」
インタビュアーが訊ねてきたのは、今年、『逆ソクラテス』の取材を受けた時だ。僕が、「この本は初めて、大勢に読んでもらいたいなと思っているんです」と言ったため、「今までは、大勢に読まれなくて良かったの?」と疑問に感じたからだろう。
もちろん大勢に読まれなくて良い、と思ったことはない。ただ、僕の小説は嗜好品のようなもので、「好きな人は好きだろうけれど、そうではない人にとってはどうでもいい」タイプのものだと思っていたため、心のどこかで、「僕と同じような感覚の人が楽しんでくれればそれでいいのかな」という思いがいつもあった。そんな中、『逆ソクラテス』に関しては、「どんな人でもいいから、たくさんの人に読んでもらいたい」と完成前からずっと感じていた。編集者とも会うたびに、そういう話をした。物騒な話でもなければ、奇抜な設定もないものだから、読者を選ぶような癖がない、ということもあるけれど、それ以上に、自分の少年時代や、子供と過ごしてきた中で、「こう考えられれば良かったのではないか」「こうだったら良かったな」と感じてきたことを書いているために、みなと共有したい気持ちが強かったのかもしれない。
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「私も、『自分はそうは思いません』と意見をはっきり言えるようになりたいです」
これは『逆ソクラテス』を発売した後、読者からの感想に書かれていた言葉だった。表題作の中に、「僕はそう思わない」という台詞が出てくるのだ。おまえにはできっこない、と決めつけてくる相手に対し、「そうは思わないです」と抵抗したい、という気持ちから書いた文章だったが、そのことをその読者も受け止めてくれたのだろうから、ありがたかった。
ただ、ふとそこで、次のような場面が頭をよぎった。
友達数人で楽しく、「やっぱり夏は海だよね」
「海に行きたいね」「今度行こうか」とわいわいやっている中、突然、誰かが、「いや、私はそうは思わないよ。夏は海と決まっているわけでもないでしょ」と言い放つのだ。
まわりの意見や決めつけに迎合せず、自分の意見をはっきりと言う、という意味では確かにこれも、「そうは思わない」を唱えた一例といえるかもしれない。
けれど、僕が求めていたものとは少し違う。どちらかといえば僕は、調和を乱したり、自分の意見をはっきりと表明して、「どうだ、言ってやったぞ」と鼻息を荒くするタイプの人間があまり得意ではないのだ。
作者の手を離れた後は、その小説を読者がどう解釈しようが、どうにもならない。それについて、いちいち、「そういう意図じゃないんですよ」「ここはこう解釈してください」と説明するのは、言い訳がましいうえに、自分の力不足を認めるようで恥ずかしい。ただ、一応、こういう場をもらったのだから、そのことについて、非常に恰好悪いことだとは自覚しつつも、少しだけ補足しておきたい。
僕が抵抗したかったのは、自分のことを低く見積もってくる、根拠のない断定に対してだった。家族のことであったり、趣味のことであったり、真剣に打ち込む仕事のことであったり、そういった自分の大切なものに対して、「劣っている」「価値がない」と決めつけられることがあるかもしれない。そのような時は面と向かって反論する必要はないのだけれど(場の雰囲気を乱すのは良くない)、心の中で、「自分はそうは思わないよ」と念じるべきではないか、少なくとも、「言われたからにはダメなんだな」と無条件に受け入れてはいけない、と思いたかった。
たとえば僕の場合(スケールの小さな話で申し訳ないのだけれど)、自分の大好きな映画監督の作品が、偉そうな評論家に
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「おまえは嫌じゃないのか?」
小学四年生の時だ。担任になったばかりの磯崎先生が、僕に訊いてきた。当時、僕はニックネームで呼ばれており、授業中に誰かが僕を呼んだことで気になったのだろう。特に悪意のある
伊坂幸太郎
いさか・こうたろう●作家。
1971年千葉県生まれ。東北大学法学部卒業。2000年『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。04年『アヒルと鴨のコインロッカー』で第25回吉川英治文学新人賞、「死神の精度」で第57回日本推理作家協会賞(短編部門)、08年『ゴールデンスランバー』で第5回本屋大賞・第21回山本周五郎賞を受賞。著書に『重力ピエロ』『終末のフール』『AXアックス』『シーソーモンスター』『クジラアタマの王様』等多数。