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佐々木 敦 『あるいは修羅の十億年』古川日出男 著

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「現在改変SF」としての小説

 古川日出男の小説はそもそもの初めからジャンル分け不可能だったが、近作になるほどその傾向はますます極まっており、とりわけこの長編はそうだ。
 舞台は二〇二六年の東京。ヒロインは谷崎宇卵=ウランという十八歳の少女。彼女は原子力で動く人工心臓を持っている。ウランは世界的に有名なメキシコ人美術家ガブリエル・メンドーサ・Vが東京で行なうプロジェクト――巨大な鯨=久寿等から始まる神話的な物語=歴史――のシナリオライターに抜擢される。ウランは喜多村泰雄=ヤソウという少年と出会う。ヤソウはそこで生きる者たちが「森」と呼び、その外の者らが「島=Shima」と呼ぶ地域からやってきた。そこは十五年前、巨大地震と津波のあとに二ヵ所の原子力発電所が相次いで爆発してから、その内側で人間は生存出来なくなったと思われている。だが実は「森=Shima」では放射能を分解する突然変異種の茸が発生し、進化を遂げていた。ヤソウの従姉である喜多村𠖱子=サイコ(別名P)は、その事実を基に「きのこのくに」という「小説」を書く。サイコの母親でヤソウの叔母でもある喜多村留花=ルカはフランス南部のカマルグにいる。ヤソウに使命を与えて外に送り出したのはカウボーイこと堀内牧夫。彼ら彼女ら以外にも謎と魅力に満ちたキャラクターが次々と登場し、物語は果てしなく拡散しながら速度と強度を増していく。
 つまりこれはまぎれもないSFである。だが設定もエピソードも、これが明らかにわれわれが生きるこの時代の話であることをあからさまに示している。歴史改変SFというジャンルがあるが、これはむしろ現実(現在)改変SFだ。いつかどこか、の物語ではなく、今ここ、を描き出すために、そして今ここから真っ直ぐに伸びて、もうすぐにもやってきてしまう未来を迎え撃つためにこそ、古川は獰猛な想像力と強靭な筆力を駆使して、この再生と共生の寓話を紡いでいる。これは読むための小説というよりも、そこで生きることを求められる小説だ。

佐々木 敦

ささき・あつし●批評家

『あるいは修羅の十億年』

古川日出男 著

発売中・集英社文庫

本体900円+税

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