[インタビュー]
この小説の主人公は
「文学」そのものです
こんな抜けるような青空、夏だっていうのに、おれたちはなにをやっているのだろう──。
芥川賞作家・町屋良平さんが「小説すばる」に連載していた『坂下あたると、しじょうの宇宙』が単行本として発売されます。小説や詩で才能を発揮する早熟の天才・坂下あたると、彼に感化されて詩作を始めた佐藤
聞き手・構成=朝宮運河/撮影=三山エリ
読者に現代詩の面白さをアピールしたかった
─ まず作品のタイトルについて教えてください。平仮名で書かれた『しじょう』には、どんな意味を込めたのでしょうか。
「しじょう」という言葉には、いくつもの意味を持たせています。第一にはもちろんポエジーを意味する「詩情」ですが、紙の上の「紙上」でもあるし、これ以上ないという意味の「至上」でもある。こういう言葉遊びのようなタイトルを付けるのが、割と好きなんですよね。
─ 『坂下あたると、しじょうの宇宙』は文学に青春を捧げる男子高校生の物語です。デビュー作『青が破れる』や芥川賞受賞作『1R1分34秒』でボクシング、昨秋刊行の『ショパンゾンビ・コンテスタント』でピアノと“言葉にならないもの”を好んで取りあげてきた町屋さんが、あえて文学を題材に選んだ理由は?
最初に思いついたのが主人公二人の関係性なんです。小説投稿サイトに文章を書いている男の子と、その影響を受けて詩を作るようになった友人、というイメージが外を歩いている時にふっと浮かんできて、少しずつ物語になっていきました。
─ 早熟の天才・坂下あたると親友である佐藤毅。彼らが熱中しているのは、文学の中でも現代詩です。詩をモチーフに選んだのはなぜですか。
言われてみると、他の部活動でも成立する関係性なんですよね(笑)。それでも現代詩を選んだのは、個人的な好みだったと思います。一般に「文学をやっている」と言うと、小説を書いているイメージですが、詩歌も文学に大きな比重を占めている。僕は常々「詩歌を無視しないで」と思ってきたので、あえて現代詩にフォーカスを当ててみました。幅広い読者を持つ「小説すばる」の連載で詩の面白さをアピールすることは、意味があるだろうと思ったんです。
─ もともと詩歌がお好きだったんですね。現代詩という表現ジャンルに、興味を持ったのはいつ頃ですか。
そんなに古い話ではなくて、二十代の後半くらいです。
─ 主な語り手である毅は、親友・あたるの文学的才能に憧れと劣等感を抱きながら、ひそかに詩の投稿を続けています。デビュー作以来、〈才能〉は町屋作品の重要なテーマですね。
そうですね。僕は小説家になれるまでに苦労したタイプなので、その影響があるかもしれません。新人賞の落選が続くと、「自分のどこが悪いんだろう」とマイナス方向にばかり気持ちが向いてしまう。今なら自分の強みを生かそうという考え方ができるんですけど、うまくいかない時期は才能の有無が気になってしまうんです。だから毅の抱く劣等感はよく分かりますね。まあ、才能がなくても傑作を書く人はいるので、小説はスポーツに比べればチャンスのある分野だとは思いますけど。
─ 一方のあたるは天才型。雑誌に詩が掲載されたり、ネットに発表した文章が評価されたりしています。しかし自信に満ちあふれている、という感じでもないですね。
天才っていうのは、個人に帰属するものではないと思うんです。ふわふわと宙を漂っていて、集中することですっと体に降りてくる、というイメージですね。その現象を天才と呼んでいる気がするんです。このあたりのことは『ショパンゾンビ・コンテスタント』に書きましたが、あたるにしても同様。彼が天才なのは、集中している時だけなんです。
言葉はその都度「レンタル」してくるもの
─ 毅の意識がこちらに流れこんでくるような、勢いがあって瑞々しい文体が魅力的です。
ありがとうございます。現代詩や文学といった題材を扱っているだけに、あまり堅苦しくなってはいけないなと。この作品は特に若い世代にも読んでいただきたかったので、これまで以上に読みやすさを意識しています。使いたくない言葉はなるべく使わないようにしつつ、できるだけ平易な文体を採用しました。普通なら漢字で表記される単語を平仮名で書いているのも、この理由が大きいですね。
─ 以前町田康さんとの対談で、「言葉というのは仮にレンタルするもの」、とおっしゃっていたのが印象的でした。
よく「自分の言葉で話しなさい」と言う人がいるじゃないですか。でもどんな言葉だって、すでに語られた言葉の組み合わせでしかない。本当にオリジナルなものなんてないと思うんです。小説の文体にしても、作品に要請されて出てくるもので、唯一絶対というわけではない。今だけレンタルしているものだという感覚があるんです。
─ あたるには浦川さとかという同級生の恋人がいます。さとかは傍若無人で
さとかのキャラクターは悩むことなく、すっと出てきましたね。周囲を振りまわす系の子は好きなので、書いていて楽しかったです。身近にいたら大変だとは思いますけど(笑)。この作品にはもう一人、
─ 蕾もさとかに負けず劣らず、個性的な女の子。彼女と毅の間にあるのは、恋愛のような友情のような、何とも名づけようのない関係ですね。
そこは意図的に描いています。小説やドラマで描かれるような恋愛経験って、実はそれほど一般的じゃない気がするんですよ。現実はもっとだらしなかったり曖昧だったり、ぐちゃっとしているもの(笑)。そういう男女の距離感を、毅と蕾の関係では表現できたかなと思います。あたるとさとかは、割とちゃんとしたラブストーリーを演じているんですけどね。
未成熟な人たちを書くのが好きなんです
─ そんなある日、あたると毅が利用している小説投稿サイト上に、「坂下あたるα」を名乗るアカウントが登場し、あたるの文章を盗用・改ざんした作品を発表していく、という事件が起こります。
おそらく小説家なら誰でも同じだと思うんですけど、今自分が書いている作品はすでに書かれているんじゃないか、という不安が僕にはあるんです。文芸誌を読んでいても、「そっくりの作品が載っているんじゃないか」と想像して怖くなる。あたるの身に降りかかったことは、自分にとって絶対に起こってほしくない出来事。作家にとって最悪の事態を、想像してみました。
─ 文学好きが
あります。一般の小説投稿サイトはファンタジーやライトノベル系の書き手が多いんですが、僕が数年前参加していたサイトは、純文学系の書き手が多数集っていたんですよ。今はなくなってしまいましたけど、お互いに作品を批評しあったり、文芸誌に載っていた作品について「あれはどう思った?」と感想を書き合ったり、すごく刺激を受ける空間でした。小説投稿サイトにまつわる描写は、そこでの経験をヒントにしています。
─ そうだったんですね。道理でリアルだと思いました。
色んな人が集まってきますから、役に立つ意見もあれば、言いがかりに近い意見もあるんですよ(笑)。でも一人で執筆することに限界を感じていた僕にとって、感想や意見がもらえるのはすごく嬉しかった。小説投稿サイトでさまざまな意見に触れたからこそ、デビュー作の『青が破れる』を書くことができたんです。
─ 「坂下あたるα」の出現によって、あたると毅の関係はぎくしゃくしたものになり、あたるの創作活動も停滞してしまいます。
年齢に限らず、未成熟な人たちが好きなんですよね。何事にもまだ慣れていない人たちの、試行錯誤する姿を描きたい。僕の作品に青春小説と呼ばれるものが多いのは、そのせいです。人間って成熟するとあまりぶれなくなると思うんですが、それは自分でぶれないと決めているだけ。ものの見方、感じ方の質としては低下していることがある。逆に二十代くらいまでは言っていることもぶれぶれですし、行動も危なっかしいですが(笑)、結果として今よりも前に進んでいる。トライ&エラーをくり返しながら、人間は成長するものなんだと思うんです。
─ 物語の後半では最果タヒさん、
どれも僕が好きな詩ばかりです。さっき文体の話をしましたが、現代詩を引用することはあらかじめ決まっていたので、その部分と違和感が出ないように、ということも考えました。毅の詩として紹介されているものは、僕自身の作品です。毅のポエジーに近づけるように、がんばって書きました。
大切な「文学」だからこそできた、新しい挑戦
─ ところで四人の高校生の中で、一番町屋さんに近いキャラクターは誰ですか。
文学に対する考え方は、あたるとすごく近いんです。作中であたるが文学について長々語るシーンがありますが、あれはほぼ僕の考えそのままですね。ただし性格的には全然似ていない。僕はあんなに物事にきっちりしていないし、可愛い彼女もいませんでしたから(笑)。むしろ朝起きられないとか、母子家庭で育ったとかいう部分は、毅に似ています。性格的には毅タイプで、文学観はあたるに近い、という感じでしょうか。
─ あたるの文学論はユニークですが、説得力があるものです。「オレにとっての文学は、愛の三角形の頂点」「文学を頂点とする三角形の、底辺のふたつの点が自分、つまり著者と読者になる。そんな三角形にオレは生きたい」と彼は言います。
まさに僕が考えていることなんですよ。本気でこれを信じているのは、やばい奴だよなと思うんですけど(笑)。著者と読者が一対一で向き合うのではなく、それぞれ文学という頂点を仰ぎ見ている。そういう三角形のモデルを言語化することができて、よかったと思っています。
─ 町屋さんにとって、文学への信頼は絶対的なものなんですね。
ああ、そういう気持ちはありますね。自分が生まれる前から、脈々と続いているものですから。僕はスポーツも大好きなんですが、スポーツはやはり同時代の人と競って、結果を出さないといけない分野なんです。文学は五十年、百年という大きなスパンで取り組むことができるのが、素晴らしいなと思います。
─ それでいてエンターテインメント性の高い青春小説になっている。本作はそのバランス感覚が絶妙でした。
嬉しいです。この物語の主人公は、坂下あたるであると同時に「文学」そのものなんです。冒頭で他の部活動でも成り立つ話だと言いましたが、じゃあサッカー部を舞台にここまでエンタメ寄りのものが書けるかといえば書けません。意識の問題ですが、自分には難しい。僕にとって大切な文学を扱っているからこそ、いつもより読者の目線に近づけた。あたるの視点から描かれるエピローグは、自分なりのエンタメ性の発露なんですよ。新しい挑戦ができた作品だとあらためて思います。この小説をきっかけに、現代詩に興味を持ってくださる方が増えれば嬉しいですね。
─ 芥川賞受賞以来、ハイペースで作品を刊行されている町屋さんですが、今後取りあげてみたい題材は?
〈生活〉について書いてみたいですね。デビュー作以来、スポーツや芸術の〈才能〉について考えてきましたが、生活はその根底にあるもの。もし自分が作家になっていなかったら、どんな生活を送っていたのか。すごく興味があります。言葉や文学への関心は今後も持続するでしょうが、それと並行して生活を扱う比重を増やしていきたいと思っています。
町屋良平
まちや・りょうへい●作家。
1983年東京都生まれ。2016年、「青が破れる」で第53回文藝賞を受賞しデビュー。
19年、「1R1分34秒」で第160回芥川賞を受賞。著書に『しき』『ぼくはきっとやさしい』『愛が嫌い』『ショパンゾンビ・コンテスタント』等。