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書評家:永江朗が紹介する<ナツイチ>よみどころ

[書評]

〈ナツイチ〉読みどころ 永江 朗

 伊集院静『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』は、サントリーの創業者の生涯を描く長編小説。明治12年、大阪の両替商の次男として生まれた信治郎が、洋酒文化を日本人に浸透させようと思い立ち、成功するまでにどんな困難があったのかが、克明かつドラマチックに描かれている。上下合わせて800ページ近いが、一気に読ませる。
 食習慣というものは、なかなか変えられない。明治の日本人にとって、ワインやウイスキーはまさに異文化だった。しかし信治郎はいつか必ず日本人も洋酒を楽しむ時代が来ると確信していた。洋酒の製造が大きなビジネスになることも。他人にはばかげた夢に見えたかもしれないが、信治郎は本気で取り組んだ。あるときは慎重に、あるときは大胆に。信治郎の精神力と粘り強さ、そして柔軟性に驚く。
 信治郎はものづくりだけでなく、広告・宣伝にも力を入れて創意工夫した。ボトルの形やラベルのデザインについても妥協しない。ビジネスを文化と一体のものとして扱った信治郎の姿勢は、今日のサントリー美術館やサントリーホール、サントリー学芸賞などの文化活動ともつながる。
 日本の近代資本主義は政治家や官僚だけがつくったものではないのだ、とあらためて痛感する。本書は傑出した人物の生涯を描いた伝記であるだけでなく、日本近代史でもあり、生き方やビジネスにヒントを与えてくれる本でもある。

 映画化作品を2点紹介しよう。
 桜木紫乃の『ホテルローヤル』は北海道東部の街、釧路のラブホテルを舞台にした連作短編で、直木賞受賞作である。客が心中事件を起こしたために経営が悪化し、やがて潰れてしまったホテルローヤル。霧の多い街の空気は湿っていて重く、ラブホテルのベッドで肌を重ねる男女の吐息のようだ。
 貧乏な寺を維持するために檀家組織幹部の男と寝る住職の妻。長年にわたる妻の裏切りを知った教師が、教え子と向かう旅。廃業を決めたラブホテルにアダルトグッズの在庫を引き取りに来た営業マンとホテル経営者の娘。廃墟と化したホテルローヤルで素人投稿雑誌のために恋人のヌード写真を撮る男。7編の小説に登場する男女は、それぞれ傷つき、孤独を抱えている。ベッドの上のわずかな時間は、どれだけ孤独を埋めてくれるだろうか。
『百円の恋』や『全裸監督』の武正晴監督により釧路でロケされた映画は、この冬に公開される。
 行成薫『名も無き世界のエンドロール』は2021年に映画公開予定。ドッキリを仕掛けるのが大好きなマコトと、しょっちゅうそのドッキリに引っかかるビビりのキダ。性格も体格・体型も対照的な凸凹コンビ。腐れ縁と友情で結ばれた男2人の、小学生時代から31歳の現在に至る時間を往き来しながら、キダの視点で回想していく。愉快で優しくて、ちょっとセンチメンタル。伏線いっぱいで、何度も読み返してしまう。

 ミステリーを3冊。伊岡瞬の『悪寒』は、先の展開がまったく読めない。主人公の藤井賢一は大手製薬会社に勤務していたが、不祥事の責任を押しつけられて地方の子会社に飛ばされ、単身赴任している。出向先で上司から受けるパワハラの描写があまりにもエグく、読んでいるこちらの胃がヒリヒリしてくるほどだ。それでも藤井は我慢強く耐えている。ほとぼりが冷めれば本社に戻れると信じているからだ。
 ところがそんなある日、東京の自宅にいる妻から奇妙なメール。続いて、妻が傷害致死容疑で逮捕されたとの連絡が警察から入る。妻が殺した相手は、なんと本社の役員だった。なぜ役員が自分の家に? 妻と役員のあいだに何が? 状況を理解できず呆然としている藤井の前に、次々と意外な事実が突きつけられていく……。
 信じていたものが崩され、確かだと思っていたものが破壊されていく。ここに描かれていることは、読者のあなたにも他人事ではない。
 人はよく「家族の絆」などというが、血のつながりが美しいものだとは限らない。長岡弘樹の『血縁』は、家族をキーワードにした7つの短編からなるミステリー集。表題作は福祉の現場で働く姉妹の話。邪悪な姉と、善良で凡庸な妹。姉は幼いときから妹を支配してきた。ときには犯罪までもさせて。ある日、妹はヘルパーとしての仕事中誤って利用者の老人を死なせてしまう。その現場に姉が入ってきて、事態は思わぬ展開へ。
 真保裕一『脇坂副署長の長い一日』はコミカルなミステリー。地味な警察署、賀江出署にとって、その日は特別な日だった。アイドルが一日署長をつとめるとあって、マスコミやファンがどっと押し寄せる。ところがよりにもよってそんな日に署内の不祥事が発覚。副署長の脇坂誠司は署長や県警と使えない部下たちの板挟みになりながら事態収拾をはかる。ところがその脇坂の家庭内でも問題が起きて……一気に大団円に向かう快感!

 ベストセラーを3冊。
 桜庭一樹の『じごくゆきっ』は宝石の小箱のような短編集である。青春ミステリーやSFなどバラエティ豊かな短編が詰まっている。評者のお気に入りは「ビザール」。主人公は転職したばかりの女性会社員、近田、25歳。彼女は隣の課のおじさん社員と仲良くなる。ただし朝だけのおつきあい、というところがこのお話がチャーミングなところ。毎日、朝ごはんを会社に持ってきて、裏口の喫煙室で一緒に食べるのである。おじさんはごくごく普通のくたびれたサラリーマンだが、靴下だけがちょっと変。暗い赤色の靴下には、綱で痛々しく縛られた牛が描かれている。そこに深い意味はあるのか。
 石田衣良『爽年』は『娼年』『逝年』に続くシリーズ三部作の最終章。女性向けに娼夫を派遣する組織を経営するリョウは27歳。性を通じて、人間の魂の深淵を見つめている。本書でもリョウの前にはさまざまな女性があらわれ、リョウとの時間を味わいつくす。もういちど『娼年』から読み返したくなる。
『人間失格』は長く読み継がれるロングセラー。72年前の作品だが、いささかも古びていない。太宰治はこの作品を発表した直後、入水自殺している。「恥の多い生涯を送ってきました」という「第一の手記」書き出しの文章は心に染みる。本書には太宰と太田静子のあいだに生まれた太田治子によるエッセイ「鑑賞 父親というもの」が収録されている。

 阿部暁子『パラ・スター』に感動する。車いすテニスでパラリンピックを目指す少女と、その親友で彼女のために最高の車いすを作る少女の物語である。面白いのは〈Side 宝良〉編では車いすアスリートの宝良を、〈Side 百花〉編では宝良の親友で車いすメーカー社員の百花を主人公にしているところ。どちらか一方でも小説としては完結しているが、やはり両方読みたい。
 中学校でいじめられていた百花は、宝良に救われる。2人は同じ高校に進み、宝良はテニス選手として頭角をあらわす。ところが宝良は交通事故で車いすの生活となる。絶望の淵から助け出すのは百花。宝良は車いすテニスに希望を見いだし、百花は彼女のために車いすをつくる。
 評者はこの2冊を読んで、車いすと車いすテニスについて、少し知るようになった。とにかくすごい! 車いすテニスの選手って、プレイ中は常に動いているって知ってました? なぜなら、静止している車いすを動かすのには大きなエネルギーがいるから(自転車をこぎ出すときと同じだ)。車いすテニス用の車いすって、とんでもなくハイテクだと知ってました? なにしろ速く軽く自由自在に動かせなければならないから。
『ひゃくはち』は早見和真のデビュー作。甲子園常連校の野球部の日々を、社会人になって振り返る。主人公はエースで4番、なーんていうスター選手とはほど遠い、万年補欠部員だった。清く正しく健康なスポーツ少年とはちょっと違う青春の日々。
 谷川俊太郎は日本でいちばん有名な詩人。詩だけでなく、スヌーピーの翻訳や絵本作家としても知られる。『二十億光年の孤独』は20歳のデビュー作で、十代の終わりに書いた詩が集められている。
〈万有引力とは ひき合う孤独の力である〉なんて、何度読んでもグッとくる言葉がちりばめられている。本書には谷川自身による注やW・I・エリオットと川村和夫による英訳、そして自筆ノート(一部)が収録されている。十代の谷川の肉筆が、かわいらしく味わい深い。

 窪美澄の長編小説『やめるときも、すこやかなるときも』の書き出しにドキドキする。目が覚めたら、下着姿の見知らぬ女が同じベッドで眠っている。しかも、翌々日、再会したのに、男のほうは気づかない。こいつはとんでもないプレイボーイかと思いきや、じつは彼は心に深い傷を負っているのである。
 家具職人の彼は目の前で恋人を失った衝撃のため、いつもその季節が来ると声が出なくなってしまう。パンフレット制作会社に勤める彼女は、父の暴力に耐えながら、困窮した家族を支えている。不器用な2人が、互いをいたわりながら、少しずつ距離を近づけていく。
 綿矢りさ『意識のリボン』には女性を主人公にした8つの短編小説が収められている。彼女たちの年齢や属性はばらばらだけど、自分で自分の人生をつかもうとしているところが共通している。表題作は勤務中にスクーターで移動していてクルマと衝突、頭から血を流して倒れている自分の身体を、2メートルほど上から眺めている話である。まだ若い女の一生が主人公自身の意識の中で反芻される。

『おんぶにだっこ』はさくらももこが幼児期について回想するエッセイ。2歳をすぎても母乳を飲んでいた日々の話にはじまり、小学校1年生のとき、いつも小便くさい松永君をぶった話まで。著者は先生にいわれて松永君に算数を教えていたのだが、松永君は同じ間違いを繰り返す。いらいらした著者は松永君をぶってしまう。謝る著者に、松永君は「気にしなくていいよ。慣れてるから」というのだ。松永君の哀しさを、著者はずっと忘れないという。さくらももこが亡くなって2年。わたしたちも彼女をずっと忘れない。
 五代将軍・徳川綱吉といえば、「生類憐れみの令」。天下の悪法といわれ、ダメな将軍の代名詞のごとくいわれるけれども、綱吉のほんとうを誰が知る。朝井まかて『最悪の将軍』は、綱吉の生涯を描く歴史小説である。本来は傍流だった彼が偶然のように将軍となり、だらけきった幕府の改革を断行しようとする。しかし、赤穂浪士の討ち入りやら大地震、富士山噴火と、困難は次々と押し寄せる。
『ババア上等!』は人気スタイリスト・地曳いく子と漫画家・槇村さとるのファッション対談。2人の共通項はアラカンであること。いままで好きだった服、着ていた服が、なんだか似合わなくなったなあと思ったら必読です。服や小物の手入れ方法など、アラカン女性以外にも応用可能。

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永江 朗

ながえ・あきら●書評家

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