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ささやかな人の営みを描く、
滋味溢れる連作
半村良の『どぶどろ』を思い出した。社会の底辺で暮らす人々を、どぶの泥に
舞台は江戸。千駄木の淀んだ川沿いに建てられた貧乏長屋に暮らす人々の営みが、連作の形で描かれる。
長屋といっても、打ち捨てられた空き地に勝手に小屋を建てて住んでいるというのが実情だ。住民は訳ありばかり。暮らし向きが楽な者はひとりもいない。
働かない父を抱えた娘が、恋人と一緒に今の生活から抜け出ることを夢見る表題作。四人の
同じ場末に流れてきた人々だが、それぞれに抱えているものが違う。興味深いのは、不遇な状況にありながらも一発逆転を狙うのではなく、この場所でやりなおそうとする姿を描いている点だ。
出ていく機会があったのに、とどまることを選んだ主人公がいる。たまたま就いた仕事にやりがいを感じる者もいる。他人を
確かに淀んだ川は汚いし、臭う。だがそんな町を指してある人物はこう言う。
「生き直すには、悪くねえ土地でさ」
なぜか。人の営みがあるからだ。ささやかな喜びと悲しみが詰まっているからだ。淀んだように見えても、中で懸命に
その集大成が最終話である。差配人がずっと抱えていた心の淀みが浄化される様子は、実に胸に染みる。
温もりが静かに心を満たす連作だ。
大矢博子
おおや・ひろこ●書評家