[対談]
佐藤 雫×村山由佳
冷静に、誠実に、小説を「たくらむ」
第32回小説すばる新人賞を受賞した佐藤雫さんの『
和歌を愛した実朝、公家出身の妻・
構成=砂田明子/撮影=冨永智子
実朝をめぐって夫婦喧嘩に
村山 受賞作、すごく引き込まれました。私は舞台となる鎌倉時代の歴史に明るくなく、時代小説をそれほど読みつけてもいないのですが、読んでいると、鎌倉時代の風景や登場人物の顔、衣装などが、目の前に展開されていくんです。これは凄いなと。何の無理もなくその世界に連れていってもらえる小説を書くなんて、佐藤さんはどれだけ源実朝や、この時代が好きなんだろうと思ったんです。
佐藤 ありがとうございます。時代としては、奈良時代や平安時代といった古代のほうが好きなんですが、源実朝は昔から好きだったんです。今私が書けそうなのは源実朝かなと思って、改めて調べて書きはじめたという感じです。
村山 実朝なら書けそう、と思われた決め手は何だったんですか?
佐藤 いくつかあって、まず、実朝は二十八歳で亡くなっています。私のほうが少し上ですが、世代が近いこと。それから、当時、仕事で行き詰まっていた時期だったこともあり、将軍という自らの運命と葛藤しながら生きた実朝と、その時の自分が重なったんです。
村山 そういうアプローチだったんですね。いわゆる“推し”をみんなにわかってほしい、みたいな感じなのかなと思ったんですが、それだけではなくて。
佐藤 もちろん私の推しである実朝を、みんなに好きになってもらいたいという思いも強かったです。というのも、以前、鎌倉の鶴岡八幡宮に夫と行った時、実朝を夫に悪く言われまして……。
村山 えっ。何て?
佐藤 将軍なのに和歌ばっかり詠んで、しょうもない男子、へたれ、みたいな言い方をされて、もやっとしたんです。
村山 なるほど(笑)。旦那さんの意見は、当時の武将たちの感覚と似ているところがあるのかもしれませんね。
佐藤 はい。夫婦喧嘩にはなりましたが(笑)、そういう印象を持っている人もいるんだと知ることができました。それで、へたれなどではない実朝の本当の姿を、私の中の実朝を知ってもらいたいと。書くなら実朝だと思ったんです。
村山 選考会では、実朝という人物の歴史的役割をはっきりさせてくれた功績だけでも、この作品は評価できるという意見もありました。それから、目に見えるものの奥にある大自然や宇宙を歌に詠む人物だということを踏まえた上で実朝の人物像を組み上げていて、その文学的精神に感動したと仰った先生もいらっしゃいました。
そもそも佐藤さんは、いつ頃から小説を書こうと思われていたんですか?
佐藤 二〇一八年の一月で、先ほどお話しした、仕事で辛いことがあった時期です。学生時代から古文の授業が大好きだったのですが、手に職をという気持ちで、全く違う分野の今の仕事を選んだんですね。やりがいはあるのですが、ふと、私はこのままでいいのかなと思って。地道にコツコツ仕事をしてきたけれど、一度くらい自分の好きなことを思い切りしてみてもいいんじゃないかと。で、私の好きなことといえば古典と、通勤時いつもしている読書だから、その二つをつなげて何か書いてみようと思ったんです。
そういう気持ちになってからは、作者はどういうたくらみを持って書いているのかを考えながら小説を読むようになりました。この伏線があるから、こういう展開になるのね、とか。そういう読み方を始めてから、自分にも小説が書けるかもと思うようになっていったんです。
村山 そこからこれだけ乱れのない作品が書けるというのは、よほど読んでこられた?
佐藤 中学生くらいから、本はずっと読んでいました。でも受賞作は二作目で、一作目は別の賞に応募して落選してしまったんです。本当に、まだ書きはじめたばかりという感じです。
「凡庸」という評に悩んだ
村山 作品を読ませていただいた時から、佐藤さんは冷静に物事を見る人だという印象を持っていましたが、話を伺って、その思いが強まりました。実朝についてもとても冷静に、書けると判断されていますよね。大好きだからとテーマに選んでも、その人物の中身を書くだけのものを持っていない新人さんって、少なくないんです。その結果、やりたいことはわかるし熱は伝わるけれど、惜しい作品になってしまう。歴史ものに限らず、なぜこの主人公にしちゃったんだろうな、という作品をこれまでにもたくさん見てきました。佐藤さんの作品は、冷静に、着実に、隅々まで目配りが行き届いていて、何よりそうした誠実な姿勢に好感をもって、今回は絶対にこの作品を推すんだと決めて選考会に臨んだんです。
佐藤 村山さんが評価してくださったと聞いて、とても嬉しかったです。
村山 これはお話しするかどうか迷ったのですが……、今回は二作受賞で、もう一作の『しゃもぬまの島』と佐藤さんの作品は、全く色合いが違う小説でした。『しゃもぬま~』は誰も見たことのない世界を書かれていて、それに対する評価は高かったわけです。一方の『言の葉は、残りて』は、安定感はあるけれど、見方によっては新しいものが少ないんじゃないか、先達が創り上げた世界をぶち破っていないんじゃないか、という意見が出たんですね。でも私は、確かに突出した目新しいものがあるわけではないかもしれない、けれど、自分が書きたい世界に対してこれほど真面目に誠実に向き合って、すべての登場人物に目配りをし、伏線を回収し、という丁寧な仕事ぶりが評価されなければ、同じように仕事をしてきた私も浮かばれないと思ったんです。
私は勝手に、佐藤さんの資質の中に、自分と似たものを感じとっていたんですね。デビューした時、選評で「凡庸」と言われてすごく悩んだ時期があったんです。でも、自分は尖ったものとか、目新しい武器では勝負できないから、持っている資質で勝負するしかないと思って、自分の見せたい世界に誠実に、ひたすらこだわって二十数年やってきました。それは正直、誰にでもできることではないと思っているんです。だから、もちろん佐藤さんはこれから新しい武器を手にすることがあるかもしれないけれど、今の持ち味はなくさないでもらいたいなと思っています。長々とごめんなさい。
佐藤 お聞きできてよかったです。ありがとうございます。
登場人物に恥をかかせたくない
村山 書いている時は楽しかったですか?
佐藤 はい。書きたくて、書きたくて。書きはじめるととまらなくなって、食事するのも忘れているという感じでした。
村山 体が細いのにエネルギーがあるんですね。やっぱりこの仕事、体力は絶対条件だと思います。渡辺淳一先生が仰っていました。作家たるもの、一と二は才能かもしれないけど、三、四、五は体力と運だよ、って。
佐藤 お陰様で体力には自信があります。ただ、最終選考に残った後、三日間ほど手直しをする期間があったのですが、その間は仕事もあったので、ハードスケジュールできつかったですね。それでも書かなくちゃと。それは、賞を取りたいというよりは、登場人物のためでした。選考委員の先生方の前に、登場人物たちを恥ずかしい姿では出せないと思って。
村山 自分の子供みたいだと、授賞式のスピーチで仰っていましたね。その感覚、すごくよくわかります。
佐藤 登場人物たちが恥をかかないように、母親としてできることは徹夜してでもやろうという気持ちでした。
村山 小説家にとって、今仰った「恥」の概念ってすごく大事だと思うんです。作品の質をどこまで高められるかに関わってきますし、もう一つ、選ぶテーマや人物の造形に深く関わっているのが羞恥心だと思うから。佐藤さんは、ご自身が恥ずかしい思いをしたくなかったのではなく、させたくなかったわけですよね。
佐藤 そうなんです。
村山 作家自身が恥ずかしいと思ってしまうと、自分にとって恥ずかしいことを書けなくなるんです。でも、多くの作家にとって、恥ずかしいことは大きな鉱脈です。私にとっては母親と性愛がそれだったわけですが、なぜ自分がこれを恥ずかしいと思うのか、そこを掘り起こしていくと、大きなものが横たわっているように感じています。だから、恥の概念が強いのはいいことだなと。
登場人物で言えば、
佐藤 北条時政の娘で政子の妹ですね。誰というわけではないですが、こういう人、いるなあと思って。
村山 わかります。ただ阿波局の場合は、なぜ彼女がそうなったのかが垣間見られるんですよね。
佐藤 読んだ人に実朝のことを好きになってもらいたいのですが、実朝以外でも、この人好きだなと思ってくれる人物がいたらいいなと。そのためには、たとえ脇役でも、その人なりの最後をちゃんと書こうと思っていました。小説を読んでいると、途中で出てこなくなって、あの人どうなったんだろうという登場人物がたまにいますが、私はそれが嫌なんです。どんな人にもその人の考えがあり人生があると思っているので、一人ひとり、その人なりの結末を迎えるように書いたつもりです。それを受けとってもらえたら、私の中のたくらみは成功したかなと。
村山 それから好きだったのは、「きぃん」。実朝が母の政子を前にすると聞こえる音で、めっちゃわかるという感じ。子供の頃、母親の前に出た時の自分を思い出しました。
佐藤 緊張するんですよね。これには私自身の経験も少し反映しています。母は、厳格というほどではないんですが、ちゃんと学校に行って、就職して、結婚して、子供を産んで、というのが女の幸せというタイプの人で、私はそういう母は母で好きだったので期待に応えようという育ち方をしてきたんです。
村山 小説家は何も無駄にならないですよね。
佐藤 本当にそうですね。
村山 人の心の多面性や複雑さを、深く推しはかるための手がかりに、小説がなってくれたらいいなと思うんです。そして小説を読み終えた時、読み始める前の自分とちょっと違う場所にいる。小説にそういうことができたら、もの凄い存在意義があると思うし、この作品はそういう小説になっていると思います。
面白い小説を書くことだけ
佐藤 私はまだ現代小説を書いたことがないのですが、テーマなどはどのように思いつくんですか?
村山 とくにデビューして最初の十年くらいは、自分が読んできた本や漫画、映画などから得た色合いや感触、後味といったものを、自分だったらどういう物語にして、どうやって差し出すだろうと考えることが多かったですね。たとえば『天使の柩』という作品のモチーフは映画の『レオン』だったんです。大きな悲しみを抱えながら生きてきた男性の心が少女によって開かれるという“村山流レオン”を書きたいなと。こんな風に、読み終えた時にどんな感触や色合いを残す小説を書きたいかをまず考えて、そこからストーリーを発想することも多いです。今は出口を決めなくても書けるようになりましたが、ある段階までは、入口よりむしろ出口が決まると書きやすかったですね。佐藤さんも、この物語の最後の情景は、わりと早い段階で見えていたんじゃないですか?
佐藤 確かにそうです。出口から考えていました。実朝が早くに死ぬことは読者も知っているから、この小説の登場人物だけの終わりがほしいと思っていて。
村山 素晴らしい視点だと思います。あと、実朝が妻の信子のことを「御台」ではなく、平仮名で「みだい」と呼ぶなど、それこそ言の葉に対する佐藤さんのこだわりが随所に見られるのもいいなあと。「美しい」と「うつくしい」では印象が違ってくる。私もけっこうこだわります。
佐藤 嬉しいです。そういうところも書いていて楽しかったです。ここは平仮名にしようとか、ここはあえて漢字を使おうとか。そういうたくらみを形にできるのも小説の面白いところだと思いました。
村山 新人賞を取ると、必ず次に書くものを聞かれると思いますが、佐藤さんには悪い意味での無謀な挑戦をしない冷静さがあるので、書きたいと思ったら、書きたいと思った瞬間に書ける気がします。
佐藤 ありがとうございます。今は書きたいテーマがたくさんあり、何から書こうか考えているところです。
村山 それは楽しみです。本が読まれないと言われて久しいけれど、私たちにできることって、面白い小説を書くことだけなんですよね。佐藤さんが今日何度か仰った「たくらみ」。それは小説を面白くするためのたくらみであるだけでなく、根底にはこれまで自分を育ててくれた小説へのリスペクトがあると思うんです。たくらみのある小説に動かされてきたわけですから。それを追求して、小説でしか味わえない感動のある小説をどんどん書いていってほしいと思います。
佐藤 はい、頑張ります。今日はありがとうございました。
村山由佳
むらやま・ゆか●作家。
1964年東京都生まれ。93年『天使の卵 エンジェルス・エッグ』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。著書に『星々の舟』(直木賞)『ダブル・ファンタジー』(中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞)『ミルク・アンド・ハニー』『燃える波』『猫がいなけりゃ息もできない』「おいしいコーヒーのいれ方」シリーズ等多数。
佐藤 雫
さとう・しずく
1988年香川県生まれ。「言の葉は、残りて」で第32回小説すばる新人賞を受賞。
『言の葉は、残りて』
佐藤 雫 著
2月26日発売・単行本
本体1,650円+税
あらすじ
鎌倉の若き三代将軍・源実朝のもとに、摂関家の姫・信子が嫁いできた。信子は実朝の優しさと鎌倉の海の匂いに包まれ、将軍を支える御台所としての自覚を深めていく。一方実朝は信子が愛する和歌の魅力に触れ、武芸ではなく「言の葉」の力で世を治めようと志すようになる。お互いを慈しむ二人の周囲にはしかし、黒い陰謀がうずまいていた。畠山家、和田家、そして北条家をめぐる血で血を洗う権力闘争の果てに、二人を待つ運命とは。