[インタビュー]
現実と地続きの「未来」を考えてみた
中島京子さんの新刊は、著者初となる近未来小説です。
廃墟化した高層マンションの上層階に住む老人たちは、なぜ消えていくのか?(「ふたたび自然に戻るとき」)
工場で“日本人”を作るじいちゃんと、管理人兼警備員の“俺”のもとに若い女が現れ、ある探し物をする「キッドの運命」。人工子宮移植手術によって妊娠・出産することを選んだ“ぼく”の物語「赤ちゃん泥棒」。
われわれの未来は明るいのか、暗いのか。来るべき未来は素晴らしいものなのか、恐ろしいものなのか。さまざまに考えさせられると同時に、少し先の未来の姿は、今ある常識を揺さぶり、問題を浮かび上がらせもします。
「今まで書いたことのなかった一冊になりました」と中島さんが語る本書の刊行にあたり、お話をうかがいました。
聞き手・構成=山本圭子/撮影=三山エリ
人工子宮が一般化した未来とは?
─ 田山花袋の『蒲団』をベースにしたデビュー作『FUTON』や、実在の女大名が主人公の『かたづの!』など、中島さんの小説には過去から着想を得ているものが多いという印象があったので、今回、初めて未来が舞台の小説をお書きになったと知って驚きました。きっかけは何だったのでしょうか。
「小説すばる」で「30年後」というテーマをいただいて、一編書いてみたのがきっかけです。それが「キッドの運命」ですね。私は志向としては過去に向いてしまう人間なのですが、すでに私たちの日常に「えっ!」とびっくりするようなことがたくさん起きているという感覚がありました。たとえばもう少しすれば男性の妊娠が技術的に可能になるとか、種子法が廃止されて米などの種の管理が公的に行われなくなったので、巨大企業が種を独占するかもしれないとか。このままいくと未来はどうなってしまうんだろうなあと思ってしまって。未来って個人の選択に任されている部分もあれば、個人では選択できない部分もあるから、これからどう枝分かれしていくのか本当にわかりません。わからないなりに頭の中でいろいろ考えて出てきたのが、これらの話なんです。
だからテーマも特に専門的な記事から探したわけではなく、ふだん目にする情報や身近な話題の中からひっかかってくるものを選びました。舞台は未来なのだけれど、私の中ではある意味、現代小説という気もしています。
─ 六編の並びが、読み進むにつれ現在から遠ざかる時系列になっていますが、いくつかの作品に共通するのが、二度の原発事故が起きたあとという設定です。
やはり福島第一原発の事故はショックでした。もう一度起きたら日本がなくなるかもしれないと本気で思いましたね。ただ、二度の事故が起きたからこういう時代になったとか、こういう政治のしくみになったとか、かっちり考えていたわけではないんです。もちろん危機感はありますが、あまり設定に縛られると書きにくいので、頭にあったのはそんなことがあった世界という漠然としたイメージですね。
─ ここから一作ずつ話をうかがっていきます。まず「ベンジャミン」はある医師が絶滅した動物の種を復活させたことが物語の鍵になっています。
少し前に、友人が翻訳した『絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ』(ダイヤモンド社)という本を読んだんです。今、絶滅していく生物がたくさんある一方で、さまざまな保護も試みられているんですが、それだけでなく、絶滅した生物を復活させることが技術的に可能になっているというんですね。人間は神様じゃないのに、遺伝子を自由自在に操るなんてどういうこと?と混乱してしまって。ただ考えてみれば原子力も、今となっては使う前にもっと検討すべき問題がたくさんあったとわかりますが、最初に研究していた人たちには、これでエネルギー問題が解決に向かうという気持ちがあったわけですよね。遺伝子を扱う人にも、難病治療などの目的があるのはわかるのですが、最先端技術がビジネスと結びついたりもしていて、怖いなと。とにかくいつの間にかいろんな技術がものすごく進んでいて、私はまったくついていけていない。ついていく、ということがどういうことかもわからないような感じです。
─ 技術が進んでいくといえば、「赤ちゃん泥棒」では生殖技術が発達した未来が描かれます。
生殖医療が進むと、「いいの?」と思うことがいっぱい出てきますよね。どこに規制を設ければいいのかはっきりしないし、どこまでを認めていいのか、判断はとても難しい。国によって法的な規制も異なります。ただ、この短編ではそれらの問題にはとりあえず触れずに、いろいろなことが可能になった世の中を考えてみました。
─ この世界では人工子宮が一般化し、ゲイカップルや高齢者夫婦の出産・子育てへの道も開かれています。選択肢が増えたからこそ起きる悩みもあれば、クスッと笑える現象などもありました。
こういう時代になったら、あえて人工子宮ではなく自分のお腹での妊娠・出産を選択する“自腹回帰”というトレンドが出てきてもおかしくないかなと想像したり(笑)。この作品では自分の遺伝子にすごくこだわっている男性を書きましたが、もちろんそれは人それぞれで、私自身は、遺伝子や血筋にそんなに執着するかな?という気持ちがちょっとあるんですけどね。
ユートピアのような場所と、未来の「死」
─ 冒頭で巨大企業が種を独占するかもというお話がありましたが、「
未来がどうなるのかまったくわかりませんが、私の中にやっぱり残ってほしいものはあるんだと思う。それが表れたのがいろんなものを残そうとする「種の名前」で、ユートピアのような場所を想像してみました。
─ 主人公は十四歳の少女ですが、彼女の祖母は腰から下につけた運動補助機能ロボットを“春之助”と呼ぶなど、あらゆるものに名前をつけています。しかもそれらは独自の物語を持っている。機械が生活の中に溶け込みつつも、人間と機械との関係は温かいものになっていますね。
名前をつけるという行為はとても人間らしいと思っています。名前がついたとたん、機械が“大事な〇〇ちゃん”になる。自分の特別な何かであらしめる行為なのだと書いていて思いました。
─ この短編集には死について考えさせられる話がいくつかありますが、その一つが廃墟化した高層マンションが舞台の「ふたたび自然に戻るとき」です。
高層マンションは最近若い世代に人気ですが、家やマンションって、長期的な視野というより、時々の流行で建てられているような気がするんです。私は宅地造成ブームのときに両親が建てた郊外の家で暮らしましたが、大人になってそこを出たんですね。今、当時人気だった住宅地に行ってみると、子ども世代が都心に出てしまって、もう住んでいない。そういう話はよく聞きますし、住宅って世代が入れ替わることを考えておかないとまずいんじゃないか、高層マンションもこの先どうなるかわからないと思いました。住人が高齢化してメンテナンスができなくなったら廃墟化するかもしれないし、そこに独居老人が取り残されることだってありえる、と。
─ 取り残された彼らですが、その死の迎え方は、うらやましい気すらするものでした。
独居老人の孤独死はすでに社会問題になりつつありますが、現代の問題として考えるなら、別の書き方があったと思います。未来を舞台にしたからこそ、こういう書き方ができたような気がしますね。
─ もう一つ、「チョイス」で描かれた死の迎え方は、これはこれで幸せなのかとか、やっぱりイヤだとか、心を揺さぶられました。
この短編集の中で一番進んだ未来が「チョイス」の時代ですが、普通の人々がああいう死に方をしていくなんて……と思いますよね。ただこの話に限らず、絶望的な未来に対して警鐘を鳴らしましょうとか、反対にこういう未来がいいと思うので進めましょうとか、そういう視点では書いてないんです。未来に分岐するいくつかの選択肢のなかで、こういう選択をしたらどうなるだろうかと、その時々の想像力で書いたという感じですね。
この話で一番考えたのは、人間がAIにとって代わられて仕事がなくなったらどうなるかということ。そのとき私たちは何をするの? と思ったんです。同時に、働くということにこんなに重きを置いている私たちの生活ってちょっと変ではないかという気持ちもあって。仕事をしている人は偉くて仕事をしていない人はなんだか軽蔑されるような感じ─たとえば世間ではひきこもりが問題視されているけれど、仕事そのものがなくなったらどうなるだろうと考えました。
─ 「チョイス」では、人類の営みが地球を破壊しないよう起きている時間が制限され、働き方や暮らし方が選択制になっています。つまり人類はもはや地球に迷惑な存在なのに、長生きする世界になっている。シビアな内容ですが、語り手の女の子の言動に救いを感じました。
先日、スウェーデンの16歳の少女、グレタ・トゥーンベリさんが国連気候行動サミットで各国首脳らに「温暖化対策に失敗すれば、あなたたちを決して許さない」と訴えて話題になりましたが、彼女が言うように、地球の資源を掘り起こして燃やしたり、土地を開発して経済成長を図ったりする時代ではもうないと思います。今までの価値観を転換せざるを得ない時期に入っているのはたしかですよね。
日本人や日本語はいつまであるのか
─ 最後に表題作「キッドの運命」についてうかがいます。この世界では国名としての「日本」はもうなくなっていて、レイス(人種)としての日本人のことは日本系・日系と呼ばれている。そして九十歳を超えたじいちゃんが、日本人たる
最近は翻訳ソフトが進化して、空港では音声翻訳機がレンタルされたりしていますが、そんなこともあって私の中に「日本人や日本語っていつまであるのかな」という漠然とした不安が出てきたのだと思います。実はこの話は七、八年前に書いた掌編がもとになっているんです。じいちゃんが“日本人”というロボットを作って、横浜から船で出荷するという話です。当時、日本万歳みたいな雰囲気や、日本人としての同調圧力や均一性に疑問があったので、それらを戯画化して書いてみました。
─ その掌編をもとに今回短編を書かれたのは、どんなお気持ちからだったのでしょうか。
最初にも言いましたが、やっぱり震災と原発の事故がすごくショックだったんだと思います。それがスタートにあった気がします。
─ 首都は福岡に移り、じいちゃんの家は「変人じゃなきゃ住もうなんて思うわけがない」区分Dエリアにあります。主人公はじいちゃんの家に間借りしている研究施設の管理員兼警備員の男で、他にほとんど人のいない静かな場所に、謎の女・テルマが突然海からやってくる。最後に明かされる彼女の目的には驚きましたが、異分子の登場はどんな時代、どんな世界でも停滞を打ち破るものかもと思いました。
現実と地続きの未来を考えたとき、じいちゃんが理想とするような日本人だけの日本はもうないと思うんです。すでに今だって、たとえばコンビニでは多くの外国人が働いています。三十年後となるともっと違ってくるだろうな、じいちゃんが考えるような日本人はもはや機械で作るしかないかも……、と考えていきました。
でも今の日本は、外国人にあまりやさしくない感じがしますね。この間、カナダに行ったのですが、カナダは移民の国。カナダに限らず、すでに国というボーダーは至るところで壊れていて、それは今後、世界中に広がっていくだろうと思いますが、日本はまだまだ閉鎖的ですよね。去年入国管理法が変わりましたが、専門家に言わせると変化の程度はほんのちょっとで、広げたことにならないとか。どうしてそうなるんだろうと考えたとき、日本人には外国の人にはあまり定住してほしくない、日本は日本人のものだから、といった気持ちがわりとしっかりあるような気がしました。
─ 外国人観光客には来てもらいたいけれど、定住となるとハードルが上がる。
そう、東京オリンピックに来てくれるのは大歓迎なんです。でも、すでに日本は日本人だけではやっていけなくなっているし、いろんな人たちが出入りする社会のほうが未来があるだろうなと思いますね。
─ もうひとつ、この話で印象的だったのが東アジアの状況です。この世界では中国共産党が解党されて、中国(PRC)は州制度を導入した中華合衆国(USC)になっている。そして香港はUSCに残るか、独立してEAU(東アジア連合)に加盟するかを決定する投票の日を迎えています。現在の香港民主化デモを想起させるところもありました。
この話を書いたのは二年前なので、香港がこんなことになるとは思いもよりませんでした。ただ、二〇一四年に起きた雨傘運動(二〇一四年九月二十八日から七十九日間続いた民主化要求デモ)は少し頭にありましたね。これは小説なので、未来予測ではないし、何かの提言でもありませんが、希望としては東アジアの中が対立しあうのではなく、うまくやっていけるようなあり方に向かうといいなと思います。
─ 悲観的な見方をすれば、日本の半分が機能しなくなるほどのことが起きなければ、東アジア全体もなかなか変われないのかも、とも思いました。
もちろん変化は日本の事情だけで起きるものではないでしょうけれど、確かにいろいろな感情が入ってくる話ですよね。さまざまな読み方をしていただけたら嬉しいです。六編ともに、自分の心配や、あるいは若干の希望を織り込みながら、「こんな未来を考えてみた」という作品です。そういう意味では、今まで書いたことのない一冊になったと思っています。
中島京子
なかじま・きょうこ●作家。
1964年東京生まれ。出版社勤務ののちフリーライターに。米国滞在を経て、2003年『FUTON』で小説家デビュー。著書に『小さいおうち』(直木賞)『妻が椎茸だったころ』(泉鏡花文学賞)『かたづの!』(河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ賞作品賞、柴田錬三郎賞)『長いお別れ』(中央公論文芸賞、日本医療小説大賞)『夢見る帝国図書館』等多数。