[特集インタビュー]
「僕はそうは思わない。」
伊坂幸太郎さんの新刊『逆ソクラテス』は、全五編すべての主人公が小学生という、初の試みの短編集です。ソクラテスといえば「無知の知」。では、「逆ソクラテス」というと……。
冒頭の表題作以下、「スロウではない」「非オプティマス」「アンスポーツマンライク」「逆ワシントン」と、いたく想像力を刺激されるタイトルが並んでいます。
今年デビュー二十年となる伊坂さんにとって、新境地ともいえるこの作品。どのような思いで書かれたのか、伺いました。
聞き手・構成=増子信一
試行錯誤しながら子供を主人公に
─ どうして小学生を主人公にして書いてみようと思われたのでしょうか?
もともとは、「少年」をテーマにしたアンソロジー(『あの日、君とBoys』集英社文庫、二〇一二)のための短編を依頼され、小学生を主人公にして書いたのが始まりです。
依頼されたものの、最初は正直、気が進まなかったんですよね。なぜそう思うのかを編集者と話しながら自分で分析してみまして、まず、子供が主人公だと、地の文がどうしても幼くなってしまう。それから、子供の活動範囲となると、狭い世界の話になってしまう。では、どうすれば自分がわくわくするようなものが書けるだろうか、と。
あれこれ考えているときに、東野圭吾さんの「ガリレオシリーズ」の話になったんです。冗談で、タイトルに「ガリレオ」と付けたら注目されるんじゃないかな、と話していて、さすがにそれは駄目ですよ、と編集者がいうので、それなら、「逆ガリレオ」にしたらどうですか? と(笑)。まあ、それもやめましょう、ということになって、それなら、と「ガリレオ」以外の歴史上の人物の名前を挙げていって、引っかかったのがソクラテスだったんですよね。ソクラテスといえば「無知の知」ですから、その逆版で、先入観たっぷりの先生を登場させて、その先入観を子供たちがひっくり返していく……とアイディアが膨らんで、これだったら子供が主人公でもおもしろいものができそうだ、ということで書いたのが「逆ソクラテス」です。
─ 書いてみて、いかがでしたか。
出来上がってみると、かなりの自信作になったんですよ。僕が書きたいのは、現実と地続きではあるけれど少しずれているような物語なんですね。「ちびまる子ちゃん」よりは「ドラえもん」というか(笑)。良くも悪くも、現実から少しずれたギミックが必要で。でも、今回はあえて非現実的な設定や世界観はできるだけ排除して、話の展開の仕方や、はっとする楽しさみたいなもので自分らしさを出していくほうがいいだろう、と思いました。もともと僕は、「読者や自分自身の先入観をひっくり返したい」と思っていますから、そういう意味でも「逆ソクラテス」という作品はいいかたちで物語を作れたと思います。
自分の中でもお気に入りの作品になったし、せっかくなのでこの作品を収録した短編集を作ってみたい、とだんだん思うようになって。どうせなら、全部「小学生」という要素で統一させることになったわけです。
─ 「あとがき」で、「子供を主人公にする小説を書くのは難しい」と書かれていますが、具体的には?
先ほどもいったように、子供の一人称にすると、どうしても語彙の問題にぶつかります。「この年代の子供が、こんな難しい言葉を知っているわけがない」と考え出すと地の文に使える言葉が限られてくるし、そうすると、どうしても作品自体が幼い印象になってしまう。そこをどうしようか、というのはかなり悩みました。成人した主人公が回想しているかたちにしたり、三人称にしたり、と試行錯誤した記憶があります。「逆ワシントン」では開き直って、「難しい言葉を使って嫌がられる」と言い訳をしていますけど(笑)。
─ 五つの作品のいずれにも、小学校を舞台に、不公正、偏見、いじめといった割とハードな問題が出てきます。
いじめの問題とか、人と人とのコミュニケーションの問題とか、そういったものは、大人でも処理するのが難しい。僕も、「どうすれば正解なのか分からない」ことばっかりですし、今も、「あんなこというんじゃなかった」とか「どうしてあんな風にいわれたんだろう」と悩んじゃいますし、大人の世界にも、パワハラやセクハラがあります。
だから、さらに経験値が少ない子供がどうこうできる問題ではないですよね。子供と大人が一緒に、「どうすればいいのか」を考えるしかないような気はします。自分が年を取りながらいろいろ考えてきて、子供のときにこんな風に考えられたら少しは楽だったかもな、とか思うことが、今回の本には自然と入り込んでいるような気がします。
─ とはいえ、偏見の排除とか公平性とか、正しいことを軸に置くと、ややもすると説教めいた話になってしまう恐れがあるのではないでしょうか。
そう。あまりに直球すぎて、文科省推薦みたいになっちゃうとしらけちゃうじゃないですか。だからといって、あまり
どうすればいいかあれこれ考えて書いているときに、「僕はそうは思わないけどね」という言葉が出てきて、「あっ、これはすごく大事なことだ」と思ったんです。きっと昔から考えていたんでしょうね。周囲から無理矢理同意を求められたときに、口に出していわないまでも、「いやいや、僕はそうは思わないよ」って心で思うのはけっこう大事なことなんだ、と。
─ そうしたメッセージが割とストレートに出てくるのも、これまではあまりなかったですよね。
ひとつには、これを書いているときにちょうど息子が小学生だったんですよね。だから、僕が普段息子に伝えたいというか、伝えられたらいいなというようなことが無意識に入ってしまったところがあるのじゃないかと思います。普段は避けるんですけど。
─ 「非オプティマス」の中に、「学校で習うことは、教科書やテストのための勉強だけじゃないんだ。それとは違う、答えのはっきりしないことについて、学んでほしい」という言葉が出てきますね。
僕も親になって、子供の小学生生活を一緒に経験しつつ、いろいろなことを聞いたり考えたりしました。もちろん、見聞きしたことをそのまま書いてるわけではありませんが、ほんと、友達との関係とか先生との関係とか、どれも正解が分からない、正解がない問題が多いんですよね(笑)。なので、そういう思いがそのまま出ているんだと思います。
先生は正しいと思っていた
─ 「逆ソクラテス」は、今回の単行本化に先立って、いくつかの中学校の国語の入試問題に使われたそうですね。
そうなんですよ。試験問題に使われたのは、ほかの作品もあるんですけど、この短編はアンソロジーにしか入っていないのに、あちこちで問題に使われていて。試験問題を作った人が、この話を読ませたい、と思ってくれたのかもしれないですし、だとしたら、嬉しいんですよね。そんなこともあって、ますますきちんと本にしなければという思いが強くなってきたんです。
─ ところで、小学生のころ、伊坂さんはどのような少年だったのでしょうか?
真面目な、普通の子供でした。サッカーをするのが好きで、放課後はいつもボールを蹴っていて、ゲームウォッチとかパソコンゲームとか、ああいうのも好きで、とほんとに普通でして。でも今から思うと、特別に嫌なことがなく、普通に過ごせていたのは、恵まれていたということですよね。
─ 小学生時代、伊坂少年が、大人や社会に対して理不尽だと思ったことはありますか?
当時は、理不尽だな、と思ったことはそんなになかったんですよね。苦手な先生とかはいましたけれど、先生は正しいと思っていましたから、「逆ソクラテス」に出てくる生徒のように、先生が間違ってるなんて考えもしなかった(笑)。
─ いくつかの作品に「
四年生から六年生まで担任をしてくれた、磯崎先生です。今から思うと、まだ新任で先生自身もけっこう大変なこともあったのだろうと思いますけど、勉強以外の大事なことをいろいろと教えてもらいました。何年か前に、ある取材で「誰か会いたい人いませんか」っていわれて、磯憲先生の名前を挙げて、会いに行ったんです。それから今もメールのやり取りとかしてるんですけど、やはり会えて良かったですし、この先生がいなかったら、僕が書く小説も違うものになっていたのかもしれないな、と思ったりもします。
─ 磯憲先生が最初に登場する「スロウではない」は、運動会のリレーの話ですね。
当時の担当編集者と子供の話をしていて、運動会のリレーの話題になって、そこで
─ ここには映画『ゴッドファーザー』の〝ドン・コルレオーネごっこ〟も出てきます。
あれは『ガソリン生活』やほかの長編にも入れようと思って、結局入れられなかったネタなんです。ようやく、ここで使うことができました(笑)。
マフィアのボスであるドン・コルレオーネに相談すれば何でも解決してくれる。まあ、解決といっても、「うむ。では、消せ」という怖い解決なんですけど(笑)、子供がこういう遊びをしたら、ちょっとはストレスを発散して癒されるかなと思って。
─ 「アンスポーツマンライク」ではYouTuberの存在も関係してきますが、今までの作品にはあまり出てこなかったですよね。
この作品に限らず、YouTubeや今のSNSをどれくらい小説内に取り込んでいいのか悩むことが多くて、あまりそこに頼りたくないなとは思っているんですが、YouTubeは子供たちにとってはテレビ以上に身近なのかなと感じることも多いですし、今回のような子供たちの作品の中に、まったく出てこないのは不自然な気がしたんですよね。この短編はバスケットボールが関係してきますけど、1on1だったりコーチングだったり、NBAのことだったり、いろんなチャンネルがあって、ほんと上手い人や華がある人がいて感動することもあって、そこから、「こんなことがあってもいいんじゃないかな」と想像を膨らませてみました。「アンスポーツマンライク」はもともと、映画『ピクセル』みたいに「子供時代の友達同士が大人になって」というのをやりたくて、長編のアイディアだったんですよ。この短編集に入れたくなって、短編に凝縮したので、自分では贅沢なことをしたなあ、と思っています(笑)。
─ ラストの「逆ワシントン」は少年たちの日常の冒険といった雰囲気ですよね。
最後にどういう話を書いたらいいのかかなり悩んじゃいまして、ああでもないこうでもないと何パターンか書いた結果、その前の、「アンスポーツマンライク」が派手だったので、その反動といいますか、バランスを考えて、派手さはない感じになりました。作中のお母さんが家の掃除を終えるときに「はなはだ簡単ではありますが、これでわたしの掃除に~」と言う場面がありますが、あれはうちの奥さんがいってるのを参考にしたんですよね(笑)。短くて、比較的シンプルな話ではあるんですが、それをどうやったらおもしろく見せることができるのか工夫したつもりで、内容は地味ですけど、個人的には一番苦労した短編でした。
二十年小説を書き続けて
─ 今年はデビュー二十年ということですが、この二十年を振り返って、いかがでしょうか。
もう二十年も経ったのか、という気分で、実感はまるでないんです。ただ、小説を書くことで二十年も暮らせてきたというのは、ほんとにラッキーだったというか、恵まれていたんだなと思います。
時代の流れもあってのことだとは思いますが、デビューしたてのころには、二十年後もまだ書き続けているなんて、予想もしなかったですし、こんなにたくさん小説を書くとは思ってもいませんでした(笑)。
─ 出版界全体の状況からいっても、この二十年、コンスタントに書き続けていくのはものすごく大変だったと思います。
東日本大震災が九年前で、ちょうど小説家生活の半分の時期に当たりますが、あのときも、「ずいぶん、長いこと小説の仕事をやってきたな」と思った記憶があるんです。あれからまた同じぐらいの年月が経っていることになるんですもんね。長いな(笑)。
─ 小説を書き続けるのに、何が駆動力になっていると思われますか。
もともと、おもしろい話を思いついたらみんなに伝えたい、みたいなところがあって、子供のころから、自分が観た映画をこんな映画だったよってちょっと脚色してしゃべったりとかしていたんですね。だから小説を書くのも、こんなおもしろい話を思いついたから誰かに聞かせたい、みたいなのが根底にはあるのだろうと思います。おそらく最初の十年ぐらいはそうした気持ちと、仕事をくれた編集者の期待に応えなくてはいけないというところで書いてきたんだと思います。
デビューしてから十年過ぎたあたりから、もうさすがに疲れたよねという気持ちになってきて(笑)。ただ、その少し前だと思いますけど、井上ひさしさんにお会いしたとき、井上さんが「あなたにはたくさんの読者がついてるから、たとえば十人が読んだら三人は絶対に無条件に褒めるし、三人は絶対無条件に批判する。だから残りの四割の人を意識して書きなさい。ものを作る人ってそういうもんだよ」っていってくれたんです。
井上さんのいわんとすることは分かって、気持ちが楽になったんですけど、僕は小説だけはけっこう負けず嫌いなので、その、「何を書いても批判してくる三割」の人にもおもしろいと思ってほしいなあ、と思って。もちろん具体的な誰かというわけじゃないのですが、その三割におもしろいっていわせたいというのが、たぶんそれからの十年の、小説を書く原動力になっていたように思います。もしここで小説を書くのをやめたら、僕を批判する人たちが勝ってしまう、みたいな気持ちがあって、それでやってきたのだと思います。
─ 短編の「逆ソクラテス」が刊行されたのが二〇一二年五月ですから、今度の本は、まさに後半の十年のあいだに書かれたことになりますね。
そうですね。先ほどもいいましたけど、このテーマで本にしたいとずっと思っていたんですけど、なかなか書けずにいた時期もあって、十年近くかけてようやく本にすることができました。
ここまで、デビュー前には想像もしていなかった数の小説を書いてきましたから、さすがにもう出し尽くしたぞ、という気持ちにもなるんですが、この『逆ソクラテス』のような小説を書くことができて、まだもう少しはいけるかなという自信にもなりました。
『逆ソクラテス』は僕からすると、普段の僕の小説よりはシンプルでストレートな雰囲気があると思うんです。デビューしたときは、奇妙奇天烈な話を書きたい、という気持ちが強かったので、そのころに、『逆ソクラテス』的な小説を発表していたら、そこで終わってしまっていたような気がするんですよね。二十年経って、現実的な世界を足場にしながらも、僕らしいテイストを出せるものを書けるようになったとも思っていて。コアなファンが読んでも、伊坂幸太郎の小説だと思ってもらえる作品になったろうと思うし、これまで僕の作品を読んだことのない人にもおもしろく読んでもらえるのではないかと思っています。
─ それこそ本好きの小学校の高学年なら、十二分に読めると思います。
これまで、自分の作品を子供に読んでもらいたいと思ったことはなかったんですけど、今度の本は、いつもの僕の読者だけじゃなくて、うちの子やその年代、もっと下の小学生にも読んでほしいなあ、と少し思うんですよね。五十年近く生きてきた僕が、その中で考えてきた裏技じゃないけど、難題を攻略するルートのひとつとして思い至ったものがいろいろ入っていますし、それが今の子供たちにとってもアイテムというか、ヒントになるような、いや、ならなくてもいいんですけど(笑)。
いつもは読みたい人が読めばいい、といった気持ちがあったんですが、今回は大勢の人に読んでもらいたい気持ちが強いんですよね。十人読んだら八人ぐらいに褒めてもらいたいです。無理かな(笑)。
『逆ソクラテス』内容紹介
逆転劇なるか!? カンニングから始まったその作戦は、クラスメイトを巻き込み、思いもよらぬ結末を迎える――「逆ソクラテス」
足の速さだけが正義……ではない? 運動音痴の少年は、運動会のリレー選手にくじ引きで選ばれてしまうが――「スロウではない」
新たに赴任してきたのは、覇気のない「うらなり」な教師。非常識な授業妨害を行う生徒に対してもどこか上の空なのは、一体なぜ?――「非オプティマス」
最後のミニバス大会。五人は、あと一歩のところで、〝敵〟に負けてしまった。アンハッピー。でも、戦いはまだ続いているかも――「アンスポーツマンライク」
「虐待されているんじゃないか」。友人を救うべく始まった少年たちの小冒険は、大人たちの想像の逆を行く!――「逆ワシントン」
伊坂幸太郎
いさか・こうたろう●作家。
1971年千葉県生まれ。東北大学法学部卒業。2000年『オーデュボンの祈り』で第5回新潮ミステリー倶楽部賞を受賞しデビュー。04年『アヒルと鴨のコインロッカー』で第25回吉川英治文学新人賞、「死神の精度」で第57回日本推理作家協会賞(短編部門)、08年『ゴールデンスランバー』で第5回本屋大賞・第21回山本周五郎賞を受賞。著書に『重力ピエロ』『終末のフール』『残り全部バケーション』『AX アックス』『ホワイトラビット』『クジラアタマの王様』、阿部和重氏との合作『キャプテンサンダーボルト』等多数。