[今月のエッセイ]
物語と一緒に歳を重ねること
二〇二一年一月に映画公開が決まっている僕のデビュー作『名も無き世界のエンドロール』ですが、単行本の刊行は二〇一三年三月でして、いつのまにやら八年近くが経ちました。毎年毎年いろんな困難に見舞われつつ、最近になってようやく小説を書くことにも慣れてきたのですけれど、ここにきてまた新たなチャレンジをさせていただくことになりました。なんと、「続編」でございます。
僕は基本的にずっと一冊完結の物語を書いてきたのですが、今回刊行された『
本作は、前作『名も無き世界のエンドロール』から約五年後が舞台となっておりまして、前作主人公である「キダ」は、三十一歳から三十五歳になり、もうじき三十六歳になろうとしています。立派なオジサンですね。三十代後半といいますと、まだまだ若いつもりでいても結構体にガタがきはじめるお年頃ですし、社会の中で揉まれ、結婚や出産、挫折や成功を経験しながら大人としての輪郭がはっきりしはじめる年齢じゃないかと思います。僕自身、三十代前半でデビューして、いつの間にやら四十代のいい大人になりました。刊行当時に『名も無き~』を読んでくださった方も、随分大人になられたことでしょう。
最近たまに、僕はデビュー作で何を
『彩無き世界のノスタルジア』で描かれるのは、当時、僕が漠然と思い描いていた前作主人公の「その後」の物語です。そもそも、映画だったりゲームだったり、多くの創作物における「続編」は、前作を
若者が大人になっていく段階では、ある種の「縮小」がおきるのではないかと思います。無鉄砲さを失い、一度広げた世界を少しずつ狭め、自分が築き上げてきた居心地のいい小さな世界に腰を落ち着けようとする。それは加齢という悲しい現実かもしれませんが、同時に、成熟という変化でもあります。失うこと、手放すこと、切り捨てることで得られるものもあるということに気づき始めるのが三十代後半という年代であり、本作におけるキダの立ち位置です。僕はあまり自分自身を作品や登場人物に投影することはありませんし、主人公・キダも、僕とは似ても似つかない性格のキャラクターではありますが、キダの視点やものの見方は、前作も今作も、執筆時に僕自身が見ている世界と近いように思います。『彩無き~』では、四十過ぎのおじさんへと成長した僕の視点や価値観を反映するように、キダもまた、「あの頃」とは違った視点、価値観で世界を見始めています。そして、『名も無き~』の物語をもう一度、再解釈しようとするのです。僕と一緒に。
今作では、そんな少し大人になったキダの前にひょんなことから十一歳の少女が現れ、物語が始まります。前作は、二度読みすることで一つ一つのセリフやシーンの意味が変わってくるような作りにしましたが、今回は、前作を読む前と読んだ後で、セリフや風景の印象が変わると思います。すでに『名も無き~』を読んでくださった方も、『彩無き~』から入ってくださる方も、それぞれに違った読み方ができるんじゃないかなと。
ただ、冒頭で「続編」とは言ったんですが、『名も無き世界のエンドロール』というお話は、やはり一作で間違いなく完結したのだと思います。今回の『彩無き世界のノスタルジア』は、例えば、一つの舞台を千秋楽まで演じ切った役者さんの、家までの帰り道を描いたような作品。一人の人間としてのキダの顚末をたくさんの方に見守って頂き、そして見送って頂けたらいいなと思っております。是非、ご一読いただければ幸いです。
行成 薫
ゆきなり・かおる●作家。
1979年宮城県生まれ。2012年『名も無き世界のエンドロール』(「マチルダ」改題)で第25回小説すばる新人賞を受賞してデビュー。著書に『僕らだって扉くらい開けられる』『怪盗インビジブル』『本日のメニューは。』『KILLTASK』等。