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対談/本文を読む

第43回すばる文学賞
高瀬隼子『犬のかたちをしているもの』

[対談]

高橋源一郎×高瀬隼子
東京と自分の田舎の違い、女性の息苦しさ……
何でこうなっちゃうんだろうということを書いていきたい

かおるのこと、好きだから大丈夫」
三十歳の薫は、卵巣の手術を経験して以来、男性と付き合ってしばらくすると性交渉を拒むようになった。しかし付き合って三年が経つ郁也いくやは、それを受け入れてくれていた。そんな中、郁也は別の女性を妊娠させる。その女性は堕胎が怖いので、とりあえず産むから、薫と郁也に子供を育ててほしいと言う─。
第43回すばる文学賞を受賞した高瀬隼子氏の『犬のかたちをしているもの』は、表題への興味を含め、この奇妙な三角関係がどうなるのか、冒頭から読み手を引き込んでいく。生殖、セクシュアリティー、人と犬への愛について、主人公の思考はぐるぐると駆け巡り、熱を帯びていく。同賞選考委員の高橋源一郎氏は、その思考と文体の「複雑さ」こそが、この小説の魅力だと評する。
十年間、一年に一作のペースで小説を書き、新人賞に応募してきたという高瀬さんに、小説でしか表現できないものとは何か、作家・高橋源一郎氏が真摯に問いかける。

構成=宮内千和子/撮影=山口真由子

「タイトルがいい!」は
選考委員全員が一致

高橋 すばる文学賞、受賞おめでとうございます。

高瀬 ありがとうございます。

高橋 今回受賞するまで、年に一作ずつ書いて新人賞に応募してきたそうですね。最初に新人賞に応募したのはいつですか。

高瀬 大学二年生くらいのときです。そのくらいで初めて自分で百枚以上の小説が書けるようになったので。

高橋 いろんな書き方、デビューの仕方があるけど、年に一作ずつ、十年がかりというのは、あまり聞いたことがありません。わりとゆっくりというか、着実に書いてきた感じですね。で、応募の選果はどうだったんですか。

高瀬 太宰治賞と林芙美子文学賞の一次が通ったくらいで、あとは全部落ちました。

高橋 それがいきなり、すばるの最終選考に残って、受賞。どうでしたか。

高瀬 もうびっくりしました。

高橋 うん、そうでしょうね。今までは僕も含めて高瀬さんの作品は誰も読んだことがないわけだから、今回の『犬のかたちをしているもの』イコール高瀬さんと印象づけられてしまう。多分、それを背負って、これから作家生活を送ってゆくと思うんですが、この作品を書く以前とこの作品の間にはすごく差があるように思います。そこにブレークスルーが起こったという感覚とか、印象はあったんですか。

高瀬 今まで書いてきたものも、自分が腹を立てていたり、もやもやとしたものをそのとき、そのときで書いてきたので、今回もそうしたテーマが混ざって出てきていると思います。

高橋 たとえばどんなテーマ?

高瀬 今、東京に出てきて九年、十年ぐらいなんですが、東京と自分の田舎との違いについてとか。あとは女性の息苦しさみたいなもの。その息苦しさを理解して書いていたというよりは、むかつくなという気持ちで書いていたところは、前からありました。

高橋 じゃあ今までの作品にも等身大に近い自分が投影された主人公が出てきたんですね。

高瀬 ええ。今回の『犬のかたち~』を書いているときは、とくに気持ちが荒れていた時期で。友達が子供を産んだり、産んでいなくても家庭を築いたり、転職してキャリアアップしていたり、頑張っている人が周りに多かったので、焦っていたんですね。で、毎日、もう嫌だ、やっていられない、むかつくと思って。

高橋 うん、なんかわかるなあ。

高瀬 読んでくださった先生の前で言うのも失礼なんですが、どうせ、これを書いても、また誰にも読まれないだろうなという気持ちもあって。すみません。だから、今回は今までで一番好き勝手に書いたという感じです。

高橋 今回、ちょっと小説の態度が悪いよね。そこがいい感じ。乱暴というか、そこまで言わなくてもいいよとか、キレているところがあって、多分、それがよかったと思う。今まで何かの枠の中にいた高瀬さんの、強いて言うと怒りが振り切れたみたいな感じかな。いやすごくおもしろかったですよ。強く推した者としてそれはちゃんと言っておかないと。

高瀬 恐れ入ります。

高橋 ところで、タイトルですが、何で『犬のかたちをしているもの』になったの?

高瀬 全部書き終わって、本文も印刷して、あとは表紙を印刷するだけになったとき、メモ帳に書いておいた何十個かのタイトル候補の中から選びました。

高橋 他にどんな候補があったんですか。

高瀬 『彼の子』『子供をもらう』『誰かの子』、他には、『愛』とか『お尻が冷たい』とか……。

高橋 ちょっとセンスがないなあ。下手だよねえ、タイトルつけるの(笑)。

高瀬 私、タイトルつけるのが苦手で。

高橋 でも『犬のかたちをしているもの』は、選考委員全員が「いいよね!」って言ってました。僕もタイトルを見ただけで、これはいい作品だという予感がしました。実際、その予感は最後まで裏切られなかったし。

高瀬 ありがとうございます。

書いている途中で
離陸できるか

高橋 『犬のかたち~』に関して言えば、いろんな女性作家のなごりとか、言葉使いとか、そんな影響がちょっとあるなと思ったんですが、当人としてはいかがでしょうか。

高瀬 やはり好きな作家さんの影響は受けていますね。島本理生さんとか、村田沙耶香さんはとくに好きで読んでいたので、読んでいるときに書くと、すごく引っ張られてしまうなという感覚はありました。

高橋 やっぱり共感するところは多い。

高瀬 多いですね。書かれている作家さんが、それを言いたいのかはわかりませんが、私はこう受け取って、勝手に救われたという経験が、その年々であるように思います。中でも村田さんの『地球星人』には、ガツンとやられて、あーっという感じになりました。

高橋 あれはガツンとくるよね。やっぱりそういう作品に刺激されたり、かき立てられますか?

高瀬 ええ。あまりにすごい作品を読むと、かき立てられるよりは打ちのめされて、しばらく自分のアウトプットは何もなく、日常生活で何度も思い出して、かみしめるということが、しばらく続くんです。

高橋 でも、また立ち上がってくると。

高瀬 はい、そうですね。

高橋 そして、今回の『犬のかたち~』にたどり着いた。小説って、ある程度構想があって書く人もいるし、設計図を終わりまで全部決めて書く人もいるし、ばらばらに書いてあとでくっつける人もいるし、人によって、作品によっても書き方は変わってきますが、これはどんなふうに書いていったんですか。

高瀬 私も、ほんとうなら設計図を書いて、プロットを立ててから書きたいと思っているんです。今までプロットがあって書けたものもありますが、今回は漠然と決めただけで、とりあえず書こうと思って、頭から書いていきました。最初の段階で決まっていたのは、二人がセックスをしないということと、誰かが子供をあげると言い出すということだけです。

高橋 「子供をあげる」と言い出すミナシロさんという女性、いい味出してるよね。小説をずっと書いているとわかるんですが、いいときは途中でうまく離陸する感じがある。それがなくていつまでたっても飛行機が地面を走っていたり、ときには止まっちゃうこともある。高瀬さんは、どの辺で離陸したなと感じました?

高瀬 主人公の薫が、祖母が危篤になって田舎に帰ろうとするけど、途中でそれを取りやめるあたりですかね。あの辺から手ごたえを感じ始めました。

高橋 なるほど。書いているとき登場人物たちはみんな、高瀬さんの思い通りに言うことを聞いてくれましたか?

高瀬 全然聞いてくれませんでした。私が考えているのとは違う方向に動き出したり、え、この子はこんな子だったの?とこちらが驚かされたり。たとえば恋人との仲を修復しようと主人公の薫がセックスをしようとする場面ですが、気がついたら反射的に彼の手を振り払っているシーンになっていた。自分では意識せずにああなっちゃったという感じです。

高橋 ああなっちゃった─いいですね。とても正しい書き方だと思います。

高瀬 あっ、ほんとですか。

高橋 ほんとです。書いている当人がわかっていると、つまらないでしょ。臨場感がなくなっちゃうから。わからないで書く方がいい。

「寄り道」は
小説の基本文法

高橋 小説の筋書きでいえば、別の女性があらわれて、彼氏の子を妊娠してて、子供をどうするかという話自体、陳腐と言えば陳腐な話でしょう。だけどこの作品に何かすごく臨場感やヒリヒリする感じがあるのは、一つは犬の存在だと思うの。いや、存在しない犬。だって主人公がいつも一番思っているのは、子供の頃きょうだいのように育ったという犬だよね。ロクジロウという名の。

高瀬 ええ、そうです。私自身の実感でもあるんですが、一緒に育ってきた犬が死んだとき、自分の中に犬のかたちをした穴があいてしまった。たとえ家族や恋人が死んでもそこまで大きな穴はあかないだろうと……。

高橋 うん、だからこの小説には常に死んだ犬が登場しているわけ。存在しない犬が。いわば三角関係ではなく四角関係で物語が展開している。それがいい感じを出していると思います。ドナルド・バーセルミというアメリカの作家に『The Dead Father』という僕の大好きな小説があるんだけど、死んだお父さんがいきなり出てくるわけ。死んでいるのに、歩いてしゃべっているから、みんな困るのね。でも、仕方なくお父さんを「デッドファーザー」と呼ぶようになる。この作家はこんなめちゃくちゃな設定で長編を一つ書いちゃった。つまり、そういうものがあると、すごくいろいろ自由に考えられる。
 高瀬さんの今回の小説では、デッドドッグだよね。「死犬」が人間たちを走らせている。いや、ほんとに、この構想はうまくいったと思います。

高瀬 ああ、なるほど。自分で思っていなかったことを、先生方が読み広げてくださって、自分で、あっ、そういう作品なんだと後になって思うことが多く、とてもありがたいです。

高橋 でもね、それはいい作品ってことです。書いた当人が全部わかっていたら、おもしろくないでしょ。書いた人間は、書くことにしか関与していない。あとは、そこに何があるか捜索隊が出て発見すればいいんです。

高瀬 捜索隊。今日は勉強になります。

高橋 さて、この作品が受賞して、作家としてこれを書かないと死んでも死に切れない、という次を作っていかないといけない。今、書き手として、そのあたりはどのように考えていますか?

高瀬 何でこんなのあるんだろうとか、何でこうなっちゃうんだろうということを書いていきたいですね。もちろん女性としてむかつくことは、多々、多々、多々ありますけど、それだけではなく、性別関係なく人間としてむかつくことを、書いていきたいなと。

高橋 あ、いいですね。

高瀬 二作目、三作目と書いているうちに、自分のむかつくことが空っぽにならないといいなと思います。まず、二作目、むかつきながら書き始めてはいます。

高橋 僕から言えることは、人間関係のパターンって、人が変われば全部違ったものになるから、とりあえずやってみることですね。というのが一つと、「犬のかたち」的なものが欲しいよね。

高瀬 犬のかたち的なもの……。

高橋 つまり、人間って、二つ同時に物を考えられるんだよね。恋愛していても、全然違うことを考えるでしょ。何かが気になる。それがあるといいと思う。

高瀬 うんうん、別の何かがあるということ。それが犬のかたちなんですね。

高橋 そう。何かにすごく向かい合っているんだけど、なぜかもう一つ吸引力のある別の視点が入っている。これがあると小説が立体的になる。いわば、寄り道です。いつも何かと向かい合っていると煮詰まるでしょ。だから違うルートを作る。それはどうでもいいルートじゃない。気にかかっているのによくわからないものだったり、高瀬さんが非常に興味を惹かれるものね。小説にはその寄り道が大事。これが小説の基本的な文法だと思います。だから、高瀬さんの犬のかたちを探すことですね。

高瀬 高橋先生にこんな貴重なアドバイスをいただけるなんて。今日帰ったら、忘れない間に今の話をメモにして、壁に張ります。ありがとうございます。

高橋 いえいえ、お安いご用です。寄り道で何を見つけたかを、次に教えてください(笑)。

高瀬隼子

たかせ・じゅんこ
1988年愛媛県生まれ。「犬のかたちをしているもの」で第43回すばる文学賞を受賞。

高橋源一郎

たかはし・げんいちろう●作家。
1951年広島県生まれ。著書に『優雅で感傷的な日本野球』(三島由紀夫賞)『日本文学盛衰史』(伊藤整文学賞)『ミヤザワケンジ・グレーテストヒッツ』(宮沢賢治賞)『さよならクリストファー・ロビン』(谷崎潤一郎賞)『銀河鉄道の彼方に』等多数。2019年、第70回NHK放送文化賞受賞。

『犬のかたちをしているもの』

高瀬隼子 著

発売中・単行本

本体1,400円+税

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