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巻頭インタビュー/本文を読む

インタビュー 桜木紫乃「家族じまい」
家族はいったいいつまで家族なのだろう

[巻頭インタビュー]

小説の仕事は、
赦すことだと思うんです

子育てに一区切りついた智代ともよのもとに、突然かかってきた妹・乃理のりからの電話。
「ママがね、ぼけちゃったみたいなんだよ」
新しい商売に手を出しては借金を重ね、家族を振り回してきた横暴な父・猛夫たけおと、そんな夫に苦労しながらも共に歳を重ね、今は記憶を失くしつつある母・サトミ。親の老いに直面して戸惑う姉妹と、さまざまに交差する人々。夫婦、親子、姉妹……家族はいったい、いつまで家族なのだろう。
桜木紫乃さんの新刊は、北海道を舞台に、家族に正面から向き合った五編からなる連作短編集です。刊行にあたりお話を伺いました。

聞き手・構成=砂田明子/撮影=hiro

登場人物全員が私の内側という気がしています

─ 今回、家族をテーマに書かれるきっかけは何でしたか。

『ホテルローヤル』の担当編集者に、ホテルローヤルの“その後”を書きませんか、と言われたのがきっかけでした。直木賞をいただいたあの小説は、ホテルローヤルというラブホテルにつどってくる人々や、ホテルを経営する家族を、私にとってあったかもしれない話として書いたんですが、今度は真正面から、私が思う家族の形に取り組んでみませんか、という提案でした。えげつないところを突いてくるなと思って(笑)、ウンウンうなりながらどう書くか話し合っていたときに、最近聞くようになった「墓じまい」という言葉が浮かんだんです。「墓じまい」があるなら、「家族じまい」もあるんじゃないか、と言ったのはその担当編集者です。
 いいタイトルだなと思って、家族じまいで何本か書いてみたいと思ったんです。で、私が思う家族じまいって何だろうと考えていくと、単純に家族を整理するとか、家族の誰かと縁を切るとかではなく、改めて振り返ることではないかと。だとしたら、私自身が経てきた、何てことのない家族の日常を書くだけで、「しまう」形に向かっていくのではないか。終わりを意味する「終う」ではなく、ものごとをたたんだり片付けたりする「仕舞う」ですね。そういう気持ちで書き始めました。
 この小説に出てくる智代の家族構成は、私の家とほぼ同じなんです。起きる出来事はフィクションですが、智代の父と母を核とした家族関係は、我が家と同じです。父はもともと理髪店を営んでいて、最後、ラブホテルを経営していましたし、母親は今、認知症です。

─ ご自身の家族に寄せた設定で書くのはいかがでしたか?

 書きやすい部分と書きづらい部分、両方ありました。ただ、結果的に、誰に取材をしたわけでもないけれど、各章の視点人物にした五人は、全員私の内側という気がしています。書くことで改めて自分と向き合えた一冊になりました。

二十年以上、夫婦が続いてきた秘訣

─ ここから一人ずつお話を伺っていきます。第一章の「智代」は四十八歳。子どもが巣立ち、公務員の夫・啓介けいすけと北海道で二人暮らしです。物語は、啓介の後頭部に円形脱毛症を見つけるところから始まります。髪が抜けるほどの出来事とは何だろうと。動揺しながらも、しかし、なかなか聞けない。

 智代の感覚は限りなく私に近くて、うちの夫婦もこんな感じです。デリカシーのありようって夫婦によって違うと思いますが、最終的に触れちゃいけないところには触れないで来たから、二十年以上続いてきたようなところはあると思うんです。

─ 「会話で何かを解決したことがない」とあります。

 解決にならない。感情にまかせてもまかせなくても、言いたいことを全部言っていたら、けんかになりますよ。

─ 子どもが家を出たときに親が不安や空しさを感じる「から症候群」について、智代が思いめぐらす場面が出てきます。桜木さんも体験されましたか?

 智代と同じく、私もなかったんです。子どもたちが出ていって、大きな仕事を終えたみたいに、むしろスカッとしました。だからこそ、空の巣症候群になる人の気持ちを知りたいと思った。実家の母が私を嫁に出したあと、次々と病気になりましてね。娘のいない暮らしに耐えられなかったそうです。私はいつも何かを知りたくて小説を書いてるんですが、小説って私にとって仮説なんですね。なぜ私は空の巣にならなかったのか知りたかったですね。性格的なこととか、目の前に書かなくちゃいけない原稿があったからだとか、書くことで見えてくるんです。表現ってありがたいですね。

─ 智代は母親の老いに直面し、長く距離を置いてきた実家について考えざるを得なくなる。歳を重ね、色々なものを諦めてきたからこそ、自分のなかの“燃え残っているもの”に気づきます。

 ここは智代が働く美容室の店長との対比を考えました。自分に何ができるだろうと、可能性が開けている三十代の店長に対して、できること、やりたいことがはっきりしてくるのが四十代、五十代。無駄な夢を見ないぶん選択肢が狭まり、現実的なことを考えるようになる。歳をとるのは悪いことじゃないと思っています。
 ただ、その後智代がどうなるかは、あえて書いていません。この章に限らず、この小説は、ラストを私のリズムで締めています。もっと情報が欲しい読者もいるかもしれませんが、そこは書き手のわがままで、これしかないだろうというところで終わらせました。

毒にならない親なんていない

─ 第二章は、智代の夫の弟・涼介りようすけと結婚することになる、「陽紅ようこ」が主人公です。この夫婦はちょっと珍しく、二十八歳の陽紅に、五十五歳の涼介。陽紅は涼介の母に、農協の窓口で熱烈に口説かれ、「まだまともに会話もしたことのない男の嫁になるという時代錯誤」と自覚しながら、その気になっていきます。

 条件優先の結婚もあるんじゃないかなと思っています。今も結婚相談所マツチングアプリはありますし、結婚してから恋愛しましょうっていうのもあり得るだろうと。いつもこんなこともあるんじゃないかと思って書いています。

─ 涼介の母もそうですが、五回結婚した陽紅の母も強烈なキャラクターで、陽紅に強い影響を与えている。この章は「母と娘」の関係についても考えさせられます。

 最近、「毒親」とか「鬼親」という言葉が使われるようになりましたが、私はずっと、毒にならない親なんていないと思っているし、それを書いてきました。だから今さら「毒」とか言わないで、自分は自分の道を歩いていったらいい、って思うんですね。親のせいにすると、一瞬ラクなんです。でも自分で選んだほうがあとあとラクなんですよ。だから人のせいにしないで、いきましょうよって。そうすると、自然と家族はしまわれていくんだから。“誰かのせい”を放棄することで、家族はよい着地点を探していくと思うんです。

─ 大いに祝福されて結婚した陽紅と涼介夫婦には、思わぬ事態が待ち受けています。

 ままならないということも、今まで繰り返し書いてきたことです。思った通りに行くなんてこと、そうそうないですよね。書き手の思った通りに動いてくれる主人公もいない。結局、親は自分の子を思い通りになんかできないし、子も親を思い通りになんかできないんです。全員がそこに気づくと、よい家族じまいになりそうですね。

─ でも気づくのは難しくて、第三章の「乃理」もそうですが、いい母、いい妻、いい娘でいたいと思うほどに不満が溜まり、苦しんでいます。乃理は姉・智代への嫉妬心もあり、親孝行したいという気持ちが強いですね。

 書くのがきつかった章です。各方面にいい人でいたい人って、自分の内面に無自覚なところがあると思うんですが、そこを想像するのが小説の仕事だと思っています。内面を言語化できない人のために物語があるというか。と同時に、乃理もやっぱり私なんです。私が書いている物語だから、私を超えてはいかない。姉妹って、夫婦ってこういうところがありますよね、というのを、乃理と一緒に背負ってみました。改めて、人間って弱いですね。

─ 乃理の心の隙間を埋めるのは88円の缶酎ハイ。すごく気持ちがわかりました。

 私にも、お酒の飲める夕方が待ち遠しかった時期があったんです。一杯飲んで家族にやさしくなれるんだったら安いものじゃないかと思うんだけど、お酒は量が増えていきますからね。適量って難しい。その経験が反映されています。
 私は体を壊して一度やめましたが、息子が成人して、夫と一緒にお酒を飲んでいるのを見て、美味しそうだなあと。久しぶりに復活したら、何やらいい感じです(笑)。今は気持ちのいいところでおしまいのお酒飲みになりました。

ほどよく集まり、付き合い、離れていっていい

─ 第四章の「紀和きわ」は唯一、智代家族の親族ではありません。八十二歳の猛夫が、物忘れのひどくなった妻のサトミを連れた船旅で出会う、二十代後半のサックス奏者です。

 この老夫婦にとって遠い関係で、かつ近くから彼らを見られる人を置きたいと思いました。もう一つ、老夫婦を最後の旅に連れて行ってあげたいという書き手の思いもあって、そこで出会うのは誰だろうと考えて決まりました。
 サックスについては、私も二年ほど習っているので、プレイヤーの実情など、師匠から聞きながら書きました。なかなか上達しないけど、サックスをやっていてよかったです。

─ 船の中で猛夫は、妻を殴ってしまうことを紀和に打ち明ける。他人だからわかること、話せることがあるんですね。

 子どもたちが見る老夫婦と、行きずりの他人が見る老夫婦は全く違うものだと思うんです。人にはこういう一面もあるということを表現するために、紀和の視点はどうしても必要でした。猛夫という人は、このくらい遠い関係でないと、自分のことを話さないだろうから。
 先ほど、知りたくて小説を書いているという話をしましたが、この章も、小さい頃からの疑問に一つ一つ仮説を立てて、謎解きをしていくようなところがありました。私の父も、実によく手を上げる男だったんですね。なぜ父が私や母を叩いたのか。どういう気持ちだったのか。理由は常に後づけだから、都合のいいように変わってくることもあるし、もしかしたら本人もわかっていないかもしれないけれど、そういうことを含めて、理由を知りたかった。視点人物を決めて小説を書いていると、長い間の疑問が解けていくんです。その過程が面白くて、書き続けているのかもしれません。

─ 長年連れ添った猛夫とサトミを見て、紀和自身の家族、とくに父親との関係に変化が訪れますね。

 彼女はかなり具体的に家族をしまうことになりましたね。老夫婦の表面と裏面、両方を想像することによって、気づくことがあったのだと思います。それは他人だからできたことですね。

─ 最後、第五章の視点となる「登美子とみこ」は、サトミの姉です。なぜ登美子だったのでしょうか。

 実は、最初は、老夫婦の孫の視点を置こうと考えていたんです。具体的にいうと、智代の娘ですね。老夫婦を客観的に眺める立場から書きたかったから。でもそうすると、年齢的に二十代になるので、紀和と感覚が重なってくる。彼女自体が物語をあまり背負っていないのも気になりました。さあどうしようと悩んだ末に、思いついたのがサトミの姉です。彼女を置いたことで、私の思う家族に対する考え方や、落ち着き先、家族をしまった後、自分はどうするかなどを、十分に表現できたと思います。

─ 膝のひとつも痛くならず、一人暮らしを楽しむ八十二歳の登美子は、娘たちからすれば「産みっぱなしの放し飼い」で薄情な母親だと受け止められています。

 ある種の薄情さは、私のよく知る北海道女のいいところだとも思っています。子どもにとっていい母親であることを母親側から追求していくと、乃理みたいになってしまうから。ほどほどって大事です。

─ 登美子はサトミの現状を見て、「忘れてよいものは、老いと病の力を借りてちゃんと肩から落ちてゆくようになっているのかもしれない」と言います。忘れることを肯定してくれるこの言葉に救われる人は多いと感じました。

 私自身が母と接していて、歳をとるというのは忘れることなのかなと思ったんです。この小説は「介護前夜」を書いたところがありますね。介護については多くの方が書いていらっしゃいます。私は介護前夜を書きたかったんだなと、書き終えて気づきました。

─ 妹夫婦を気にかける一方で、娘との関係に区切りをつける登美子。家族の形が揺れ動き、家族をしまうことで、新しい道が開けていくようなラストが印象的です。

 小説の大きな仕事は、真正面から励ますことではなく、ゆるすことだと思うんです。いろんな角度からこの老夫婦を見ることで、家族ってほどよく集まり、ほどよく付き合い、ほどよく離れていっていいものなんだと、うちも同じだなと思ってもらえたら嬉しいですね。
 それから、家族の問題は、誰が悪いわけでもないと思うんです。娘の智代から見ると猛夫は酷い父親でも、見方や距離が変わると印象は違ってくる。そのために紀和の視点も重要でしたし、何よりラストの登美子さんのおかげで、誰も悪人にせずに済みました。

─ お話を伺っている今(4月上旬)、新型コロナウイルスの感染拡大で家にいる人が増え、家族について考える機会も増えているように感じます。

 そうですね。どんな時代、どんな状況のときも、家族の問題は残ります。年齢やさまざまな事情、契機があると思いますが、家族との関係を考えたいところに差しかかった人に、この本が届くといいなと願っています。

桜木紫乃

さくらぎ・しの●作家。
1965年北海道生まれ。2002年「雪虫」で第82回オール讀物新人賞を受賞。2007年同作を収録した『氷平線』で単行本デビュー。著書に『ラブレス』(島清恋愛文学賞)『ホテルローヤル』(直木賞)『ブルース』『それを愛とは呼ばず』『霧(ウラル)』『裸の華』『ふたりぐらし』『光まで5分』『緋の河』等多数。

『家族じまい』

桜木紫乃 著

6月5日発売・単行本

本体1,600 円+税

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