巨星堕つ。
明治二十二年四月二十六日、最後の狩野派絵師、河鍋暁斎が死去した。〈何を描くか、どのように描くか、最初の一筆をどこに下ろすか〉。父が大酒を飲んだのは、真っ白な紙を前に狩野派の名をかけて身震いする怖さを鎮めるためだったと、娘は父の死後に聞く。
白紙を前に呻吟するのは、絵画も小説も同じだろう。本書は暁斎の死、その日から始まる。暁翠の号を持つ絵師でもある娘のとよは、次々と訪れる弔問客を迎える。中に一人、不思議な男がいた。横たわる父の傍らへ進み、かっと凝視した目は絵師のものととよは直感する。果たして五姓田義松という、西洋画(油彩)の絵師だった。翌朝、父の顔を実に細密に描いた素描を義松が持参する。
コンデル、小林清親、岡倉覚三、フェノロサ……。明治美術界の著名人が続々登場し、時代背景と絵師たちの肖像を物語で素描したのが本書だ。室町時代から頂点に立ち続け、将軍家の禄を食んだ狩野派の絵師たちは、明治になって収入の道を断たれた。現実主義者の暁斎は、自ら『枯木寒鴉図』に百円の値を付けるなど、「金」の問題と取っ組み合った。
一方、狩野派から独立し、西洋画の工房で成功したのが五姓田芳柳だ。義松は次男である。しかし急激な文明開化に反発した国粋主義によって西洋画が排斥され、父子の生活は暗転。富国強兵を掲げ、外貨を獲得したい新政府は、むしろ日本画が海外で売れるとわかると、民間の団体などを使い、絵の売買を進めた。
本書の“最初の一筆”は、序を経ての第一話、暁斎の死から。暁斎と暁翠、芳柳と義松、高橋由一と源吉という絵師を生業とする三組の親子を配し、人とエピソードを織り交ぜた群像劇としたのが“どのように描くか”だ。“何を描くか”は、読後、読者の心に伝わってくる。
幕末の絵師兼用心棒、司誠之進を主人公にした「隠密絵師事件帖」シリーズから派生した一作である。誠之進の師、河鍋暁斎に関する取材を基にしており、独立作を生むほどの取材と検証に舌を巻く。美術ファンには堪らない小説だ。 巨星堕つとも、絵師の魂は潰えない。親の背を見て、子は我が道を歩むのだ。