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今月のエッセイ/本文を読む

伝説のヴェールに包まれた小野小町を描く
『桜小町 宮中の花』

[今月のエッセイ]

伝説のヴェールに包まれた美女

 史上、名高い美女を三人挙げるとすれば、「クレオパトラ、楊貴妃、小野小町」だが、ここに小野小町を入れるのは日本人だけだと、聞いたことがある。クレオパトラと楊貴妃はどの国の人に訊いても入ってくるが、最後の一人は国によって違うのだ、と。
 なるほどと思った。クレオパトラと楊貴妃の二人にあって、小野小町には無いものがある。それは、権力者から歴史を変えるほどに愛されたかどうか、さらに悲劇の最期を遂げたかどうか、ということ。
 そもそも、何を美しいと思うかは主観によるものだし、時代によっても国によっても異なるはずだ。それでも、クレオパトラや楊貴妃を美しい人と思えるのは、その波乱万丈の人生が、彼女たちを愛した男たちの人生も含めて、私たちの心を動かすからではないか。 では、小野小町はどうかといえば、まず権力者に愛されたかどうか分からない。それ以前に恋人や夫がいたのかどうかも、悲劇的な最期を迎えたかどうかもはっきりしない。
 それなのに、私たちは小町といえば美しい、と抵抗なく受けれている。
 かつて魯迅の『故郷』を中学の国語の教科書で読んだが、ここに登場するヤンおばさんは昔「豆腐屋小町」と呼ばれていた、とある。この訳語は私たちにはとてもしっくりくる。「〇〇小町」という言い方は、今もあちこちで使われているはずだ。
 しかし、実像のよく分からない小野小町が美人だと思われているのは、なぜなのだろう。その答えは、和歌と伝説の中にあると思われる。
 百人一首にも採られた彼女の代表歌。
 花の色はうつりにけりないたづらに 我が身世にふるながめせしまに

 ――花は長雨が降るうちに色あせてしまった。むなしいこと。私が物思いにふけって年を重ねてしまったように。
 この歌はいかにも「男になびかなかった美人の嘆き」を詠んだように思える。
 そして、深草少将ふかくさのしようしようによる「百夜ももよ通い」の伝説。
「百日私のもとへ通ってくれたら、あなたの妻になりましょう」と言った小町のもとへ、深草少将は毎晩通い続けた。九十九日の間、欠かさず通い続けた深草少将は百日目の夜、小町のもとへ着く前に雪の中で命尽きてしまったという。
「小野小町はなんて高慢ちきで、冷たい女だ!」と、私たちは怒りに近い感情を抱きつつ、「でも、美人ってそういうものかも?」と妙に納得してしまったりする。
 そんな小町は年を取った後、あちこちをさすらった末に、野に倒れて死んだという伝説もある。そのもとになったと言われるのは、「わびぬれば身を浮き草の根をたえて さそふ水あらばいなむとぞ思ふ」(誘ってくれる方がいるならついて行こうと思います)という歌だ。
 もっとも、歌は現実をありのままに詠んだものではないし、伝説は実像とは違う。しかし、小野小町という女性の実像を見出そうとすると、生没年も本名も分からず、父親さえはっきりしない。彼女は伝説のヴェールの中に隠れ、鮮やかな歌を見せてくれるだけだ。
 そんな彼女に、私はとても興味をかき立てられた。彼女のものと伝わる和歌と伝説をかき分けて、ほんの少しでも彼女の姿を垣間見かいまみることができたら、と願った。
 平安時代初期に成立したといわれる『竹取物語』のかぐや姫は、どんな男にもなびかず、月へ帰ってしまう。冷たく悲しい結末だけれど、だからこそかぐや姫は永遠に美しい。
 ふと想像してみた。私たちの祖先はもしかしたら、美人とはかぐや姫のようであってほしいと望んだのではないか、と。
 クレオパトラや楊貴妃のような人生を送った女性なら、日本にもいないわけではない。平城へいぜい上皇に愛された藤原薬子くすこの人生などは楊貴妃のそれに近いものがある。祖父橘奈良麻呂ならまろ謀反むほんを起こしたにもかかわらず、嵯峨天皇の皇后となった檀林だんりん皇后は本当に美しい人だったと伝わっている。それでも、あえて「小町」なのは、残された歌から想像し得る彼女の人生が、かぐや姫のそれと重なり合ったからではないか。むしろ重なるような伝説のヴェールで彼女を包み込み、美人に仕立て上げたからではないか、と。
 伝説の中の小町はかぐや姫のように美しく、夜空の月のように冷たく輝く。が、伝説のヴェールの外に現れた彼女も輝いていてほしい。できれば温かく。
 そんな思いから生まれたのが『桜小町 宮中の花』です。名前だけ一人歩きした、けれども実像は知られていない「小野小町」。ある時代を確かに生きた、一人の女性としての姿を御覧になっていただければと思います。

篠 綾子

しの・あやこ●作家。
1971年埼玉県生まれ。『春の夜の夢のごとく 新平家公達草紙』で第4回健友館文学賞を受賞しデビュー。著書に『月蝕 在原業平歌解き譚』『青山に在り』(日本歴史時代作家協会賞作品賞)『酔芙蓉』『岐山の蝶』『天穹の船』等多数。シリーズに「更紗屋おりん雛形帖」「江戸菓子舗照月堂」「絵草紙屋万葉堂」等。

『桜小町 宮中の花』

篠 綾子 著

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