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インタビュー/本文を読む

オーダーメイドの香水を作る天才調香師を描く「透明な夜の香り」千早茜インタビュー

[インタビュー]

執着と愛着の違いを人に尋ねたい

完全紹介制でオーダーメイドの香水を作る天才調香師・小川朔おがわさくのもとには、今日も謎めいた依頼が舞い込んでくる─。
千早茜さんの最新刊『透明な夜の香り』は、「香り」にまつわる長編小説。家事手伝い兼事務受付のアルバイトとして朔のもとで働き始めた主人公・若宮一香わかみやいちかは、独自のこだわりを持つ朔や、「特別な香り」を求めて訪れる個性的な依頼人たちと関わっていくなかで、少しずつ自分の過去とも向き合っていきます。
刊行にあたって、千早さんに本作への思いをうかがいました。

聞き手・構成=山本圭子/撮影=山口真由子

匂いと感情はものすごい速さで結びつく

─ 亡き兄について人に言えない秘密を抱えていた一香が、ひきこもっていたアパートをでて、調香師・朔の洋館でアルバイトとして働きだすところから物語は始まります。香りが大きな意味を持つ作品ですが、執筆のきっかけは何だったのでしょうか。

 私自身、嗅覚が鋭いほうなんです。梅雨の時期は乗客の体臭が気になって、バスに乗れないくらい。湿度が高いと香りが伝わりやすいのかもしれません。嗅覚が鋭くていいことはあまりなくて、食べものの匂いにも敏感で、外食がしにくかったり。本作にも書きましたが、台所のスポンジは匂いがつきやすいから使い分けないとダメ。人より突出した部分が才能だとするならば、私の才能というか特質は全然使えない(笑)。足が速かったらスポーツ選手になれるかもしれないけれど、鋭い嗅覚はむしろ邪魔だなと普段から感じていました。そこから天才的な嗅覚─あまり得にならない才能─を抱えた男が、避難所みたいな場所でゆっくり再生していく様子を書きたいと考えたんです。ただ、天才の一人称で天才が見た世界を書くのはすごく難しい。そこで彼を見つめる普通の人として、主人公の一香を設定しました。彼女のキャラクターは、天才の朔が興味を持つのはどういう女性だろうと想像しながら作っていきましたね。

─ 朔は客のオーダー通りの香りを作れるうえ、物質の匂いだけでなく人の噓の匂いまで嗅ぎ分けられる。特異な才能が彼の性格を複雑にしている感じがします。

 一香が洋館で働く条件のひとつとして、朔は「噓をつかないこと」を挙げますが、ずいぶんな要求ですよね(笑)。噓に匂いがあるかどうかはわかりませんが、自分の経験から考えると「この人、噓ついたな」とわかるときは理由を説明できない。目に見えないという意味では匂いと同じで、本能で判断している気がします。

─ 朔が調香に使う植物名などがかなり具体的に書かれていましたが、取材もされたのでしょうか。

 もともと香りのお店に行くのは好きでしたが、今回は調香師さんにもお話をうかがいました。ただ、見えないものなので、匂いの世界にははっきりした正解がないそうです。なので、他の小説に比べると想像で書いた部分も多いのですが、ひとつ確かなのは「嗅いでしまうと脳は止められない」ということだとか。例えば、ミントの香りを嗅ぐと、脳はすぐに記憶をさかのぼって「この匂いはミントだ」と判断しようとする。記憶にはその匂いにまつわる思い出もふくまれています。匂いが嫌な人と恋愛できないのは、思考が追いつかないほどの速さで匂いが感情と結びつくからかもしれません。どんなに訓練された調香師さんでも、匂いと結びついた記憶を思いだしたくないときは「嗅がない」という方法をとるしかないとおっしゃっていました。

─ 匂いと結びついた記憶を思いだしたくない。その感情は物語の大きな鍵になっていますね。

 そうですね。どのタイミングでそのことをだすか、ずいぶん考えました。

日本と海外では香りのつけ方の発想が違う

─ 物語の主な舞台は、朔の住居兼仕事場である洋館と薬用植物や香料植物、薔薇などが植えられた庭。そこに出入りするのが一香、朔の友人・新城しんじょう、そして庭の手入れをする老人・源次郎げんじろう(源さん)です。新城と源さんは孤独な朔の良き理解者ですね。

 もともと私は天才に幸せそうなイメージを持っていなかったので、朔は自然に、リアルさは意識せず、イメージで書いていきました。新城は探偵ですが、今まで書いてこなかった職業。「探偵をだすんだ」と自分でも驚きましたが(笑)、朔からいじられるようなキャラが立った人物を書くのは楽しかったし、ギャグっぽいシーンを書くのも面白かったですね。

─ 新城は外見的にはうさんくさいですが、調子がよくていいヤツ。調香師の朔に、オーダーメイドの香水の顧客を紹介しています。本作は八章からなる長編小説ですが、自分の欲望をかなえる香りを手にしたい人物が、各章にひとり洋館を訪れるという形式になっています。

 一章ごとに小さな謎を入れました。たとえば顧客が女優の章では、彼女が美しくなる香りを求めていると思いきや実は……、という起承転結で書いていますが、同時に物語全体では朔と一香、それぞれの秘密が少しずつ明らかになっていくという構造です。私はあまりテレビドラマを見ないのですが、たまたま見たテレビドラマがそういう形になっていて、やってみたいなと思いました。

─ 一話ごとの完結感を楽しみつつ、朔と一香の過去に何があったのか、どんどん気になっていきますね。そんな流れのなかで丁寧に描かれているのが、源さんが手入れをする庭の風景です。植物の色や匂いまで伝わってくるようでした。

 庭の景色を季節ごとに、一年を通して描きたいということは最初から考えていました。洋館とか薔薇園とか、完全に個人的な趣味ですね。それがでてしまっています。

─ 一香は朔に「働く間は身体や髪や衣服を洗うもの、肌に塗るもの、すべて自分が調香した品を使って欲しい」と言われます。また食料品の選択や料理も、彼から細かく指示される。自分の嗅覚や世界に対してとても繊細な朔の姿が印象的です。

 朔は若干モラハラな感じもしますが(笑)、調香師さんにお話をうかがったら、ご自身の生活にとても気を使われていたんです。健康じゃないと匂いを正確に感じられないから、みなさんとにかく生活をちゃんとされている。風邪をひかないようにというのはもちろんですが、コンビニに入らないという話も。食べ物にも気をつけていらっしゃるようでした。

─ そういえば、洋館で働き始める前、一香は菓子パンを食べて「甘い。油っぽい。けれど、それ以外の味がよくわからない」と感じていました。当時は味覚だけでなく、嗅覚もにぶっていたのでは、という気がします。

 味覚や嗅覚はかなり生活に影響を受けると思います。生活が乱れると濃い味や匂いしか感じられなくなる。私は柔軟剤の強い香りが苦手ですが、調香師さんに聞いた話では結局香りは圧力なんだとか。つまり基本的には香りはないほうがよくて、体調が悪いときは服やからだにつけてはいけない。特に女性は、生理のときなどは敏感になりやすいので注意が必要だと。調香師さんによると、衣服に柔軟剤で香りをつけるのは日本的な発想だそうです。海外では香水をからだにつけますが、昔から日本では香りを衣服にたきしめていた。その理由は、日本人が自分たちは無臭だと思っているからだと。でも、海外の人には日本人の体臭がわかるみたいです。

─ 千早さんは獣医(病理学)のお父様のお仕事の関係で、小学生時代の四年間ほどをアフリカのザンビアで過ごされたそうですね。先ほど「嗅覚が鋭いほう」とおっしゃっていましたが、そういった経験も影響しているのでしょうか。

 どうでしょう……。小さい頃、解剖の仕事から帰った父の手から臓物の匂いがしていたのは覚えています。アフリカは乾燥した土地なので、あまり匂いはしていなかったというか、伝わりにくかったかも。むしろ湿度の高い日本のほうがくさいと感じることが多いかもしれません。お風呂場のもわーっとする匂いとか、独特だなと思います。

もっともっとと求めるとゆがむのが愛情

─ 本作に話を戻すと、五章から警察や刑事の木場が物語に絡んできて、新たな展開を見せます。探偵の新城に「二十三歳の失踪した娘を探してほしい」という依頼が両親から来て、朔がその嗅覚を使って協力し、真相に迫っていく。謎解きの要素が大きいと同時に、執着と愛着について考えさせられる内容でした。

 全部で八章なので、このあたりから盛りあげていこうと考えました。本作はエンタメを意識して書いたので、私にしては珍しく警察や刑事を登場させましたが、「本当に大丈夫?」と心配になって。もともと動きが少ない作風なので、「ここまでストーリーを動かしていいの? あまりにもエンタメ過ぎない?」と悩んだんです。担当編集者と相談しながら書いた章ですね。執着と愛着については、その違いや境目を私はよく考えるし、いつも考えていたい。それが表れていると思います。

─ 五章の事件をきっかけに、朔は自分が一香にいだいているのが執着なのか、愛着なのか、考えるようになります。天才的な嗅覚があるがゆえに、生活全般にこだわりを持たざるを得ない彼が自分の感情をどう認識していくのか。読みながら、こちらもその違いを問われているようでした。

 執着と愛着については、本作以外でもよく考えていますね。愛情ってすぐに「もっともっと」と求めたくなって、ゆがんでしまうもの。そういう意味では、朔もけっこうゆがんでいますよね。「どうやってゆがまないようにしていくか」と考えると……やっぱり難しいですね。相手のことをどんなに考えても、一体化できるわけではないから、「彼(彼女)はこう思っているだろう」と想像するしかないですよね。
 多分私はそれを人に尋ねたいのだと思います。「愛情についてこういうことを私は考えているんだけど、みんなはどう考えてる? 気づいてる?」と。だから作品のなかで「じゃあどうする?」と考えるわけですが、そこで答えをだそうとは思っていないんです。小説は結論のためには書けない、書いてはいけないと考えています。

こだわらないということを続けたら、
人生の味がなくなってしまう

─ 刑事の木場についた匂いから、彼の息子が入院していることを察知した朔が、木場からある香りをオーダーされるのが六章です。木場と息子のすれ違う思いが伝わってきて切なくなりましたが、この親子と関わったことをきっかけに、朔は一香に自分の過去を話し始める。朔が過去とどう向き合っていくかは、後半の読みどころのひとつですね。

 実は、私は作品のなかに子どもをだすのは苦手なんです。子どもが登場するエピソードは単純にわかりやすいものになりがちで、好みではないんです(笑)。でも、朔の生い立ちからの回復を書くなら、子どもを登場させることが必要だと思いました。さきほども言いましたが、今回はエンタメを意識して書いたので、必然性ということをすごく考えました。

─ 朔だけでなく、一香も過去からの回復を必要としていたわけですが、彼女がすべてを告白する場面では秘めていた思いの重さ、複雑さに胸が痛くなりました。

 彼女が兄に対して持っていたのは、匂いにまつわる残酷な感覚です。本当につらいけれど、それをどうすることもできない。だからこそ、その救いのなさを書きたいと思いました。

─ 一香を通して、生きる力はどこから生まれるのだろうということも考えさせられました。まずできるのは衣食住のいろいろな場面で「考える」「選ぶ」ということであり、それを放棄しないということでしょうか。

 そうですね。私は毎日、何を食べるか考えるのがすごく楽しみなのですが、疲れると「無」みたいになる。スーパーに行っても、何も決められないんです。最近はこだわらないでいることがとても簡単で、たとえば献立決めをアプリに任せてしまうこともできますが、それを続けたらどうなるんでしょう。選ばない、考えない、こだわらないということを続けたら、人生の味がなくなってしまう気がしますね。

─ ところで、デビューされて十年以上が過ぎましたが、小説家になってからの年月をどう感じていらっしゃいますか。

 すごく充実していますね。コンスタントに本をださせてもらえているし、あまり不満はありません。次は何を書こうと考えたり、取材に行ったりするのが楽しいので、死ぬまでこの生活が続けばいいなと。私は小説家になってものすごく救われたと思っているんです。さきほど執着と愛着、考えることや選ぶことの話になりましたが、小説家になる前もそういうことをぐるぐる考えたり、口にだしたりしていた。周囲に「なんでそんなことを考えるの?」と言われていましたが、今はそれを小説に書けるのでとても楽なんです。ただやっぱり「人はなぜわかりあえないんだろう」と感じることは多いし、わかりあえなさを小説にもしている。それでも、無理にわかりあう必要もないとも思っているんです。私自身、自分のことを憶測で決めつけられるのがすごく嫌なんです。だから、たとえ完全にわかりあえなくても、相手が持つ「感覚」や「気持ち」を丁寧に確認しながら寄り添っていく、ということを大切にしていたいと思っています。

─ 最後に、千早さんが朔に香水を作ってもらえるとしたらどういうオーダーをしますか。

 えっ、それは考えたことがなかったですね。なんだろう……普段、身につける香りではなく、自分だけの秘密の香りにするでしょうね。

千早 茜

ちはや・あかね●作家。
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神(いおがみ)」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。著書に『あとかた』(島清恋愛文学賞)『男ともだち』『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『わるい食べもの』『神様の暇つぶし』等多数。

『透明な夜の香り』

千早茜 著

単行本・集英社刊・4月3日発売

本体1,500円+税

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