[対談]
今を生きる私たちに石牟礼道子が届けたもの
大学の授業で、
三・一一を始めとした公害(原発事故)、災害、そして新型コロナウイルスと、混沌とした災禍の時代に生きる人々にとって、石牟礼道子は最も重要な指針となる文学者だという。経済優先の近代社会で私たちはいったい何を失おうとしているのか——。
今回の対談のお相手は、生涯石牟礼道子を編集者として支えた歴史家・渡辺京二氏とも親交のある
この
構成=宮内千和子/撮影=岩根 愛
これが文学なのだという衝撃
三砂 まずは本当にとても重厚ですばらしい本でした。感動して読みました。
田中 ありがとうございます。以前から書きたかった石牟礼さんについての本が、ようやく書けたという気がしています。全体像をつかむことはとてもできないとしても、私の心にどう響いたのかということは書いておきたかった。
私が江戸時代の研究に入ったのはやはり『苦海浄土』を知ったことが大きいと思います。そのとき私の心に響いたことが二つあります。一つは水俣の漁師たちの世界。船で海に出て、ここは
三砂 ああ、そうでしたね。
田中 そのとき、迫力のある水俣方言が直接入ってきたんです。方言と言われるものの力強さや生々しさを、私はそれまで知らなかった。これも都会と地方の価値の逆転を感じました。
もう一つは、胎児性水俣病の子どもたちが、私とほぼ同世代だったこと。ちょっとした違いで、私は胎児性水俣病の患者だったかもしれない——そういうことが『苦海浄土』を通じて、最初に私の中に流れ込んできた。こういうものが世の中にあるんだ、これが文学なんだと、それまでの文学観を含め、価値観そのものが大きく揺らいだ。これは衝撃的な体験でした。
三砂 今のお話で、『苦海浄土』が田中先生の全ての原点だったんだなと、改めて思う次第です。誰かのことを書くというのは、誰かのことを題材にして自分のことを書くことです。江戸文化の研究者ですばらしい業績を挙げられて、『週刊金曜日』の編集委員もなさり、しかも男世界に見えた法政大学を総長として率いていらっしゃる。そんな方が、石牟礼さんを通して自分を語ることを選ばれたことについて、いろいろお話を伺いたいと思って来ました。
田中 その意味で言えば、石牟礼さんを通して、日本の女性論についてもちゃんと書きたかった。政治的な運動で女性が解放されるのではなく、女性が人間であることに女性自らが気がつくこと。石牟礼さんは、それがいかに大事なことかを
三砂 ええ、日本の女性の有り様についても、たくさんの題材を提供していただいたと思っています。脇田晴子(歴史学)先生が母性について書かれた『母性を問う——歴史的変遷』(人文書院)で紹介されている、西川祐子(フランス文学・女性学)さんの「一つの系譜」という論文の中で、平塚らいてう、高群逸枝、石牟礼道子と続いた日本の母性主義の系譜を非常に情念的な流れとして書いています。石牟礼さんが、自分は高群逸枝を継ぐ者になりたいと思って書いていたというのは、とても重要な視点だと私も思っているんです。
当初日本文学の中では、石牟礼さんはとても特異な位置におられて、文学者として正当には評価されてこなかった。あらためて評価されるようになったのは本当に晩年からです。それまでは、文学者としてより、むしろ活動家として、水俣病のジャンヌ・ダルク的な感じで扱われてきた。彼女の文学の本質的な側面は、まだまだ開拓されていません。今回田中さんがいろいろ提示されたことの中に、石牟礼さんの研究をもっと深くしていくさまざまな提案がなされているなと思いました。
荒む女性たちが失ったもの
田中 女性論といえば、三砂さんは、藤原書店の石牟礼道子全集の短編集の解説「荒ぶれた心 bleakness をこえて」で、現代の女性たちについて書いていますね。女性活躍などと言われて女性たちは頑張って働いているのに、何かが
三砂 はい。どうやってよりよく近代社会に適応して、男性のパイを女性にもいただくかというものが、フェミニズム、と理解され、結局は男性と女性のどちらがパイをしっかりとるかという問題になってしまう。自分たちに続く世代のためにと頑張ること自体が、私たちの心を荒ぶれたものにしていくんですね。
丁寧に、優しく、献身的に、この世界とのつながりを喜ぶということではなく、もっと私がとか、もっと早くやろうとか、あの人に負けたくないとか。そういうこと一つ一つが自分の心を荒ませていることに、私たちは気がついていながら、もう後戻りできないところに来てしまった。でも、私たち世代が見てきた、受容性に富んだ祖母の姿だったり、憧れた女性たちの姿は、今自分が頑張らされている方向とは違うということを少なからぬ女性たちが感じている。そのことを石牟礼さんは本当にうまく言葉で表現していらっしゃる。詩人の力のある言葉で、そんなに荒んでいくのは哀しいことだよねと。
田中 ええ、石牟礼さんの言葉は胸に刺さりますね。
三砂 今のコロナ禍でステイホームが言われる中、非常に興味深いことが起きているんです。これはデンマークとアイルランドのお医者さんが気づいたことですが、コロナパンデミックになってから、NICUが妙にすいていると。NICUというのは、早産で、極小未熟児などで生まれると入る新生児集中ケアユニットのことです。いつも一杯だったのに。
田中 ということは、早産しなくなった?
三砂 はい。実はこうした現象が、世界中で起こっているらしい。それまでも大企業などで、こんな働き方していたら健康な赤ちゃんを産めないんじゃないか、産休に入る前の妊娠前期こそ体を
田中 おもしろいですね。そのことにも関連すると思いますが、石牟礼さんの書くものに、よく「食べごしらえ」という表現が出てきます。今は手をかけなくても高いお金を出せばいくらでも美味しいものは手に入る。でも石牟礼さんのいう食べごしらえとは、そういう高級なものを食べればいいということではない。時間はかかるけど粉を引いて、一つ一つ手仕事で作っていく。そういう作業って、関わりを作っていくということなんです。子供との関わり、食べ物との関わり、自然との関わり、家との関わり、そういう時間が人間に及ぼしていく影響ってすごく大きいんじゃないかと思う。
三砂 そうですね。料理のことやお裁縫など、石牟礼さんはそうした手仕事についてもお書きです。それはすべて、私たちが近代社会によりよく適応して、外での仕事に専念するために、面倒で手のかかるもの、女性の負担を増やすものとして切り捨てようとしてきたものです。石牟礼さんが書いたものを読んでいると、女性を解放しようとか、違う女性の在り方のほうがいいとか、そんなことは出てこないのに、読んだ人は直感的にこういうものを失ったから苦しかった、心がざわざわしていたんだということに気がつく。その意味で、潜在意識下でいろいろ揺さぶられるところがありますね。
徳と献身的エトスについて
田中 それは人間関係の在り方でも言えます。今回の本では、天草・島原の乱に材を採った石牟礼作品の『春の城』を取り上げながら、石牟礼さんが夢想した共同体についても書いています。彼女はチッソという巨大企業を相手に、患者さんたちと共同体を作って闘った人ではあるけど、そのつながりを組織や連帯とはとらえていない。男や女、あるいは妻や夫、上司と部下といった役割意識を超えたところで、すぐそばの困っている方を助ける、力になるといった関わり方なんですね。石牟礼さんは、よく「徳」ということをおっしゃっていました。近代以前には、その徳というものがまだ息づいていて、非常に多面的な人間関係を育んできたのではないか。「
三砂 そうした献身は、前近代のエトス(特性)ですよね。今は
石牟礼さんは、この世との折り合いがつかなくて何度も自殺未遂をしていますが、別の見方をすれば大変幸福な人であったと思います。彼女が大変な才能の持ち主で、よい方でもあったから、常に周囲の人が助けていた。ご主人もそうだし、編集者として、同志として渡辺京二氏も生涯かけて彼女を献身的に支え続けた。高群逸枝の夫の橋本憲三もそう。平凡社を辞めて高群の身の回りの世話をしながら、『女性の歴史』を書かせている。
石牟礼さんは、橋本憲三のことを、「
田中 それはすばらしいお話ですね。
三砂 献身のエトスの前にはいろんなことが色あせますね。男性が女性に、女性が男性に、この人に献身したい、あるいはこの人の人生を見届けたいというような関係を築いていく構造——そういうものも私は石牟礼さんに見せていただいたような気がします。近代の論理で、損得勘定でパイの奪い合いをしていたのではこういう関係は築けませんよね。
田中 本当にそうですね。考えてみると、石牟礼さんは自分のために書いていたわけじゃない。まさに水俣病の患者さんたちと接触して初めて書くということに立ち向かえるようになる。そこにも献身が見えます。自分の力を何か別のものに変換していくということですね。
子どもの頃に原点を持つ天才性
三砂 私、石牟礼さんは、天才だと思っているんです。書くことについては本当に天才だと。ものを書く人は、たくさん読んでいます。好きな作家の本を全部読んで、そこからあふれてくるもので、やっと書けるようになる。ところが、天才というのは一行読めばいいんです。
田中 そう、それでわかっちゃう。石牟礼さんは本もほとんど読まない。お能も一回しか見たことないのに、太古の言葉を使って見事な新作能を書き上げてしまう。その天才性は、石牟礼さんの子どもの頃の世界と深い関わりがあるかもしれない。老齢になっても彼女は驚くべき記憶力で、鮮明に子どもの頃のことを語るし、そこが彼女の原点になっていると思う。
三砂
田中 私自身も下町の長屋育ちですが、そういう時期をすごくよく覚えています。まだあったんですよ、軒遊び。戦後しばらくはね。その意味では、保育園や介護施設がたくさんある社会は理想かもしれないけれど、何か幸せな気がしませんね。みんな同じ時間を過ごして、一人の人間が体験する多様な時間というものがなくなっていっている。石牟礼さんからは、女性の生き方についても、子どもの有り様、高齢者の有り様も、これからの社会にとって受け取ることがたくさんある。それを私たちの言葉としてちゃんと伝えなければならないと思います。
三砂 「前近代の世界で達成されたもっともすぐれた精神をもって近代を切り開くのでなければ、近代精神とはついに根なし草であろう」という宮城教育大の(故)林竹二さんの言葉に、視点がぴしりと定まったと石牟礼さんも言っています。これはとても重要なことです。
田中 まさに現代は根なし草の時代になりつつある。その根を取り戻すためにも、石牟礼作品は広く読み継がれてほしい。そしてもっといろんなものを取り出さないともったいない。
三砂 ええ。石牟礼さんの価値がわかるのは、むしろこれからだと思います。
三砂ちづる
みさご・ちづる●疫学者。
津田塾大学国際関係学科教授。1958年山口県生まれ。著書に『不機嫌な夫婦 なぜ女たちは「本能」を忘れたのか』『太陽と月の物語』『女を生きる覚悟』『女が女になること』『少女のための性の話』『自分と他人の許し方、あるいは愛し方』等多数。
田中優子
たなか・ゆうこ●江戸文化研究者。
法政大学総長。1952年神奈川県生まれ。著書に『江戸の恋』『樋口一葉「いやだ!」と云ふ』『江戸を歩く』『未来のための江戸学』『世渡り 万の智慧袋』『グローバリゼーションの中の江戸』『芸者と遊び 日本的サロン文化の盛衰』等多数。