[本を読む]
驚いて手に取り、驚いて何度も読み返す、
直木賞作家による漫画作品集
作家としてデビューする以前のコピーライター時代には、好んで絵コンテをよく描いていた、と聞いた。毎日新聞で連載されていたエッセイ(『極小農園日記』所収)のイラストを、自ら申し出て描いたことも知っていた。絵は昔から好きで、描くことが楽しく、一時期は絵画教室にも通ったと伺ったこともある。
でも、だからといって、である。
三年半ほど前、『海の見える理髪店』で直木賞を受賞され、作家生活二十周年を目前にしての取材時に、「今後どんな作品を書いていきたいですか?」と、ごくありきたりな質問をしたところ、「漫画を描きたいんだよね」と、想定外すぎる応えが返ってきたのだ。思わず「はぁ??」と、失礼極まりない問い返しをしてしまったほど驚いた。
好きこそ物の上手なれ、とは、言うは易く行うは難しだ。なにも直木賞作家が、わざわざ苦労して漫画なんて描かなくても。私だけでなく、たぶん多くの人がそう思っただろう。そんなに簡単に描けるものでもなかろうに、とも。
ところが、その翌年の二〇一七年、「小説すばる」に十ページの短編「祭りのあとの満月の夜の」が掲載され、以来、漫画家・荻原浩は作品を発表し続けてきたのである。
その初の作品集となる本書に収められた八作は、自著のコミカライズではなく、全てオリジナル作品だ。多彩な荻原作品のなかで敢あ えて世界観が近いものを選ぶなら『押入れのちよ』、『月の上の観覧車』、『逢魔が時に会いましょう』だろうか。ユーモアと郷愁、少し怖くて切なくて優しいけれど、すっと背筋が伸びる。「ある夏の地球最後の日」は、最後の一コマ以外に一切のセリフもト書きもない。「夏」と書けば一文字、「少年」と書けば二文字ですむのに、時間をかけて絵を描き物語を「見せて」いく。
自己満足ではなく、読者を楽しませる域に達するまでの苦労は当然あっただろう。けれど、それは挑み甲斐のある挑戦だったに違いない。直木賞作家が、漫画「だから」描きたかった世界は、想定以上の驚きに満ちている。
藤田香織
ふじた・かをり●書評家