渡辺優の第四作となる長編『悪い姉』は、これぞ渡辺優という感じで、物語が開幕した瞬間、異形の欲望のスイッチが入る。〈私は平穏な人生を手に入れるために姉を殺す〉。
高校二年生の倉石麻友は、友人との会話やモノローグから、ほんのりファンキーな感覚を持っていることが窺い知れる人物だ。基本はポジティブ方向に感情の傾きが激しく、ネガティブに針が振れる時も、それを飲み込んでおける優しさがある。でも、同じ学校の同じ学年にいる、年子の姉・凜に対する気持ちは質が違う。彼女は、「悪い姉」だった。例えば、「私」が密かに片思い中のヨシくんと一緒にいるところを見て、〈『今のブサイクだれ? 笑』〉とラインで陰口を叩き込んでくる。そんなエピソードが可愛らしく思えるほど、過去にしでかされた仕打ちは酷い。酷すぎる。だから、「殺す」。
悲劇は一般的に、運命悲劇と性格悲劇に大別される。前者は個人の思惑を超えた不条理な運命から生じる悲劇であり、後者は特定の人物の性格から発生する悲劇のことだ。『悪い姉』は勿論、後者に当たる。しかし……生まれ持った家族とは、運命以外の何物でもないのではないか? 学園生活や家庭風景の中で、主人公に襲いかかる二重化した悲劇。幾度となく挿入されるのは、夢の中で姉を殺すシーンだ。それが現実に起こる瞬間はいつ、どんな時か。読み手の期待に、作者はある面では応え、ある面で裏切る。
新型コロナウイルスの感染拡大により、世界中の人々が外出自粛期間を過ごした。同居家族以外とは接触できない、というルールに基づく生活がもたらしたものの一つが、家族という概念の復権だ。家族は個人の自由を奪うが、家族こそが個人を守る。そこが悪しき場所だと感じていたとしても……そうであるならば尚更、家族のあり方、家族の中でのい方、家族との関係性について、スルーせず向き合わねばならないのではないか。自分が、自分のままでいられるためにも。
二〇二〇年の「今」を感じる、異形にして真っ当な家族小説。震えました。