[インタビュー]
必要な時間の中で
発酵していくような思いを
一九九四年から続く村山由佳さんの『おいしいコーヒーのいれ方』シリーズが、二十六年の時を経てこのたび完結しました!家庭の事情で同居を始め、恋に落ち、キスからなかなか進まなかった高校生の
聞き手・構成=神田法子/撮影=露木聡子
ふたりの時間を大事に書きたい
─ 二十六年、19巻にわたって続いてきた『おいコー』シリーズ、勝利とかれんの物語がとうとう終わってしまうんですね。
そうなんです、終わるんですよ。ここまで長く続けていると、作者の気持ちとして、もしかしたら読者の方もそうかもしれないんですが、勝利もかれんも登場人物みんな、絶対どこかにいる、パラレルワールドで生きてるんだって感じるほどなんです。でもとりあえず一旦は終わらせないと、いつまでも引き延ばしてもいいものになるとは思わないですし。二十六年間という年月は、この物語が始まった当時、
─ 始まりは雑誌『ジャンプノベル』での連載(一九九三年八月二十五日号~)だったので、若い男性の読者も多かったでしょう。
初めの頃は本当に男性が多くて、サイン会をしても、六~七割は男性だったと思います。まだメールもSNSも普及してなかった時代、封書やはがきで感想が編集部に送られてきていたんですが、真面目そうな感じの男の人が多くて、特に顕著だったのが、警察学校とか自衛隊とか、運動部とかちょっと厳しめの環境にいる男性たちがみんなで回し読みしているっていうんです。意外でしたね。
─ 男性向けの雑誌は恋愛のプロセスを早く進めようと煽るものも多い中、勝利とかれんのじれったいくらいゆっくりした恋の話が、若い男性から受け入れられたのは、実はそういう恋愛に憧れている人も多いんじゃないかと思うんです。
確かに、それは違うと言わないで共感してくれる男性が多かったのは、時代的なものもあったのかな。二十数年前ですから、大事な人にはとにかく手を触れてはいけない、一線を越えるまでのことは大事にしなきゃいけないって、今よりは恋愛のハードルがまだ高かった気がします。男の子が優しかった時代の空気があったかもしれないです。
─ ふたりの関係がなかなか進まなかったのは、かれんのキャラクターや五歳の年の差の問題もありますよね。
お互い今まで親戚として過ごしてきたことに加えて、かれんの年のわりにおぼこなキャラクターもそうですし、勝利も物事をわかっていそうなのに純情なところがあって。やっぱりふたりくらいの年齢だと五歳の年の差も大きいので、いろいろなことがお互いに作用し合ってそうなっちゃったのでしょう。でも途中からは、意識的に展開をゆっくりにして、間にある感情の行き違いや、お互いの関係性が熟していく時間を大事に書きたいと思うようになっていました。
─ シリーズではベースの部分は勝利の一人称で語られますが、村山さんは男性一人称で書くのは得意ですよね。
デビュー作(『天使の卵』)からそうでしたね。最初から男性に取材することはなかったんです。男だったらこんなふうに考えるだろうって特別意識したこともないんです。自分の中に精神的男性性みたいなものが強くあるんです。しかもずっと十七~二十四歳ぐらいの男の子のキャラで、不思議とおじさんにはならないんですよね、今に至っても。だから本当に自然に書いているキャラクターですね。
周囲の人と場へのこだわり
─ シリーズの各章にずっと洋楽のタイトルが付いていて、結構古いものだけどスタンダードな曲は喫茶店「風見鶏」という場の雰囲気を出していますね。
私には十歳年上の兄がいるものですから、聴いてきた洋楽が同年代の人よりもちょっと古めということもあり、七〇~八〇年代あたりを中心に選んでみました。きっとこの辺の音楽はマスターの趣味でもあるんでしょうね。曲を借りて、テーマを浮彫りにする方法はやりやすいんですけど、わざとらしくなく、そのシーンに溶け込むように心がけていました。
─ 「風見鶏」にはさまざまな人たちが集まって、勝利とかれんを見守ってくれます。この周囲の人たちがいい味を出しているんですが、お気に入りのキャラクターは誰ですか?
書きながら一番株が上がったのは、勝利の陸上部の先輩・ネアンデルタール原田なんです。最初は色物みたいな扱いだった彼がどんどん脇をしっかり固めてくれるキャラクターに育ってくれて。マスターは最初からでき上がっていますし、中沢先生も大人の男性だし。そんな中、主人公と年の近い人間が大人の男へ育っていく感じを書くのは楽しかったですね。
─ 勝利自身が成長していくのに、いろいろな家族との関わりもあると思います。
言われてみればそうですね。本当に多くの家族が自然に出てきた感じがします。私にとって登場人物同士の関係性を書く上で、彼らが育った家や育てた親の存在は特に意識せずにするする出てくるものなんです。たとえば原田先輩がどうしてあんなキャラクターになったかは、やっぱり育ってきた環境も無視できないんですよね。ほかの小説を書いているときにも、必ずどういう親のもとに育ったか、どういう家族かというのは、無意識のうちに考えていますね。
─ 物語が展開する「場」にもこだわりをお持ちだと思います。セカンドシーズンの途中からいきなり勝利がオーストラリアに行ったときはみんなびっくりしたと思うんです。森下家(勝利のアパートの大家)との関わりができた時点で布石はありましたが。
─ オーストラリアに取材に行かれたそうですね。
そうです、取材は後から思い立ってのことでしたが。ウルル(エアーズロック)には『青のフェルマータ』を書いたときにも行ったことがあったんです。ウルルから数百キロ離れたアリススプリングスというところへ軽飛行機で飛んで、折り返しウルルまで車で走ったんです。そのとき、ドクターヘリの基地を訪ねたのが一番大きかったかな。それでやっとラストの着地点が見えたという実感がありました。
─ 最終巻で、勝利が事件に巻き込まれるわけですね。
勝利は基本的に巻き込まれる人ですね。私の小説では自分から行動していっていろんな危機に直面していくというタイプの主人公は、あまり書いたことがないかもしれないですね。わりと巻き込まれ型が多いかもしれない。
─ シリーズを通じて、勝利はなかなか肉体的にハードな状況が多いです。痛そうな描写もたくさん……。
自分がケガをしたときの記憶を総動員して、身体感覚を言葉にしていきました。足首の骨を折ったときとか、馬から落ちたときとか、痛いのってこうだよな、みたいな(笑)。
─ あとがきにも書かれている、お馴染みの痛いエピソードですね(笑)。
純愛が難しい時代に
─ このシリーズの文庫版は、JUMP jBOOKS版と文庫版の二種類のあとがきが読めるのもファンにはうれしいポイントだと思います。
同時発売の最終巻は、それぞれ少し違ったあとがきを書きました。気になる方はぜひ両方を読んでいただけたらうれしいですね。
昔のあとがきを読み返してみると、こんなことがあった、あんなこともあった、それにやっぱり若かったなと思いますね。していたことが若かっただけじゃなくて、文章そのものがはねている感じがして、若さがあるんです。住んだ場所も何度か替わっているんですが、最初は鴨川のログハウスにいた頃ですね。夏に天井が焼けるように熱くて蒸し風呂のような中で書きました。どこで書いたかっていうのは、不思議に覚えていますね。白馬岳のてっぺんで書いてファックスで送った回もありましたね。
─ 当時はファックスなんですね。勝利の高校時代のシーンでは、公衆電話からかれんに電話するシーンもありました。今振り返ると懐かしいですね。
今の読者がそこに抵抗を覚えないか少し心配だったので、文庫版にする際に担当編集者とも相談したんですが、携帯電話の充電が切れて……と言い訳を加えるよりも、あえてそのままで行こうと。ちょうど今コミック版が連載されていて、漫画を読んでくれている読者が、当時の空気感がそのまま漫画になっているのがうれしいと言ってくれて、携帯電話を持っていない時代だからといって古臭い物語とは捉えないことにちょっと安心しました。
─ 携帯電話のある時代の若い人たちにも、こういう恋愛の形が受け入れられるというのは、普遍的な何かがあるのかもしれませんね。
そうだったらいいなとは思います。実はこの時代になってから小説が書きにくくなっているんです。障害をつくるのがすごく難しいから。連絡がつかなくてお互いの気持ちのすれ違いが大ごとになっていくなんて昔はいくらでもあり得たんですけど、今、あまりにもお互いに個人的に連絡をとり合う方法が増えて、語弊があるかもしれませんが、不倫は書きやすくなったんですけど、純愛が書きにくい。会いたいと思えば当たり前に会えるから、必要な時間の中で発酵していく思いがどうしても書きづらくなっているんですよね。でも、本当は絶対にそういう思いがあるはずなので、逆に便利な世の中にいる若い人たちのほうが、『おいコー』のふたりみたいにお互いに同じ家にいながらもすれ違うような物語をやきもきしながら読んでくれるのかなと思ったりもします。
─ 好きだから会うだけじゃ恋じゃない、と。
毎日会えるかどうか、そばにいるかどうかって実は恋愛そのものの心の近さにはあまり関係ないんですよね。会えるに越したことはないんだけれども、会えたからといってわかり合えているわけじゃないというのは、今の人たちを見ていて思います。常に情報をやりとりできているからといって、別に恋愛が上手になるわけじゃないんです。
─ 村山さんは現在に至るまで、ずっと純愛の小説を書きながら、でも、きれいなだけじゃない大人の恋愛の小説も書いていらっしゃいますね。バランスのとり方の一つの軸としてこの作品があるんでしょうか。
確かに、やじろべえの向こう側の重しみたいな感じはありますね。本当に何でもありでモラルなんてくそ食らえみたいな小説を一方で書きながら、でもそちらにだけ邁進していくと、多分自分の中の何かが崩れてしまい、大事なことを見失っちゃうかもしれない。そういう部分を『おいしいコーヒーのいれ方』のような“白”村山的な小説が引き戻してくれる役割はありますね。デビュー作の『天使の卵』は今まで本を読んだことがない人にも小説の世界でしか味わえない喜びとか楽しみがあると知ってもらいたくて、入りやすい扉として書いたものでした。『おいしいコーヒーのいれ方』も同じです。大人の感情を描く文芸作家として評価されるためにその扉を放棄するのは、出発点の自分を裏切ることだからしたくなかった。常にこの世界が書けると自分で確認することで、安心できる部分はあったと思います。
─ いよいよ最終巻、村山さん自身とても大事にしてきた『おいコー』シリーズの着地点として、この終わり方が一番ふさわしいと思われたんですよね。
たとえば、勝利とかれんが結婚式を挙げて終わりというのは違うだろうと思っていました。キスまでにあれだけかかり、最初に結ばれるまで十巻かかっている彼らですからね。待っていただいた読者にこの物語の終わりはどう受けとめられるんでしょう。読み終えてカタルシスを覚えて頂けたら何よりですが、何をどう言われても文句は言えません。デビュー作『天使の卵』以来連作で書いてきたシリーズを『天使の
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村山由佳
むらやま・ゆか●作家。
1964年東京都生まれ。立教大学卒業。93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。著書に『ミルク・アンド・ハニー』『燃える波』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』等多数。