[インタビュー]
没個性な家に、
想像もできない人生がある
そこは、追い詰められた人々が逃げてきてはひととき暮らす、“さいはての家”だった。
駆け落ちした男女、幼馴染の男性二人、性格の異なる姉妹、謎の高齢女性、そして妻子ある夫─彼らはなぜこの家にたどり着き、この家で何を見、何を思うのか。彩瀬まるさんの新刊は、人生の行き止まりとかすかな光を描く連作短編集です。刊行に当たりお話を伺いました。
聞き手・構成=瀧井朝世/撮影=冨永智子
理解できないものを憎むことはできない
─ 最新連作集『さいはての家』は、第一話の「はねつき」が二〇一五年に発表されたものなんですね。
そうなんです。大事に書いてきたので、単行本にまとまるまでに時間がかかりました。第一話は「小説すばる」のお正月号に掲載されるものだったので、正月っぽいものをと思って。空気もぴりっとしてちょっと雪が降る場所を考えていた時に、“逃亡者”というのが浮かんだんですよね。
いろんな長編を読んでいると、中盤くらいで小さな事件があって、「それ以降その二人を見たものはいない」とフェードアウトしていく人たちっていますよね。いつも読みながら、その先、その人たちはどうなるんだろうと気になっていたんです。小説のメインストーリーからフェードアウトしていく人たちって、多くの人が想像しにくい領域を見に行くことになるのではないかという気がして。そこを書いてみようと思いました。
─ それ以降、「小説すばる」で短編を書く時は“逃亡者”をモチーフにすることにしたわけですね。
そうです。毎回、世の中にはこういう辛さがあるよな、というところから想像を働かせて書くので、短期間で続けざまに考えると、どうしても似てきてしまうところがある。五年をかけたことで、自分の問題意識も変わったので、いろいろなことが書けたと思います。
─ 全編で共通するのは郊外にある一軒の家ですね。いろいろな事情で逃げてきた人たちの、そこに越してきてからの日々が描かれる。
地方都市の郊外にあって、古びていて、庭があって、台所があって、部屋が二、三室あって……という、わりと没個性な作りの家です。地元の人が「あの家、ちょっとぼろくなってきたな」と通り過ぎる家に、想像もできないような人生がある、ということを書こうと思いました。
─ 時系列で書かれているから、次の話に移って新たな住人が入ってきたということは、前の主人公は出ていったと分かる。ただ、出ていく具体的な経緯は明確に書かれていないから、想像を搔き立てますね。
いろいろ想像してもらいたくて、書きすぎないように気を付けました。誰かと会って話すと、その場での考えや行動は分かるけれど、その人が人生を通してどういう動きをしていたかは分からない。この人たちのことも、この家にいた期間のことしか分からない。たまたま舞台をひとつの家に固定したことで、他人のことは断片しか分からないんだという感じが強く出せたと思います。
─ 隣の老人ホームの存在が、有機的に話に絡んできますよね。第一話でその設定にしたのが功を奏したわけですか。
第一話を書いた時、逃亡者は日中何をしているんだろうと考えたんです。第一話の駆け落ちしてきた男の人、野田さんはアクティブに外にいかない。でも隣に大きな施設があって、合唱が聞こえてきたりする。それまでとは全然違う暮らしだと伝わる外側の装置は何だろうと考えて老人ホームを第一話に出したら、最後までよい機能をはたしてくれました。
─ そんな第一話「はねつき」は、今おっしゃった通り、駆け落ちしてやってきた男女の話です。
物語の途中でいなくなる人の
駆け落ちする時ってきっと、相手に対する期待や比重が高いと思います。その分、その後に破綻しかねないことが起こりやすい。それはどういう経緯で起こるんだろうと考えました。「はねつき」の主人公の女性、鶴ちゃんの場合は、逃げてやっと物事を考える時間ができて、他者を憎むことを学んでいく。
─ ああ、彼女は最初、苦労人なのにそれを苦労だと思ってなくて、他者から搾取されているのに気づいていないですよね。
理解できないものを憎むことはできない。状況を理解してはじめて、それに対して抵抗するとか、捨てるといった選択肢が生まれるんですよね。鶴ちゃんは自分が周囲から搾取されていたという自覚がなくて、その自覚を促してくれた野田さんに感謝する。でも、ふと気が付いたら、野田さんも自分を搾取しているという。そういう心の動きはあるだろうなと思いました。
─ それって、昨年刊行した長編『森があふれる』に通じるテーマでもありますね。
そうですね。私自身「はねつき」を書きながら自分の認識が広がる感じが楽しかったんです。ここからまたいろんな物語に繫がっていったんだろうと思います。
明日逃げる瞬間があるかもしれない
─ 第二話の「ゆすらうめ」では、幼馴染みの男性二人が越してくる。片方はチンピラで、ある事情で姿を消さなければならなくなったんですよね。
第一話が、それまでいた場所からこぼれ落ちざるをえなかった人たちの話なので、次は意識的に逃げる人をモチーフにしました。逃亡をテーマにした時点で、どこかで犯罪を書かなければいけないだろうと覚悟していて、はじめて犯罪ものを書きました。私がチキンなせいで、チンピラの彼まで
─ 最初、上司的存在に痛めつけられる暴力シーンなんて本当に痛そうで。
一生懸命、暴力で威圧するってどういうことかと考えました。私、今まで視点人物がパニックになるというのが書けなかったんですよ。でも、この主人公の塚本が、逃げる手はずを考えていたのにパニックになって整然とした行動がとれなくなって、予定外にタクシーに乗ってしまって……と書いて、ああ人って窮まった時ほど突飛な行動に出るかもしれないと分かった感触があって、新鮮でした。
─ そして、幼馴染みと再会し、彼が引っ越した郊外の家に
絶対に塚本一人じゃこの家にたどり着けないと思いました。このシリーズは、こういう物語にしようというのを考えて書くというよりも、この人は逃げたらまずどういうストレスを感じて、どんな振る舞いをするんだろうとひたすら考えながら書きました。塚本なんかは絶対に隠れていなきゃいけないのに、それを守るタイプじゃない。自分が逃げ切れるとは思っていないだろうから、たぶんやけっぱちなことをすると考えて、ある行動を起こすことになっていきました。
─ 三話目の「ひかり」は、この家で健康教室を開く年配の女性が主人公。実は彼女には意外な過去があるわけです。
「ゆすらうめ」で正面から犯罪を書いたので、次はもうちょっとねじくれた形で書こうと思いました。
この人は自分が過去に悪いことをしたと思っていない。まわりが自分に同調する人間ばかりだったから、自分の加害性や偏見や思い込みに気づけなかったんですよね。でも、そうでなかったとしても、自分の何が悪かったのか気づくのはすごく難しいと思う。では結局何が悪かったんだろうと編集者とも話し合いながら、話の落としどころを考えていきました。
─ 次の「ままごと」で住むのは姉妹。犯罪とは違う理由で、いってみれば家出ですよね。
最初の二話は、自分の人生とは関係ない話、というスタンスで読み手は読むと思うんです。三話、四話、五話と進むにつれリアリティを感じられるようにして、だんだん自分も明日嫌な目に遭って逃げる瞬間があるかもしれないと感じてもらえるといいなと思いながら構成しました。
それと、ここまでの三編で、まず、男女のカップル、男性二人、女性一人ときたので、バリエーションをつけようと思って。それでこの話は女性二人にしました。
─ あっ。そして最終話が男性一人ですよね。全部のパターンを達成してますね。
頑張りました(笑)。ひとつひとつ、家の雰囲気を変えたかったんですね。一人で住むか二人で住むかなどで、家の使い方とか、目の行く場所とか変わりますから。「ままごと」の家出の動機は、姉のほうが実家と距離を置きたいというシンプルなものなのに対して、当事者ではなかった妹にはもっと深刻な、逃げる理由が発生します。
─ きっかけとなる男の言動が、すごくリアルで怖かったです(笑)。
あの男性も危険ですが、それ以上に、友達たちに事態の深刻さが伝わらないのも怖いなと。そのディスコミュニケーションってどうすればいいんだろうと思いました。
姉に関しては、実家で能力がないとみられていた人が、環境を変えたら普通に生活しているということが書けたらいいなと。行き詰まったら生きる場所を変えてみるのは“逃げ”ではなく、処世術というか、自分がよりよく生きるための勇気ある決断。そういう考え方は、転職が当たり前になってきてようやく生まれてきたと感じます。私が会社員だった十年ほど前は、三年未満で辞めたら「無能」の烙印を押されるという説がまかり通っていましたが、今振り返って、やっぱりそれは間違いだと思うんです。この場所は自分に合わないと思ったら、苦痛なく生きられる場所を探す努力をしなければ、という気持ちがあって、それが「ままごと」の筋立てに入ってきたように思います。
それとこの話では、この家が逃亡者を
─ 姉妹の弟が「女は結婚すれば楽して生きられるからいいよね」という意味のことを言いますよね。あれに腹が立ちまして(笑)。
この弟も悪意はなく、家の考え方を踏襲しているだけなんですよね。たとえばジェンダーやフェミニズムに関心のある人の当たり前と、そういう考え方が生活に根付いていない人たちの当たり前って
ただ逆に、生活圏や年代によって考え方がばらばらになるのはある意味で当然のような気もしていて。それくらい、あらゆる考え方に対して批判や疑問が生まれる余地のある状況のほうが、たくさん考えなきゃいけないというしんどさはあるかもしれないけれど、健全なことかなとも思います。
お互いに悪意がないからこそ地獄、という関係
─ 最終話の「かざあな」も現代的な問題が含まれた話。主人公は育児休業から復帰して二か月後に、他県の子会社への出向を命じられた夫で、共働きの妻はついてこられず、男は一人でこの家に越してくる。
仕事に対してものすごく大きなエネルギーを払うことが誠実という、
会社にしてみると、子どもも生まれたし、しっかりした仕事を任せて上に行かせようとか、うちは全国展開しているんだから社員はどこに異動させてもいいという考えがあるんでしょうね。最近では、地域から離れない条件の社員を雇うなど、フレキシブルな会社もありますが。
─ 妻は仕事しながら一人で子どもを育てなくてはならなくて追い詰められ、夫婦の間にすれ違いが生じ、夫は逃げ出したくなる。
物語を書く時、作中にポリティカル・コレクトネスを守った人を入れると分かりやすいんですが、「かざあな」の場合は、視点人物の夫も、奥さんもある種の考えの偏りがあって、泥仕合になっていく。単に悪妻だというだけの話にはせず、お互いに悪意がないからこそ地獄だということを書きたかったんですが、その地獄の
書いていて思ったのは、この主人公の本質は「はねつき」で駆け落ちした野田と似たところがあるんですよ。だけど「はねつき」では脇役だから、女性に気を遣えない野田に対する嫌悪感ってそんなに膨らまない。でも視点人物になると生々しさが出て、自己中心的な主人公に腹が立ってくる。同じフィクションなのに対象への嫌悪感の質が変わるのが不思議だなと思って。たぶん、無意識のうちに守られているなんらかの物語のコードに違反するんでしょうね。
─ 主人公たちのように「ここではないどこかへ行ってしまいたい」と思うことは誰でもあると思うんです。
私も締切りが辛くなるたびにこの家に行きたくなります(笑)。近所にスーパーもホームセンターもあって、物価も安くて、家賃も安いし。
─ それぞれいろんな結末にたどり着きますが、この家に一時期住むことによって、何らかの変化を迎えられる。それは決して無駄ではない変化ですよね。先に進める話だなと思いました。時間をかけて一編ずつ大事に書いてきたからこその作品になりましたね。
そう言っていただけてよかった。苦しんだ甲斐があります(笑)。
彩瀬まる
あやせ・まる●作家。
1986年千葉県生まれ。上智大学文学部卒業後、小売店勤務を経て、2010年「花に眩む」で第9回女による女のためのR-18文学賞読者賞を受賞。著書に『骨を彩る』『桜の下で待っている』『やがて海へと届く』『くちなし』『不在』『珠玉』『森があふれる』等多数。