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自分が自分であることの痛みと価値
物語の主人公・ダリウスの父はアメリカ人で、母はイラン人だ。本人はアメリカしか知らずに生まれ育ち、ペルシア語はほとんど話せない。にもかかわらず、たちのわるいクラスメイトからは時々「テロリスト」呼ばわりされたりする。心から気を許せる友達はいない。じゃあ家族はというと、これもまたちょっと複雑。ルックスも性格も自分とは違いゲルマン的で超人じみている父は、期待に応えられない息子に対して最近はいつもがっかりしているように見える。天真爛漫でお兄ちゃん子の妹はマジで可愛いけれど、なんでも器用にこなして周囲を笑顔にさせる姿に劣等感が搔きむしられるのも事実だ。
ある日、家族と共に初めてイランを訪れることに。自分が患っている鬱病をただの「落ち込み」と見なされたり、割礼していないペニスをからかわれたり、ダリウスは、自分の「イラン人らしくない」姿にまつわる新たな誤解と無理解の視線に苦しむ。だが半面、これまで目にしたことのない形の愛情表現を受けるうち、自分に見えていなかったものがあることにも気づいていく。
周囲からの理解を望めなかったダリウスは、自分の良いところを自覚できず、何事も「一歩手前」で引いてしまう。でも、ダリウスの思慮深さはのちに親友となる異教徒のソフラーブの心の救いとなるし、繊細さと優しさは病気に苦しむ祖父を見守る祖母の心を癒す。なにより、おいしいもの(
自分が自分であるということ。本書はその痛みを否定しない代わりに、その重さを色とりどりの価値へとみごとに変えてくれるのだ。
倉本さおり
くらもと・さおり● 書評家