[インタビュー]
「境界線」沿いにいる人たちを
書いてきた
今年は本来であれば東京オリンピックが開催される予定だった年。デビュー作『8年』からスポーツ小説に取り組んできた堂場瞬一さんは、出版社の垣根を越えてオリンピックを題材にした小説を刊行する「堂場2020プロジェクト」に挑戦した。
プロジェクト全四冊を締めくくるのが、今回刊行される『ホーム』。アメリカのマイナーリーグで巡回投手コーチを務める
藤原は堂場さんのデビュー作『8年』の主人公。三十歳を超えてプロの経験もないままメジャーリーグの門を叩いた藤原も今や五十二歳に。藤原はこの戦いに勝てるのだろうか。
新型コロナウイルス感染への対策が必要な今、堂場さんにオンラインでインタビュー(二〇二〇年五月)。デビュー作の続編を書いた理由、アメリカ野球、オリンピックについて聞いた。
聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=山口真由子
二十年ぶりの続編はオリンピックをテーマに
─ なぜ、この作品をお書きになろうと思われたのかから教えてください。
今回、オリンピックに関連した作品を連続出版していこうと決めた時、そもそも『8年』が、オリンピックをきっかけに動き出した物語だったことを思い出しました。
『8年』はソウル・オリンピックとバルセロナ・オリンピックに出た投手が、8年間のブランクののちに渡米してメジャーリーグに挑戦する話ですが、断片的な回想シーンはあるもののオリンピックそのものは書いていませんでした。この機会に是非、今度はダイレクトにオリンピックの話として書いてみようと思いました。
─ 『8年』の続編はいつか書こうと思われていたのでしょうか。
今回の企画の話が出るまで、続編なんてまったく考えていなかったですね。我ながら意外でした。
─ 『8年』と『ホーム』の主人公、藤原は、今回の作品ではニューヨーク・フリーバーズの支配下にあるマイナーチームを巡回する投手コーチです。彼がオリンピック代表監督になるという発想はどこから出たのでしょうか。
実際に様々な競技で代表監督が外国人ということがあります。アメリカの国技と言える野球で、日本人に監督を任せるというのは、ネタとして面白いかなと(笑)。
一方で、アメリカの野球界はオリンピックで真剣に優勝を狙わないのでは、とよく言われてます。それはこれまでの大会を見てもわかっていたことなんです。シーズン中なので、メジャーリーグの選手を参加させないというのはそのわかりやすい例ですよね。そこはちょっと実情を加味しています。ベストチームで参加するわけではないのだから、「とりあえず誰かにやらせておけ」という、アメリカ野球界の幹部が持っているであろう、現場の意識とは違う感じも出してみたかったわけです。
─ 監督就任の打診は藤原にとっても青天の
藤原に監督を引き受けさせるためにはどうすればいいか。『8年』の登場人物を上手く活かすのがポイントでした。
『8年』で、藤原がメジャーリーグをめざすきっかけになったのは、ソウル・オリンピックで浴びた一発のホームランでした。打ったヘルナンデスとの勝負をつけたい、屈辱を晴らしたいという思いが藤原を動かした。『8年』では藤原とヘルナンデスの勝負が焦点の一つだったわけですが、あの一年間の戦いでできたヘルナンデスのようなライバルや、フリーバーズの監督だったタッド河合との関係は簡単には消えないでしょう。二十年近くたっても、その関係は活かせるはずだと思って、ヘルナンデスや河合など、懐かしの登場人物たちに活躍してもらうことにしました。藤原の性格からいっても、難しいことなら逆に引き受けるだろうという読みもありましたが。
─ 今回、『8年』を読み返すと、藤原は二十年たっても性格はあまり変わっていませんね。難しいほう難しいほうへ行く。藤原とともにメジャーリーグをめざした強打者の
二十年前の登場人物を素直に描けたのは、自分も変わっていないからでしょうか。
─ 藤原は堂場さんより少し年齢が下ですが、同世代です。思い入れはありますか?
年齢が近いと、自分だったらどう考えるか、どう行動するかというのは想像しやすいですね。ただ、自分の作品の登場人物に過度な思い入れは持たないようにする、というのはデビュー作を書いた頃からの教訓で、これは今も変わっていません。登場人物に感情移入すると、自在に動かせなくなる。たとえば、酷い目に遭わせにくくなるんですよ。なるべく客観的に距離を置こうと思っています。
境界線からはみ出していく人たち
─ 『8年』では、藤原が本来プロとして野球をやっていたはずの失われた8年間を取り戻すという、藤原のパーソナル・ストーリーが中心でした。一方、『ホーム』には芦田という若者がもう一人の主人公として登場し、日米の野球文化の違いや、オリンピックのプレッシャー、チーム内での葛藤など、物語の幅がさらに広がっています。芦田の人物像はどのように考えられたのでしょうか。
『8年』には「越境」という大きなテーマがありました。日本とアメリカ、アマチュアとプロといった境界ですね。それもただ越えていくだけではなく、越境していく人たちの中には、枠からはみ出してしまう人が必ずいる。越えていく「境界線」の周囲にいる人というか。その代表が藤原でした。
『ホーム』を書くために『8年』を読み返して、小説を書き始めた時から「境界線」沿いにいる人たちを書いていたことに気付きました。振り返ると、その後多くの小説を書いていく中で、いつも越境する人間たちを書いてきたような気がします。そもそも、そういう「境界線」の話が好きなのかもしれません。
今回は、最初からまさに「境界線」の上に立っている若者の悩みと決断を描きたかった。芦田は日米の二重国籍を持っていて、どちらにでも行けるけれど、やがてどちらかを自分で決めなければならない。藤原は自ら望んで「越境」していったわけですが、声を掛けられて、悩んだ上で「越境」する人もいる。それが芦田でした。
─ たしかに、「境界線」という言葉は、堂場さんの作品と深い関わりがあるような気がします。警察小説の『検証捜査』から始まる一連の作品では、組織の境界を越えて連携する刑事たちがそれぞれの作品で主人公を務め、いわゆるシリーズものという枠組みさえ超え、全作品がスピンオフというユニークなものになっています。そして主人公たちはそれぞれに境界からはみ出している。『ホーム』の芦田は藤原に声を掛けられて周囲の人たちに相談しますが、反対の声が多い。「境界線」に触れようとしない人のほうが多いですよね。
ほとんどの人が境界線の内外、どちらかに居場所があるのだと思いますが、私ははみ出した少数派が好きです。
─ 藤原の巡回投手コーチという仕事もはみ出し者にふさわしい。しかし、今回、藤原は監督を引き受け、居場所を持つことになる。これは大きな変化ですよね。この居場所を自分のものにできるのか。また、芦田も日米の間で自分の居場所がどこにあるのかと気持ちが揺れます。
オリンピックに出場するために国籍を変更することさえあります。オリンピックはそれだけ魔力のある大会だと思いますが、個人的には「そこまでしてやるか」と多少疑問には感じますね。
しかし、ほとんどの人が国籍や今いる場所をホームと考えるのだとすれば、国籍まで変えさせるオリンピックはホームの意味を問うものになる。もともとの国籍がある国がホームなのか、オリンピックに出場するために選んだ国がホームなのか。それとも別にホームがあるのか。今回はオリンピックを通じてホームを探す旅になったのかな、と。
─ 競技する選手たちは、どこかの国の代表としてフィールドに立つ。その枠組みがかえってホームとは何かという問いを浮かび上がらせる。オリンピックを見る時に覚えておきたい視点です。
楽しみが先延ばしになっただけ
─ 話は変わりますが、堂場さんにとって、もっとも強く印象に残っているオリンピックはどの大会でしょうか。
一九八四年のロサンゼルス五輪ですね。夏休み、電器店でバイトしていて、店頭のテレビでお客さんと一緒になって見ていました(笑)。男子柔道無差別級の山下泰裕とエジプトのモハメド・アリ・ラシュワンの優勝決定戦が印象に残っています。後から考えると、ロサンゼルス五輪は巨額の金が動いたことから、オリンピックが大きく変化した大会になったわけですが。
─ オリンピックが巨大なイベントになっていく過程を見ていらっしゃったわけですね。今回、堂場さんは出版社を超えた「堂場2020プロジェクト」に取り組まれました。小説の題材として、オリンピックはいかがですか。
オリンピックそのものはあまりにも巨大なイベントになってしまって、全体像を小説として描くのはかなり難しいですね。アプローチを固定しないと一冊の小説でまとめるのは大変です。
しかもオリンピックにはプラス面もマイナス面もありますから、一方だけの見方になるのは問題です。今回は、日本で今年開かれる予定だったオリンピックですから、批判は入れていますが、あまりくささずに個別の競技に焦点を当て、スポーツの魅力を伝える狙いでした。
─ 『チームⅢ』(実業之日本社)ではマラソン、『ダブル・トライ』(講談社)ではラグビーと円盤投げ、『空の声』(文藝春秋)ではスポーツ中継と、「堂場2020プロジェクト」で、それぞれオリンピックの競技、報道に題材を絞ったのはそのためなんですね。『ホーム』ではフライボール革命など、日米野球文化の違いもお書きになっています。メジャーリーグについてはほかの小説でも書いていらっしゃいますが、アメリカ野球の魅力はどこにあるとお感じですか?
もともとは日本の野球にない豪快さに惹かれたんですが、データマニアの人間として、最近の細かいデータ主義も面白く思っています。フライボール革命や二番打者最強説はデータ主義の結果ですから。豪快さとデータ主義は相反するような気もするのですが、データに裏打ちされて、しかも豪快な野球は見ていて楽しいですね。そのうち、データ主義の反動も来そうですが。
─ 球場の様子や、球場のある町の描写など、アメリカ社会の中の野球文化もお書きになっています。この作品のための取材もされたのでしょうか? それとも以前から足を運ばれていることの蓄積でしょうか。
今回は蓄積ですね。まあ、ちょっと「見てきたような」感じで書いてあるところもありますが(笑)。『8年』以来二十年間の蓄積と考えていただければ。小説を書くことも意識してアメリカへ行くようになったのは、デビュー以降です。
─ 『ホーム』は東京オリンピックでアメリカ代表チームがどう戦うかを真っ向から書いているところも読みどころです。面白いのは大会ルール。ノックアウトステージという敗者復活ルールがあって、負けても次がある。負けたらおしまいではないので、先が読めません。ゲームの組み立てなどは楽しんでお書きになっているように感じたのですが。
実際には、東京オリンピック2020でのルールの運用はまだ決まっていないので、これまでの大会を参考にした「仮」のものです。ただ、通常のプロ野球や大リーグのペナントレースなどとは違うルールによる「縛り」でドラマが起こるのは間違いなく、ちょっと頭の体操みたいになって楽しかったですね。
─ 東京オリンピックは残念ながら一年先に延びてしまいました。どうお感じでしょうか。
選手は本当に調整が大変だと思いますね。今の段階では、そもそも一年後に本当に開催できるかどうかもわかりません……。一スポーツファンとしては「楽しみが先延ばしになっただけ」と前向きに考えようと思っています。早く本物が見られるといいなと心底思います。
─ 堂場さんはこの『ホーム』を含めたプロジェクトの作品で、未来の東京オリンピックを書かれていますから、想像する期間が延びただけ、と思いたいですね。ところで、藤原雄大の「その後」が書かれる可能性を期待してもいいのでしょうか?
今のところはない……とよく言っているのですが、頻繁に前言撤回しております(笑)。
─ 最後にもう一つ、今まさにそのさなかにいる新型コロナウイルス禍について。影響はありますか。このインタビューもオンラインを利用したチャットで行っています。
今日は仕事場に出て来ました。ジムに行けなくなっただけで、基本は以前と変わらないですね。仕事で影響があるのは取材ですね。海外取材が飛びましたから。でも代わりのネタを考えるのも楽しいものです。心配なのは体重ですね。ジムに行っていないので、徐々に増えてきているようで怖いです。これが終わったら腹筋します(笑)。
堂場瞬一
どうば・しゅんいち●作家。
1963年茨城県生まれ。新聞社勤務のかたわら小説の執筆を始め、2000年に『8年』で小説すばる新人賞受賞。スポーツ小説、警察小説を中心に幅広いジャンルで活躍。著書に人気シリーズ「ラストライン」「警視庁犯罪被害者支援課」「警視庁追跡捜査係」、メディア三部作『警察(サツ)回りの夏』『蛮政の秋』『社長室の冬』、『宴の前』『凍結捜査』『弾丸メシ』『インタビューズ』等多数。2020年は「DOBA2020 スポーツを読む!!」プロジェクトと題し、オリンピック関連の小説『チームⅢ』『空の声』『ダブル・トライ』『ホーム』を4カ月連続刊行。