[受賞エッセイ]
わたしの正直な体
自分の書いた小説について語るのは困難なことだなと思います。小説は読んでくださった方のものです。どう読むか、どう受け取るか
三十歳か、五十歳か、七十歳の時か。いつかは分からないけど、生きている間に本を出すのが夢でした。東京の本屋には本がたくさんあります。こんなにたくさん本があるのだから、わたしの本がないのはおかしいと思う日と、これだけたくさん面白い本が溢れているんだから、わたしは作家になれないと思う日がありました。
「犬のかたちをしているもの」の執筆期間は三か月ほどでしたが、書き始める数か月前から何かを書かなきゃと考え続けていました。でもその何かが分からなくて、しんどかった。その年、三十歳になりました。同世代の友人たちは、大きな仕事を任されたり、転職してキャリアアップしたり、夜間大学院に通っていたり、子どもを産み育てていたり、それぞれがすべきことをし、前に進んでいるように見えました。対する自分は仕事にやりがいを見いだせず、ただ生活のために働き、小説も書き進められず、応募締切に間に合わないかもと焦っているくせに、酒を飲んだり無意味にスマートフォンをいじったりしているだけ。出したってどうせまた落選だ、誰にも読んでもらえないんだと腐り、だけど、それでもこれを書き上げて応募したかった。大げさなようですが、三月末締切のすばる文学賞に応募できなかったらわたしはわたしを見限るだろう、とそんな気持ちでした。今思うと、仕事の繁忙期が重なっていたこともあり精神状態がめためただったのだと思います。
応募締切間際になってなんとか書き上げたのですが、困ったことになりました。黒いひもがなかったのです。応募原稿を綴じるひもです。毎年やり方が分からず「小説 応募 原稿 綴じ方 ひも」で検索する、あの黒いひもです。コンビニプリントで原稿を印刷してから気づきました。家に黒いひもがないこと。
選考会の日は、朝からげりが止まりませんでした。無論、極度の緊張のためです。汚い話で大変恐れ入ります。その日は水曜日で日中は仕事だったのですが、げりは昼前から始まりました。食事も喉を通らず、緊張がこんなに顕著に体に出るのは初めてのことだったのでこれはすごいぞと妙な感動がありました。仕事と言いつつ、パソコンに向かって座っているだけで頭の中はぐるぐると、まさしくぐるぐると様々なことが浮かんでは沈み、再浮上しては砕け散る、を繰り返していました。その間もげりは数十分置きにやってきて、その周期を持った腹痛に、選考結果が告げられる時間が近づいていることを感じました。
選考結果の電話を待っている間落ち着かないので、連絡を受けた時になんて言うか想像して書いていました。落選パターンと受賞パターンの両方、各三十種類くらいずつ。でも、実際に「受賞しました」と言われた時は用意していた言葉は何も出ず、というより喉がきゅっと締まって声が出ませんでした。数秒ののち「本当ですか」と尋ねました。声って震えるんだ、と思いました。
嬉しかったかというと、そりゃもう当然跳び上がるほど嬉しかった、のは一瞬だけで、あの日から今日まで手放しで心が喜びだけになった瞬間というのは、受賞の連絡を受けたあの時だけのことです。それ以降は、やっていけるのか、何が書けるのか、何が書けるかって自分の中にあるものしか書けない、じゃあ自分の中には何があるのか、と悶々と問い続けて、嬉しいより苦しいが大きいです。問い続けていくしかないのだと思います。自分の中身を検分するのはとてもこわいです。それでも
かつてないプレッシャーによって、げりは相変わらず今日も止まりませんが、げりのおかげでエッセイがひとつ書けるのだからげりになってよかった、まさしくひねり出したってやつだ、とも思っています。
「青春と読書」1月号に掲載
撮影=中野義樹
高瀬隼子
たかせ・じゅんこ
1988年愛媛県生まれ