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受賞の言葉/本文を読む

第一八回開高健ノンフィクション賞受賞
『デス・ゾーン 栗城史多くりきのぶかずのエベレスト劇場』
河野啓こうのさとし

[受賞の言葉]

山のマグロの謎を追って

「少ない酸素でいつまでも泳いでいられるマグロがボクの理想です」
 そう話す栗城史多さんの、小動物を思わせる笑顔が今も私の脳裏に焼き付いている。二〇〇八年初夏、彼を描くドキュメンタリー番組の撮影初日のことだった。
 山のマグロは酸素が地上の三分の一しかない「デス・ゾーン(死の領域)」を躍動した。荒い息を吐きながら登っていく自分の姿をカメラで自撮りしてネットにアップし、多くのファンを獲得していく。メディアは彼を「新時代の登山家」と賞賛した。
 二〇〇九年秋、栗城さんはエベレストに初挑戦して敗退する。そして私は……彼との交流を断つことになった。取材意欲がいっぺんに霧散する、大きな出来事があったからだ。
 二〇一八年五月二十一日。彼の訃報に接したとき、私は呆然ぼうぜんとした。《まだ登っていたのか》という驚きが大きかった。彼がこの六年前に凍傷を負い、その後両手の指九本を手術で切断したことは私もニュースで知っていた。そのまま彼は引退したものと、私はすっかり思い込んでいたのだ。
 指を失い、敗退を重ねながらも、彼はなぜエベレストに挑み続けたのか?
 その答えを、私は探してみたくなった。
 だが、十年の歳月を経た再取材は決して容易ではなかった。彼の大学時代の先輩でエベレスト遠征に二度同行した登山家も、当初は私に会うことを躊躇ためらった。
 しかし、手探りの取材を重ねるうちに私の「栗城史多」観は確実に変わっていった。彼が大学時代に憧れていた女性は、指を失った彼と再会したとき、「栗ちゃんの深い孤独を感じた」と告白した。
 栗城さんが最後のエベレスト挑戦で選んだのは、指を失った彼には登れるはずのない最難関のルートだった。彼がそのルートを選んだ理由……「答え」につながるヒントをくれたのは、登山とはかけ離れた世界に身を置く、意外な人物だった。「夢の共有」を掲げる一方で、彼の心身は悲鳴を上げていた。そのことに、私は心が震えた。
 なぜ栗城さんを描いたのか? 恥ずかしながら「自分でもまだ整理できていない」が真情に近い。人の死に言及するテーマである。取材と表現には慎重を期した。完成までに二年近くを要した。それでも疲れることはなかった。私もマグロになっていたのかもしれない。動きを止めると死んでしまうマグロのように、書くことに取りつかれていた気がする。取材の苦しみと喜びは分かちがたい一つのものだと再認識した。
 今回の受賞を「栗城も喜んでいると思いますよ。目立ちたがり屋なので」(彼の幼馴染おさななじみ)、「栗城君の理解のために出版されるべきものだ」(大学時代の恩師)と、私が取材した多くの人たちが祝福してくれた。心から感謝を申し上げたい。
 情報が閉ざされた中で始めた取材は、暗闇で一粒の砂を探し出すような作業だった。しかし、手にしたその一粒に手ごたえも感じている。それを天に向かって掲げれば、イタズラ好きだった栗城さんが「ばれたか」と笑ってくれそうな気がしている。

河野 啓

1963年愛媛県生まれ。北海道大学法学部卒業後、北海道放送入社。ディレクターとして、ドキュメンタリー、ドラマ、高校中退者や不登校の生徒を受け入れる北星学園余市高校を取材したシリーズ番組などを制作。著書に『よみがえる高校』など。

『デス・ゾーン 栗城史多くりきのぶかずのエベレスト劇場

河野 啓 著

11月26日発売

本体1,600円+税

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