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物語の渦の中に怪物が現れる
二〇〇五年のバグダードを舞台とした小説。幻想的でグロテスクな要素をはらみながらも、現実の生活を描く細部は驚くほどリアルだ。歴史や宗教的背景に支えられているが、いまを生きる
自爆テロや対立する勢力間の戦闘があいついでいた時期のバグダードで、ある古物商が町にごろごろしている死体の様様な身体部位を拾い集め、それをつなぎ合わせて「きっかり一人前の遺体」を作り出す。そこに死者の魂が入り込み、遺体は新たな命を得て、古物商の手を離れて動きだす。フランケンシュタインの怪物の現代バグダード版というわけだ。複数の死体から構成されたこの「名無しさん」は、自分に死をもたらした者たちへの復讐を開始する。町のあちこちで奇怪な殺人事件が起こり、当局も占星術師の力を借りて捜査に乗り出す。
SFというよりは、現代アラブ社会のほら話と言ったほうがいいだろうか。実際、古物商は、カフェに腰を据え、話術で人々を楽しませる「ほら吹き男」であり、その話をあるジャーナリストが聞き、彼のICレコーダーには他ならぬ「名無しさん」の告白が吹き込まれ、さらにそれらの資料を託された「作家」が書こうとした小説などが絡み合って語りは錯綜し、何が本当なのか分からない物語の渦に読者を巻き込むのだ。ちなみに、よく誤解されることだが、メアリー・シェリーによる元祖フランケンシュタインは怪物を作り出した科学者の名前であって、怪物のことではない。本書の場合も、本当の主人公は死体から作られた怪物ではなく、むしろ、それを生み出した、現代の市井に生きる多種多様な、したたかで、いこじで、悲劇的であると同時に愉快な人々である。彼らの集合的な欲望と絶望と希望が、怪物を作り出したのだ。多種多様な人々の寄せ集めというこの奇妙な存在は、複雑な要素が絡み合ってできたイラクという国そのものの縮図でもあるのかもしれない。
沼野充義
ぬまの・みつよし● スラヴ文学者、文芸評論家