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特集インタビュー/本文を読む

北方謙三『チンギス記 九 日輪』刊行記念インタビュー
テムジンはチンギス・カンと名を改め、草原の覇者に!

[特集インタビュー]

征服戦という歴史的事実の中で、
人間のありようの複雑さを書きたい

モンゴル族統一を果たしたテムジン。ナイマン王国の残党が挑み続けてくるとはいえ、その力の差は歴然としていた。しかし、その中には、かつてともにモンゴル統一をめざした親友にしてライバル、ジャムカが率いる一隊がいた。奇襲を受けたテムジンは一歩間違えば命を落とす危機に陥る。
チンギス・カンの生涯を描く『チンギス紀』。九巻はターニング・ポイントとなる巻だ。テムジンはチンギス・カンと名を改め、名実ともに草原の覇者となった。モンゴル族の中の最後の敵、ジャムカとの戦いのほか、テムジンが滅ぼしたタイチウト氏のタルグダイとラシャーンをはじめとして、戦いに明け暮れてきた人びとのその後も描かれる。さらには世代交代を思わせる若者たちの活躍、モンゴルが統一されたことで、隣国のきん西夏せいかとの緊張感が高まるなど、物語はさらにスケールアップする予感が。
九巻で描かれたチンギスとジャムカ、男たち女たち、そして『チンギス紀』のこれからについて、北方さんに聞いた。

聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=chihiro.

チンギスの孤独

─ 九巻は『チンギス紀』の“神巻”だと思います。テムジンがチンギス・カンと名乗り、テムジンのライバル、ジャムカとの決着がつきます。節目となる巻ですね。

 チンギス・カンを名乗るということは歴史的な事実。作者としては、テムジンもチンギス・カンも変わらないよという感じで書いてはいるんです。だけど読者の区切りがつくだろうとは思います。今までのテムジンというのは幼名だから。

─ 草原を平定し、名実ともにトップになった。唯一無二の存在は孤独でもあります。チンギスの不眠症はその孤独を象徴していますね。

 それは圧倒的な孤独です。だけど孤独を孤独として書きたくないんです。チンギスは不眠症なんだけど、女を抱くと眠ることができる。チンギス・カンの血の系譜は何万人いるなんて言われていて、何万は大げさにしても、征服していく過程でそういうことはあっただろう。それで遠征に行った先で女を抱かないと眠れないということにしたんです。

─ 不眠症というのはどこから出てきたんですか。

 私自身が不眠症だから。眠れないことのつらさが分かるんですよ。ナポレオンは三時間睡眠だったと言われるけど、不眠症だったんじゃないかな。不眠症というのは現実に切られているような感覚があって、その人物の存在感を際立たせてくれると思いますね。

─ 一巻から読んでいる読者にとっては、登場時に十三歳だったテムジンが、気がついたら草原で一番大きな存在になったことに感慨があります。所期の目標に達したという達成感と同時に、これからどうするんだろう、という不安もありますね。九巻のチンギスはどこかあてどない感じがあるというか。

 戦で頂点に立ってしまったら、あてどないでしょう。あてどないから、もうちょっとあてを探してもっと旅を続ける。すると隣国への征服戦になるわけです。あてどのなさの中で生きているのと同時に、草原を出て異民族を征服しようという強い意志も持っている。征服戦をしたという歴史的事実の中には、いろいろな意味があると思うんです。そこには人間の強さがあるだけじゃなくて、弱さみたいなものがそうさせるという側面もあるんだと思う。

ジャムカという男

─ チンギスの弱さといえば、チンギス、いやテムジンにとっての最大のライバル、ジャムカが思い浮かびます。テムジンはジャムカに対してだけは恐れを感じています。

 テムジンはジャムカが怖くてしょうがないんです、最初は自分でも気づいていないけど。ジャムカ一人を討つのに五万人も兵を動員して、その時初めて、俺はジャムカを怖がっていたんだって気づく。

─ 九巻の冒頭では、ジャムカの奇襲を受けて、あわや、という場面がありました。

 怖がる要素は十分に書きました。兵が何人も自分の身代わりになって死ぬ。それはそれで重たいものをテムジンの中に残すでしょう。

 テムジン自身がずっと少ない数の兵を率いて戦ってきた。むしろ大群を動かすのに慣れてないと言っていい。でも、ジャムカと対した時に兵の数に頼ってしまった自分がいた。どうしていいか分からなくなって、西夏の鉱山、陰山いんざんを統治するための三十名を出せと、ボオルチュに無理を言ったりする。

─ この巻の最後で、そのジャムカとの決着がつきます。

 ここまで生き残らせて、やっと死なせたということだよね。私は何となくジャムカが好きだったんです。

─ ジャムカのファンは多いと思います。

 ジャムカって人望があるんですよ。テムジンの場合は、組織力とか何とか、そんなことを考えて戦をするんだけど、ジャムカには自然と人が集まってくる。二人は史記でいうと項羽と劉邦みたいなものなんです。チンギスは劉邦的なものを持っている。組織の人。項羽は強くて人望もあったけど、死ぬ時は一人になったでしょう。

─ ジャムカが思ったよりも長生きしたというのは、ジャムカという存在の魅力からでしょうか。

 ジャムカはどこで死んだかよく分からないんです。負けた人間の歴史って残ってないんですよ。それがここまで生きた理由の一つ。もう一つは、ジャムカに魅力がないとテムジンの魅力が出てこないから。テムジンを生かすには、ジャムカが強敵であればあるだけいい。テムジンがジャムカを恐れれば恐れるほどいいんです。

─ 二人はかつては盟友でした。テムジンを訪ねてきた宣弘せんこうが、二人で立てば草原に敵はいないのだから対立するのは惜しい、と言う。テムジンはこう答えます。「敵同士になってからの方が、俺はジャムカを好きになっているかもしれん」。こういう関係性があるからこそ、ジャムカの最期の場面はぐっときました。

 人が死ぬ場面は、『水滸伝』では嫌というほど書いたんですよ。その時は、ぐっとくるなんていうものじゃなくて、のたうち回っていた。つらくて。人間がばーっと立ち上がって、圧倒的に迫ってくるからね。それが続いたから、殺すのが怖くなっちゃったんです。殺したら私も死んじゃうんじゃないかと思って。
 これからはとくにそういう場面が出てくると思う。今まで草原の中で遊牧の民同士で戦っていましたが、これからは全然違うかたちになりますからね。チンギスはまだまだこれからいっぱい戦があるわけで、これからは同族ではない敵を相手にする。彼らにどんな魅力があって、どう滅びるのか、あるいは生き延びるのか。その過程でいろいろな人間を書けると思います。

タルグダイとラシャーン

─ 世代交代もどんどん進んでいます。チンギス・カンの息子たちが活躍し始め、孫が生まれます。はっきりとテムジンが何歳と書いているわけではないので、悠々とした時間の流れみたいな感覚があります。

 それは書くほうがいい加減だから(笑)。年齢を幾つと書くとね、校正の人が計算して間違いを指摘してくれる。いつもなぜか一歳違うんですよ。頭の中で考えて書いているだけで、年表をつくっているわけじゃないからね。ただ時が流れていく。それが大きな時の流れなのか、小さな時の流れなのかは分からないけれども、テムジンの心の中の時の流れであることは確かなんです。

─ テムジンと戦って敗れた者たちのその後も、『チンギス紀』を読む楽しみです。

 それは書かざるを得ない。でないと戦いだけしか書かなくなっちゃうし、日常がどういうものだったかを書いておかないと。読者だって一生戦かよと思ったら辟易しちゃうでしょう。

─ テムジンが子供の頃にモンゴル族の中で有力な地位にあって、その後、テムジンに滅ぼされたタイチウト氏の長、タルグダイが元気なのは嬉しいですね。落ち延びて、妻のラシャーンが商売をして穏やかな生活を送っています。タルグダイが目にする風景が草原から海へと変わっているのが象徴的です。

 タルグダイも年ですからね。そんなに長くは生きないかもしれない。タルグダイの死に方というのは、今後書いていく上で一つのテーマでしょう。

─ タルグダイはよくぞ生き延びましたね。

 それはそうだけど、タルグダイは死ぬ時に、やっとラシャーンから逃れられたと思うかもしれないよ。

─ ラシャーンはタルグダイを生かすために献身的に尽くしていますが。

 でも、世話になっているのと同時に、ビシッと束縛もされている。生き方というか、生命そのものを束縛されているような感じで。

─ なるほど、そういう見方もできますね。ラシャーンのファンが聞いたら複雑な気持ちになるかもしれませんが(笑)。

 夫婦といえば、ジャムカとフフーの関係もあって、こちらはこちらでマイナスの方向でのリアリティはあると思う。

─ フフーは子供に夢中になって、ジャムカへの関心をなくしてしまいます。

 ラシャーンもフフーも私が創作した人物です。母のホエルンとか妻のボルテとか、テムジンを取り巻く女性たちは実在しますが、人物造形はそうです。ただ、強力な存在感を発揮している女性はいまのところラシャーンぐらい。男の心を占拠する女をもう少し書きたいなという気がするね。

─ それは史料の中に女性についての言及がないからですか。

 ないですね。モンゴルは騎馬社会だから、女性が重きをなすということはなかったのかもしれない。だけど、小説の世界は別だから、やっぱり女性に存在感を持ってもらわないと。ラシャーンが出ている場面は人気があるみたいですよ。

─ それはよく分かります。また、森に隠棲している、メルキト族の元族長トクトアのエピソードを楽しみに読んでいる読者は多いと思います。九巻では、ジャムカの息子、マルガーシがトクトアのもとへやってきます。お互い素性を知らないままに。

 ああいう自然の逆境の中で、たくましく生きる人間を書くのが好きなんですよ。『史記 武帝紀』を書いた時も、武帝によってバイカル湖の北に追いやられた蘇武そぶという男が出てくるんだけど、何度も極寒の地で冬を越す。そこに李陵りりようが訪ねて行く。その時もどれぐらい寒いんだろうと思って想像しながら書きました。

─ タルグダイもトクトアのところで命を助けられたし、トクトアに代を譲られたメルキト族のアインガも時々会いにくる。トクトアは傷ついたり悩んだりした人間たちを自然の中で癒やすような場所になっています。

 そういうのはちょっと違うから、そろそろトクトアをだらしない男にしようと思ってるんですよ。森の中に一人で暮らしていて、草原の男たちを立ち直らせるなんていうのは、トクトアがやりたいと思っていたことじゃないから。あいつは森の中でオオカミと一緒に静かに暮らしたいと思っていただけなんですよ。ちょっと孤独癖があって。だから、ほんとは人間たちと関わりたくないんだけど、アインガが米を持ってくると、ついつい応じてしまう(笑)。

ユーラシア大陸を視野に

─ ジャムカも含めて、『チンギス紀』の登場人物たちの死は、草原という自然環境で育まれた死生観を垣間見せてくれます。

 彼らの死生観は天しかない。素朴なんです。信仰としては、天への信仰、それと地への信仰があるだけ。たとえば、羊をさばく時は神聖なる大地に一滴の血もこぼしちゃいけないとかね。
 ところが、これからチンギス・カンたちがどんどん西へ、南へ行くと様子が変わってくる。西へ行くとイスラム教がある。キリスト教もある。南へ行くと仏教がある。素朴な信仰しか持たない草原の民が、宗教的な人間たちと戦わなきゃいけないという部分が出てくる。そこでまた複雑な人間が書ければいいと思いますね。人間のありようの複雑さみたいなものを。
 チンギスはおそらく、イスラム教徒が神のために自分の身を犠牲にするということを理解できないと思うんです、最初は。理解できないところから始まって、やがて理解できるようになる、というかたちにならないかなと思っています。思った通りそのまま書けたりはしないかもしれないけど。

─ これまでの『チンギス紀』では、草原の民同士の戦いが描かれてきました。共通の場所、文化に生きている人たちが相手。でも、これからは草原を出て戦いが広がっていくわけですね。

 そう。まずは金国が仏教の国として立ち塞がるし、イスラム教、キリスト教と三つ巴になってくる。十三世紀だからね、ヨーロッパでは十字軍の時代なんですよ。

─ ユーラシア大陸全体の動きも北方さんの視野に入っているわけですね。

 視野には入っていますよ。書いてみないと分からないけどね。

北方 謙三

きたかた・けんぞう●作家。
1947年佐賀県生まれ。81年『弔鐘はるかなり』でデビュー。著書に『眠りなき夜』(吉川英治文学新人賞)『渇きの街』(日本推理作家協会賞)『破軍の星』(柴田錬三郎賞)『楊家将』(吉川英治文学賞)『水滸伝』(全19巻・司馬遼太郎賞)『独り群せず』(舟橋聖一文学賞)『楊令伝』(全15巻・毎日出版文化賞特別賞)等多数。2016年、全51巻に及ぶ「大水滸伝」シリーズを完結。18年5月より、新たな歴史大河小説『チンギス紀』の刊行を開始。20年、旭日小綬章を受章。

『チンギス紀 九 日輪にちりん

北方 謙三 著

11月26日発売・単行本

本体1,600円+税

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