[今月のエッセイ]
「奥」に戻る旅
『ニッポン巡礼』は「かくれ里」巡りの記録です。一九七〇年代に白洲正子が書いた『かくれ里』にインスピレーションを得て、約半世紀が経った今、現代版の「かくれ里」を書いてみようと思い立ったのがきっかけです。
「かくれ里」と聞いて、頭にすぐ浮かぶのは都会から離れた穴場でしょう。しかし、「かくれ里」には様々な隠れ方があると思います。便利に行けてよく知られた観光地でも隠れているものがあります。
第一章で訪れた、日吉大社もその一つです。大津市にある日吉大社は京都市内から近く、比叡山の山麓に位置しています。全国三千八百社以上にのぼる日吉・日枝・山王系の神社の総本宮で、普通の感覚では決して「かくれ里」とは言えません。
しかし、私は京都近郊の亀岡市に何十年も暮らしていながら一度も日吉大社を訪れたことはありませんでした。また観光ブームの最中でもほとんどの観光客が足をのばしません。その意味で、日吉は「かくれ里」に数えられる場所であり、白洲さんもかつて足を運んでいました。
日吉大社の話は一章だけで尽きることがなく、一冊の本を書けると思います。『ニッポン巡礼』に登場する十箇所は、全てそういう場所でした。
第二章で訪れている秋田県
この本の中には一種の「哲学」が流れています。ちょうど『ニッポン巡礼』で、各地を旅して記事を書いていた三年間、私はもう一冊本を書いていました。“Finding the HeartSutra”(「般若心経を求めて」)という英語の本で、偶然、ほぼ同時期の出版を予定しています。
二冊の本を書き進めるうちにテーマが重なり、般若心経は巡礼、巡礼は哲学となっていきました。いや、「哲学」という言葉は楽しくないのでやめましょう。他の言葉で言い換えれば「もうちょっと奥に足を運んでみよう」という表現が適切かも知れません。
般若心経は、お経全体に思想があるのと同時に、一語一語にも
『ニッポン巡礼』も同じように、町全体やお寺の細かな紹介はしていません。それは観光ガイドと歴史専門書の分野だと思います。それより、興味を引いた一点(
今回の巡礼では、他に鳥取県の
そのやり方で巡礼を続けた結果、様々な発見に恵まれました。そして、そうした発見自体が「かくれ里」だと気付きました。場所そのものが隠れているのではなく、場所の奥意が隠れていたのです。
さて、『ニッポン巡礼』は旅の本ですが、問題は、近年日本で旅することがつまらないということです。少なくとも、私にとってつまらなくなってきたわけです。醜い工事や過剰な看板などで、村、寺院の境内、山は見事に汚染されています。そして、近年の観光ブームにより、僻地でもインスタグラムでちょっと話題になれば、
しかし、ゴタゴタしている現代日本の中にも、奥深い文化と手付かずの自然がまだ残っているはずです。
私が若い頃に見て心を弾ませた景色に、まだどこかで出会えるかもしれない。そんな希望を持って巡礼に旅立ちました。そして、『ニッポン巡礼』に載せた十箇所を見つけました。
いや、十箇所を本にまとめただけで、他にも素晴らしい場所を数多く巡りました。徳島県の
本の最後には、子供時代の思い出の地、三浦海岸に戻ります。今回の巡礼は、「つまらない日本」以前の、私がずっと愛していた日本の「奥」に戻る旅でした。
アレックス・カー
アレックス・カー●東洋文化研究者。
1952年米国生まれ。77年から京都府亀岡市に居を構え、書や古典演劇、古美術など日本文化の研究に励む。著書に『美しき日本の残像』(新潮学芸賞)『ニッポン景観論』『観光亡国論』(清野由美と共著)等。