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巻頭インタビュー/本文を読む

伊集院 静 『大人のカタチを語ろう。』

[巻頭インタビュー]

生きるための信条を、
志を失うな。
失敗を重ねたからこそ、
手渡せる「言葉」がある

《今のままじゃ、ダメなんだ。ガキのままでいいわけがない》
これまで数々の小説、エッセイで、悩める人々に人生の指針を示し続けてきた伊集院静さんが、青年向け週刊誌で連載したエッセイの主題は、今、この世の中を生き抜くための「大人」の再定義。仕事、人間関係、恋愛、家族や故郷との向き合い方から、喧嘩やギャンブルでの勝ち方、そして宗教論まで。ペンの力を、人間の再生力を信じて書き続ける作家からの、次世代と時代へのエールが詰まっています。

構成=大谷道子/撮影=宮澤正明

「大人」になれない、永遠の若者たちへ

─ 新刊『大人のカタチを語ろう。』は「週刊プレイボーイ」で約2年間にわたって連載された同タイトルのエッセイの書籍化です。もともとは30代を中心とした男性たちへ𠮟咤しつたと激励の思いを込めて書かれたものだと伺いました。

 現代の若者が未成年者から青年になり、そして中年世代になっていく中で、大人としてのあり方をなかなか見つけられない現状がある、そんな人たちに何か話してもらえないかというオファーを、編集部から受けました。それならば、私の考える大人の姿勢とはどんなものか、どうやったらそれを身につけられるか、指南とまでは言えないけれども何か手助けになればという思いで引き受けました。
 しかし、蓋を開けてみてわかったのが、「週刊プレイボーイ」という雑誌は今、若者だけでなく60歳くらいまでの大人層にも読まれているということ。かつて100万部以上を売り上げて一世を風靡した……というと、まるで今は風靡していないように聞こえるかもしれないけども、そうではなく(笑)。とにかく、世の中をリードする雑誌として、今も支持して読み続けている人が多いというんですね。それは、なかなかにすごいことじゃないかと感じました。

─ 毎年成人の日と4月1日には、サントリーの企業広告でも若者にメッセージを発信されています。現代の日本の青年たちについて、どんな問題意識をお持ちですか。

 この本の冒頭にもしるしましたが、とくに男性については「未成熟な人間が多すぎないか?」ということです。それを強く感じるのは、海外を旅して帰国したとき。20年くらい前まで頻繁に海外へ旅をする機会がありましたが、たとえば民族運動の起こっていた北アイルランドや、ETA(バスク祖国と自由)の分離独立を巡って対立が起こっていたスペインなど、動乱や紛争を抱えた国で出会った若者たちと比べると、日本の若い人たちはずいぶん軟弱になってはいないだろうか、ということを実感しました。
 もちろん、平和なのは結構なことで、その状態が長く続けば若者が馴らされるのはある意味、仕方のないことです。それでも、私が若かった時代はもう少しまともだったのではないか、という思いはぬぐえない。酒場へ行ったり、遊び場へ行ったりしても、やはり同じことを思います。
 それに、読者が60代までいるということは、これはどうやら若者だけの問題ではないらしいと。だったら、なぜ未成熟なのか、なぜ軟弱になってしまったのか、この傾向は果たして修正できるものなのか、どうなのか。それについて、ひとつ考えてみる価値はあるだろうと思いました。

生き方の多様性を失った世の中で

─ 第一章の「大人のカタチとは何か」では仕事との向き合い方を、第二章の「男と女の話」は恋愛への心構えをいておられます。いずれも切実な課題ですが、こうしたテーマはどのように設定されたのですか。

 まず、担当の若い編集者に、私に話してほしいことはどんなことなのかと尋ねてみました。そうすると、次々に出てくるんですね。「仕事で周囲に水をあけられてしまった」「恋愛がどうもうまくいかない」などなど。それらはまだいいけれども、しまいには「大人はどんな遊びをしたらいいのか」「酒はどう飲めば」と、まあ一から十まで……。「君たちはその年になって、まだ何ひとつとして流儀を確立できていないのか?」と正直、最初は呆れましたね(笑)。
 こうなった原因のひとつは、やはり行き過ぎた学歴社会にあると思います。若い人たちは、これまで生きてきた時間の大半を受験と学校での競争に費やしてきた。逆に言えば、試験さえ受かれば、いい学校に入れば、ひいてはいい会社に入ってエリートになれればそれでいいんだと。目の前のハードルを乗り越えることが核となる生き方を30年、40年間続けてきて、他のことに目が行かなくなってしまったのでしょう。こんなふうに固定化した価値判断の基準が、今の若者の精神構造に少なからず影響していることは確かだと思います。
 でも、いくら学歴社会で頑張ったところで、トップに行けるのは2、3人。あとの97人か98人は負けるんです。そんなところに俺は入らない、入らなくても世の中でなんとかやっていけるはずだ、という気概も欠落してしまったのでしょう。

─ 続いて取り上げられる、家族をどう考えるか、また、自分にとっての故郷とは何かというのも、やはりそうした中で見過ごされてきたテーマだといえそうですね。

 私が若かった頃には、学校は授業が終わってしまえばそれまでで、そのほかに家や町、地域といった重要な場所があった。大学進学率が今ほど高くなかった頃、若者には学校以外にも生きる場所がいくつもあったんです。
 しかし、学歴偏重の世の中が進んだ結果、家のために尽くす、町のために働くといった、かつて普通にあった生き方の選択肢は消え失せてしまった。家と学校とどっちが大事かと言われたら、そりゃあひとつしかない家が大事に決まっているんです。あるいは、友のために生きるということも。井上靖が自伝的小説『北の海』で書いたような、落第してでも友情を優先するといった精神の持ち主は絶滅したのでしょう。
 そうなると何が起こるかというと、人は生きていく上で大切にするべき信条を失うんです。あるいは、こころざしを。信条や志が欠落した人間は、いざというときに踏ん張れない。受験は合格できても、失業や病気、家庭の問題、大事な人との別れといったさまざまな苦難に耐えられなくなるんです。

─ そうした人生の危機にいかに立ち向かうかが、伊集院さんご自身のエピソードとともに語られます。ご家族や故郷との関係、人生の転機となった弟さんの事故死、父や母の厳しくも温かい教え、故郷への複雑な思い、そして、前妻で女優の夏目雅子さんの早逝から始まる人生の混迷期のこと……。

 結局、人は、自分の体験から何かを得るわけですからね。指南書ではない、と言ったように、私だって立派なことは語れないんですよ。これまでの人生でも、7割か8割くらいは失敗してきているんですから。でも、私は作家で、文章を通してしか人に訴えることはできない。だったらその数々の失敗と、そこから得たものを正直に話すことによって、何か伝わるものがあればと思うわけです。

─ そういえば、本書の全編には多くの会話体が織り込まれています。たとえば第三章の「別離と親について」には「どうすればこの悲しみからのがれることができますか?」「時間というクスリがやがてその感情を少しずつやわらげてくれます。生き続けることです。あなたはまだ知らないでしょうが、悲しみにも終わりはあるのです」というように。対話篇的なこの文体が、メッセージをより身近なものにしていますね。

 それはもう、プラトンと同じ要領ですね(笑)。若い人にわかりやすく説明するには対話篇というのは、ギリシャ時代から変わらない、間違いのない方法だということです。

楽な道を選ばない、それが大人だ

─ 人生についてしみじみと思いを馳せる一方で、「喧嘩の作法」(第五章)「ギャンブルの快楽」(第七章)「麻雀、底知れぬ魅力ある遊技」(第八章)と、大人流の“やんちゃ”の勧めがなされているのも、本書の魅力です。

 ギャンブルというのは、これだけ長い歴史を重ねても人類がいまだに手放せていないもののひとつ。古代エジプト人はすでにサイコロ遊びをしていたというし、ナポレオンがイタリア遠征に行ったときの最大の悩みは、兵士が博打に夢中になって歩哨ほしように立たないことだったらしいですから。

─ ご自身がギャンブルを打ち続ける理由として、「人間の根本に、人のために慈愛を含めた人間的な行動をすることに対して、─何を言ってやがる。という感情があるからである」と記しておられます。これまでヒューマニズムあふれる数々の作品を発表し、人間の正なる成長力を問うてきた作家の発言としては、かなり刺激的ですが……。

 ギャンブルの基本は「自分さえ勝てればいい」ということですからね。そのためには狡猾さとか裏切りといった、まったく非人間的な智慧ちえが武器になる。それをギャンブルから学べたのは、とても大きなことだったと思っています。
 かつて阿佐田哲也(色川武大)さんと麻雀をご一緒していた頃、さすがに先生相手には卑怯な手は使えないと思って遠慮して負けていたら、阿佐田さんが「伊集院くん、もうちょっと狡猾に打たないとだめなんじゃないの」とおっしゃった。そりゃあそうですよ、と(笑)。しかし、ギャンブルもそうだし、相場にしても正直、元手がないとやっていられないというのは、あるでしょうね。こちらが3000万くらい持って立ち向かっても、100億持っている相手にはかなわない。それは、金についての鉄則でもあるわけですが。

─ 第六章のテーマは、まさにその「『金』、この厄介なもの」。金を持って傲慢になる人間の弱さを喝破されています。

 人がいかにかね本位制になったかということは、つくづく感じますね。この間も銀座で、たくさん人をはべらせて調子よく話をしている若い男を見かけました。ビットコインで儲けたらしいけれども、よく見たら、実に浅ましい顔をしている。ホステスもママも今は彼になびいているけれど、金がなくなれば、たぶんあいつのところには誰も集まらないだろうなと。でも、それではだめだと思う。女だけじゃなく、何も持たない状態でも人が集まってくるような人格であり、志を持った人になってほしいんです。

─ 最終章のテーマは「神の存在と祈り」。これまでご自身をたのみに人生を駆けてこられた伊集院さんが、実は十代の頃から神仏の存在に深く関心を寄せ、定まった宗教は信仰していないものの「今は神の存在が色濃く私の中にある」と告白されたことに、新鮮な驚きを覚えました。

 ずっと「神も仏もあるものか!」という気持ちで生きてきましたからね。これにはやはり、年齢を重ねて親しい人を見送ったり、人から救ってもらったりして、この世には神がいるのではないか? と思える体験をいくつか経験したからだと思います。あるいは、永遠を意識して生きているという実感が持てるようになった、というか……。
 思えば、宗教に対する考え方が極めてゆるいというのも、日本人の特徴でしょう。それも、今の若者、ひいては大人たち全般の未熟さとつながっているのかもしれません。しかしまあ、宗教とか永遠とか、見えざるものの話を始めるとキリがないからね(笑)。

─ 続きはいずれ別の作品で……ということでしょうか。ともあれ、69歳の現在も、新聞の連載小説2本に数々の雑誌連載と、旺盛な執筆が続きます。本書には、小説なんてくだらないと言われるたびに「くだらないか、くだるか、とことんやってやろうじゃないか」と闘志を燃やす「ヘソ曲がり」の性分が原動力だと記されていますが、それは今も?

 そうですね。やっぱり、楽なほうとせんない(面倒くさい)ほうがあったら、せんないほうを選ばなくてはいけないと、自分に課しています。実はこれは、ギャンブルにも通じること。たとえば競馬なら、調教がいい、馬場は有利、騎手はこいつで距離はこれだけ、だったらいけるだろうというほうに賭けると、ほぼ外れる。そういうものなんです。
 数秒後、数分後の世界は、誰にも見えない。だったら、安堵のために言い訳の材料をかき集めて並べるより、ちょっとキツい道を自ら選んで進むほうがいい。若い人だけじゃなく、大人もまだまだ頑張らなくちゃいけないんだと、この本を読んで思ってもらえたら、うれしいですね。

伊集院 静

いじゅういん・しずか●作家。
1950年山口県生まれ。著書に『乳房』(吉川英治文学新人賞)『受け月』(直木賞)『機関車先生』(柴田錬三郎賞)『ごろごろ』(吉川英治文学賞)『ノボさん 小説 正岡子規と夏目漱石』(司馬遼太郎賞)『いねむり先生』『伊集院静の「贈る言葉」』『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』『琥珀の夢 小説 鳥井信治郎』等多数。2016年紫綬褒章を受章。

『大人のカタチを語ろう。』

伊集院 静 著

発売中・単行本

本体1,000円+税

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