[受賞エッセイ]
好きな人のことを、好きなように
「すみません、私事の報告ですが」と、直属の上司に受賞のことを伝えると「え、どういうこと? 作家? 今、辞められたら困るよお。まあ、とりあえずおめでとう」とかわいらしい動揺を見せて、課長にも電話をしてくれた。「ええ、佐藤が小説の新人賞を受賞したとか。ええと小説すばる。小説は漢字で、すばるはひらがな……え、知ってる? あ、けっこう有名? そ、そうなんですね。はあ、なんかすみません」そのやり取りを聞いた私は、改めて「本当に受賞したのだなあ」と思った。
これまで私は自分の好きな本を好きなように読んでいる、そんなごくありふれた読書好きだった。高校生の頃に一度だけ、小説を書いたことがある。古文が好きだった私は、授業で知った万葉集の
社会に出てからは、毎朝シフト通りに仕事へ行き、ミスの許されない仕事に集中し、くたくたになって帰宅して寝る。そしてまた朝が来て電車に乗って、の繰り返し。社会人は怒られることはあっても褒められることはない。給料日にちょっと贅沢をして「私、頑張った」と自分で自分を褒めてあげるのだ。そんなある日、仕事で理不尽な目に遭い、悔し泣きをして帰った。夜の電車で独り泣きする三十路女。当然、誰もが見て見ぬふりをしている。電車の暗い窓に映る自分のひどい顔を見てふと、思った。「私、これでいいのか」と。一度きりの人生、何か一つ、自分の好きなことをしてもいいではないか。
私の好きなことってなんだろう。その時、私はようやく思い出した。古文が好きだったこと、文章を書くことが好きだったことを。その日以来、私は、現実逃避のために、仕事の後や休日に小説を書き始めた。
どうせ書くなら好きなことを書こうと思い、
炎のみ虚空に満てる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし
若くして甥の
ただ純粋に好きな人のことを好きなように書いた。書いている間は、本当に楽しかった。没頭しすぎて気づくと夜中。
「げ! 明日、仕事じゃん!」なんてことはざらだった(何も文句を言わなかった夫に感謝している)。書いていくうちに書きたいことがどんどん溢れていって、登場人物たちが勝手に会話を始めることもあった。最初に私が想定していたものとは異なる伏線が次々と生まれ、それを回収していくうちに物語は自然と終結へ向かっていった。私の知らなかった結末へ登場人物たちが導いてくれた、そんな感じだった。
私は歴史の専門知識もなければ、本格的に和歌を学んだこともない。そんな私が実朝のことを想像した時、それは「文弱な悲劇の将軍」ではなく、「美しい
次の物語は、どんな物語になるだろう。好きな人のことを好きなように想像していた私は、作家としてその人たちのことを「書く」チャンスを頂いた。まだ、私の心の中で眠っている彼らをこれから起こしていこうと思う。私の好きな人のことを、今の世に生きる誰かに好きになってもらえたらいい。それが私の小説に込める、ささやかな願いだ。
「青春と読書」1月号に掲載
撮影=藤澤由加
佐藤雫
さとう・しずく
1988年香川県生まれ