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今月のエッセイ/本文を読む

広小路尚祈 『今日もうまい酒を飲んだ ~とあるバーマンの泡盛修業~』

[今月のエッセイ]

「いなたい」は「うまい」

 うまい酒を飲みたい、という一念だけで、一本の長編小説を書き上げた。主題としたのは沖縄の酒、そう、「泡盛」である。
 きっかけは、一本の素晴らしい泡盛に出会ったことだ。そこから私の、うまい酒を探す旅が始まった。元々沖縄という土地が好きで、泡盛も度々飲んでいたが、それほど詳しいわけではなかった。まずは文献を読み漁り、ある程度の知識を頭に叩き込んで、とにかく沖縄に飛んでみることにした。
 取材旅行という名目ではあったが、要するに酒飲み旅行である。昼間は泡盛の蔵元を巡って試飲をしまくり、夜は街に出て、泡盛を飲みまくる。蔵元の直売コーナーや、立ち寄った場所で、興味を惹かれるものがあれば購入して、愛知の家に戻ってからも飲みまくる。地元の酒屋でも泡盛のコーナーを常にチェックし、飲んだことのないものがあれば、買って飲んでみる。東京へ出張した際も、品揃えのよさそうな酒屋を調べて訪問し、気になったものがあれば買って帰る。そんなことばかりしていた。
 非常に仕事熱心である、とも言えるけれど、私はとにかく泡盛に夢中になってしまったのだ。泡盛の味は温かい。これは温度のことではなく、味や香りから感覚的に感じるぬくもりのことだ。泡盛は米に麴を生やして造る酒なので、グラスに注げばそれぞれ強弱や個性の違いはあれど、やさしい麴の香りが立ち上ってくる。この香りに、なんとも言われぬ心地よさを感じるのだ。
「いなたい」と表現するのが、一番ぴったりくるだろうか。音楽を語る際によく使われる言葉だが、泥臭いとか、田舎っぽいとか、それが転じて、ブルージーである、といったニュアンスで使われることが多い。ただし、あまり否定的な感じではなく、むしろ、味があるとか、温かみがあるとか、哀愁や憂いを含んでいる、といったように、誉め言葉としての性格が強い。
 泡盛というのは元々琉球王朝御用達の酒であったからだろうか、とても洗練された酒である。洗練された酒、というイメージと、泥臭い、田舎っぽい、という意味を持つ言葉。一見相反するようだが、実はそうでもない。たとえば、格式の高い料亭で出てくる野菜の煮物。洗練された料理人によって、洗練された調理法で作られたものである。だがこれを口に入れると、しっかりと野菜の味がする。調味料の味しかしない煮物なんて、洗練からはもっとも遠いものだ。野菜というのは、大体が田舎でとれたものである。お寿司屋さんの魚だってそう。なかでも上等とされる天然ものは、ことさら「いなたい」。
 私が泡盛を「いなたい」と表現するのは、そういうことなのだ。特に日本料理の場合、素材の味をうまく生かすことが重要だとされている。すなわち、「いなたさ」をいかによい形で提供するか、それこそが日本料理の神髄である、と言えないだろうか。
 泡盛には様々なタイプのものがあり、それぞれに個性的な「いなたさ」を提供してくれる。もちろん、好みに合う合わないはあろう。しかし、一人の酒飲みとして、一つでも多くの「いなたさ」を知り、愛したいと思うのだ。ピーマンが苦手なんです、ニンジンが食べられないんです、という人が食通を気取れるだろうか。気取るだけならよいかもしれないが、気取ることしかできないだろう。また、ピーマンやニンジンが食べられないからといって、それらをくさすのはスジが違う。悪いのはあくまでも、自分の舌なのだから。
 泡盛にふさわしい、洗練された飲み手となるには、この多様さをいかに楽しむかが重要であると、私は考えている。これは何も、泡盛に限ったことではない。ウイスキーやワインなど、他の酒でも同じだろう。さらに言うならば、酒に限ったことでもない。音楽や文学を楽しむ場合でもそうだ。
 酒飲みにも色々あって、中にはアルコール度数の高い酒が苦手だ、と言う人もいる。そんな方には、水で割ったり、ソーダで割ったりすることをおすすめするが、コーヒー好きな方には「泡盛コーヒー」というのも、ぜひおすすめしたい。
 その名の通り、泡盛をコーヒーで割ったもので、沖縄ではわりとポピュラーな飲み方なのだろうか、コンビニでカップに入ったものを売っている。うちの妻はほとんど酒を飲まない人なのだけれど、取材をかねて一緒に沖縄へ旅行した際、コンビニで購入し、ホテルの冷蔵庫にしまっておいた泡盛コーヒーを、私が寝ている間に飲んでしまっていた。寝る前に味見をさせたところ、気に入ったようだ。ちなみに私たち夫婦は、朝、昼、晩と必ずコーヒーを欠かさない、なかなかのコーヒー好きである。
 泡盛は長い伝統を持つ酒だが、日々新しく変化している。それも泡盛の大きな魅力の一つであると、私は感じている。

広小路尚祈

ひろこうじ・なおき●作家。
1972年愛知県生まれ。高校卒業後、ホテル従業員、清掃作業員、不動産業、消費者金融業など、十種類以上の職種を経て現在に至る。著書に『うちに帰ろう』『金貸しから物書きまで』『清とこの夜』『いつか来る季節 名古屋タクシー物語』がある。

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