[巻頭インタビュー]
運命を受け入れ、自由に生きる。
─大きなうねりとともに、シリーズは新しい局面へ
死者の魂を見ることができる赤い瞳の“憑きもの落とし”
聞き手・構成=朝宮運河/撮影=山口真由子
江戸時代は扱ってみたい題材がたくさんある
─ シリーズ初の長編作品となった『浮雲心霊奇譚 呪術師の宴』から約一年、通算六作目となる『浮雲心霊奇譚 血縁の理』が刊行されました。ずばり、今作の狙いやコンセプトは何でしょうか?
シリーズものを長く書き継いでいると、どうしても慣れが生まれてきます。人間は楽をしたがる生き物ですから、日々の締め切りに追われてついつい「いつものパターン」をなぞってしまう。少なくとも僕はそうなんですよ(笑)。その慣れをいかに避けるかが、シリーズものを書き続けていくうえでは重要です。「浮雲心霊奇譚」も開始から五年あまりが経って、そろそろ決まった型を壊す時期にきているのかなと。それで前作『呪術師の宴』がシリーズ初の長編だったのに続き、今作でもイレギュラーな展開を起こすことにしました。こうしてシリーズ全体に、大きなうねりを作り出したいと考えているんです。
─ 『血縁の理』は、赤い瞳の憑きもの落とし・浮雲が活躍する連作時代ミステリー集。幕末の江戸で発生した三つの怪事件が収められています。冒頭の「
「御霊の理」は一話目ということもあり、「浮雲心霊奇譚」のスタンダードを目指しています。心霊現象を含む事件が起こり、その謎解きがあって、クライマックスには剣術シーンが描かれる。これまでシリーズを読んでいる方なら「来た、来た!」と言いたくなるような展開ですね。あえてそうしたのは、二話目と三話目でストーリーが大きく進展するから。一冊の本の中でも、コントラストを生み出せたらいいなと思いました。
─ とある小間物問屋で夜な夜な起こっている怪事件と、浪人・達一郎が悩まされている心霊現象。二つの事件には意外な関わりがあることが分かってきます。この作品の重要なモチーフとなっているのが、達一郎の出入りしている賭場ですね。
現代の公営ギャンブルのように大規模ではなかったですが、江戸時代も賭博は盛んでした。僕は講談が好きでよく聴きに行くんですが、その中にも賭場に通っている人たちが多数登場します。当時の賭場には独特のいかがわしさがあり、時代小説ならではの空気が描ける。前々から扱ってみたい題材だったので、今回触れられて嬉しかったですね。その他にも芝居小屋や相撲部屋など、取りあげたい題材は数え切れないほどあります。
─ 「御霊の理」の後半、悪の道に堕ちたある人物が、刀を抜いて浮雲たちに襲いかかります。それを制したのが剣の達人・近藤
このエピソードで近藤は、相手の小手を打つことで動きを封じてしまいます。達人レベルになると相手の動きを先々まで読んでいるので、このくらいは朝飯前でしょうね。先日取材を兼ねて久しぶりに道場に顔を出したんですが、やっぱり面白いんですよ。机の前で想像しているのと、実際の動きを見るのとでは全然違います。道場の館長に「木刀で自由に打ちかかってこい」と言われたんですが、気迫で圧倒されて打ちかかれない。それでも振り下ろすと、あっさり返り討ちにされちゃって……(笑)。動きが完全に見切られているんです。近藤勇もこんな感じだったんだろうな、と思いましたね。
─ 神永さんが学ばれているのは、近藤勇や土方歳三と同じ天然理心流ですよね。どんな特色があるのでしょうか。
他の流派に比べても、発想が実戦的だと思います。以前、館長に「室内で大勢に囲まれたらどうしますか」と質問したことがあるんです。すると迷わず「
身分の差を超えて、心のままに生きる八十八
─ 第二話「コトリの理」では、武家の娘・
江戸時代は女性の結婚が早かったので、伊織もそろそろ結婚適齢期なんです。現代人のようにいつまでも、友達以上恋人未満な関係を続けるわけにはいきません(笑)。ストーリーの流れから言っても、そろそろ二人には答えを出してもらうべきタイミングだなと思いました。江戸時代当時、結婚は家同士が決めるもので、本人の意向は二の次。そもそも恋愛という概念自体、ほとんど浸透していなかったと思います。そんな中で八十八と伊織は自分の思いに正直に生きようとする。二人の恋愛観は現代人に近いものがありますよね。身分差のある二人がどうすればともに生きられるかは、シリーズのかなり早い段階から考えていました。結末で伊織はある決断をしますが、それはかなり前から決まっていたんですよ。
─ 商人の息子である八十八にとって、伊織との身分差は大きな障害でした。現代人なら「気にせず一緒になればいいのに」と思うところですが、当時の人たちにはそれができない。八十八が抱える葛藤は、時代小説ならではのものという気がします。
そうですね。八十八はどちらかというと、現代的なものの見方ができるキャラクターなんです。だからこそ武士の一家と親しくなり、伊織とも口をきくようになる。当時のリアルな感覚としては、武家の娘と商人の息子が友達になるなんてありえない。好意を抱いたとしても諦めるのが普通ですよね。彼が悶々と悩むのは、現代的な感覚を持っているからなんです。しかしそんな八十八でさえ、身分制度を完全に無視することはできない。そうしたジレンマが、このシリーズを通して描いてきたことです。
─ 「コトリの理」では、浮雲が伊織を悩ませている怪異を
初登場時はぶっきらぼうでしたからね(笑)。八十八と出会ったことで、浮雲も変わったなと思います。浮雲が八十八に対してしつこく「自分の気持ちに正直になれ」と言うのは、彼自身が運命から目を背けているからです。自由気ままに見える浮雲の生き方は、実は現実逃避の裏返しだった。そして浮雲にもそのことが分かっているんですね。だから八十八に「武家の娘とどうなっているんだ?」と問いかけるたびに、自分はどうなんだろう、いつまで逃げ続けるんだろう、という疑問が湧きあがってくる。「コトリの理」の事件を通して八十八は自分の心だけでなく、浮雲の心も解き放ちます。そしてその変化が、最終話の「血縁の理」へと繫がっていくんです。
ついに明らかになった浮雲の過去、
そして蘆屋道雪との関係
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血筋によって生まれつき与えられたもの、そして肉親との愛憎関係は、僕の作品にくり返し出てくるテーマです。デビュー作の『心霊探偵八雲』も父と子の物語ですしね。人間は血が繫がっているからこそ些細な欠点が許せなかったり、口に出すべきではない言葉をぶつけてしまったりする。そうしたいびつな関係に、なぜか興味を惹かれるんです。哲心と郁治郎は親子でありながら、師弟であり、ライバルでもある。同じ絵の道を志しているということもあり、さまざまな感情が渦巻いています。「血縁の理」では彼ら親子の関係を描きながら、浮雲が抱えている血筋の問題も描こうという狙いがありました。
─ 哲心に作品を見てもらった八十八が、「私に教えられることなど何もありません」と絶賛される一幕も印象的でした。伊織との関係が創作にもいい影響を与えたのでしょうか。
それはあると思います。身分の違う人を好きになってはいけない、と思い込んでいる時点で、八十八は自分の感情に蓋をしてしまっているわけですよね。その欠落した感情は、絵筆を握った時にも表れてしまう。これまで八十八の絵が美しいだけで、魂がこもっていなかったのは、自分の感情に噓を
─ 血縁が生んだ恐ろしくも悲しい事件。それを背後から操っていたのは、他人の命をもてあそぶ邪悪な陰陽師・
この巻では、浮雲が八十八の影響で自分の心を見つめ直し、ある決断を下すというのが最大のポイントです。そこには過去に何度かほのめかしてきた、浮雲の特別な血筋が影響している。蘆屋道雪がその血筋と深い関わりをもつ人物というのは、以前から決めていたことですね。これまでの道雪の不気味な言動も、仮面の向こうにある素顔を見れば納得できると思います。
─ 浮雲にこんな秘密があったのか、と驚きました。一方、これまで敵対することもあった美貌の呪術師・狩野
このシリーズは幕府の権威が失墜し、佐幕派と討幕派が争いをくり広げつつある時代が舞台です。狩野遊山はそんな状況で、自分が信じる大義に従って行動している。はっきりとは描いていませんが、彼がどちらの陣営に属するかは、詳しく読めば分かると思います。そして遊山と道雪の利害関係は、浮雲をはさんでもろに対立している。今後時代がさらに動き、浮雲、遊山、道雪はその大きな渦に吞みこまれてゆくことになります。
ギアを一段階上げ、圧倒的な面白さを目指す
─ 浮雲がある決断を下したことで、シリーズ第一作『浮雲心霊奇譚 赤眼の理』以来続いてきた物語に、ひとつの区切りがつきました。シリーズはこの先どう展開していくのでしょうか。現時点で明かせる範囲で教えてください。
まず言っておきたいのは、シリーズはまだまだ続きますということ。この巻を読んで「浮雲心霊奇譚」は完結するんじゃないか、と思う方もいるかもしれませんが、すでに次回作の準備に入っているので安心してください(笑)。今後の内容については色々考えているところですが、これまでできなかったことに挑戦したいですね。江戸以外の土地に伝わる怪談を扱ってみたいですし、海や山、雪国などを舞台にもしてみたい。ストーリーの面でもこれまでの基本路線を守りつつ、新しい面白さを出していけたらと思います。ギアをもう一段階上げて、圧倒的に面白く、深みのある時代ミステリーを目指したいですね。
─ 期待が膨らみます。それだけ可能性を秘めたシリーズということですね。ではこれから『浮雲心霊奇譚 血縁の理』を手に取る読者にメッセージをお願いします。
このシリーズで描きたいのは、心霊現象の絡んだミステリアスな事件と、江戸時代ならではの空気です。何年に何が起こった、という歴史年表的な小説ではないので、時代ものにあまり馴染みのない方も、気軽に手に取ってほしいですね。それこそ「土方歳三って誰ですか?」という方でも、絶対に楽しんでもらえると思います。このシリーズについては、先日とても嬉しいことがありました。昔のバイト時代の先輩からLINEが届いたんですが、彼の中学生の娘さんがお祖母さんにあてた手紙が貼りつけてあって、そこに「クリスマスのプレゼントに『浮雲心霊奇譚 呪術師の宴』がほしいです」と書かれていたんです。本当に嬉しくて、執筆のモチベーションがぐんと上がりました。この『血縁の理』も彼女のようなファンの期待を裏切らない、エンターテインメントに仕上がっていると思います。
神永 学
かみなが・まなぶ●作家。
1974年山梨県生まれ。日本映画学校卒。2003年『赤い隻眼』を自費出版。同作を大幅改稿した『心霊探偵八雲 赤い瞳は知っている』で04年プロデビュー。代表作「心霊探偵八雲」を始め、「天命探偵」「怪盗探偵山猫」「確率捜査官 御子柴岳人」「浮雲心霊奇譚」「殺生伝」「革命のリベリオン」などシリーズ作品を多数展開。他に『コンダクター』『イノセントブルー 記憶の旅人』『悪魔と呼ばれた男』『ガラスの城壁』がある。
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