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今月のエッセイ/本文を読む

小杉健治 『九代目長兵衛口入稼業』

[今月のエッセイ]

なぜ、九代目か

 幡随院長兵衛ばんずいいんちようべえは江戸前期の俠客きようかくである。『徳川実紀とくがわじつき』にも登場する実在の人物で、大名・旗本屋敷に人足にんそくを派遣する口入れ稼業をしていた。
 武力を必要としなくなった平時に、お役にありつけない小身の旗本はその不満を市中で無頼を働くことで晴らした。旗本奴はたもとやつこと呼ばれ、この中心にいたのが白柄組しらつかぐみの旗本水野十郎左衛門みずのじゆうろうざえもんである。これに対抗して生まれたのが町奴まちやつこと呼ばれた俠客たちで、その頭領が長兵衛である。
 町奴の幡随院長兵衛と旗本奴の水野十郎左衛門の対立は『徳川実紀』にも記され、長兵衛が水野十郎左衛門に殺されたことも書かれている。
 河竹黙阿弥かわたけもくあみ作の『極付きわめつき幡随長兵衛』では、長兵衛は水野十郎左衛門の屋敷に招かれ、風呂を勧められて湯殿で殺されるという筋立てだが、私が幡随院長兵衛を知ったのは子どもの頃に観た映画でだった。
 十郎左衛門は喧嘩の手打ちのために屋敷での酒宴に長兵衛を招いた。長兵衛は罠と知りつつ十郎左衛門の招きに応じ、殺されるのだ。長兵衛はまだ三十六歳だった。
 町人の意地を通して死んでいく長兵衛は子ども心にも格好いいと思われた。『真実の江戸人物史』(江崎俊平/志茂田誠諦著・ぶんか社文庫)によると、長兵衛が死んだのは、源空寺にある長兵衛の墓の銘では慶安三年(一六五〇)だが、『徳川実紀』によれば明暦三年(一六五七)になっているという。
 この死亡時期の違い以外にも、水野十郎左衛門の年齢や長兵衛の父親の年齢など、各史料によって矛盾があるという。
 著者は考察の末、こう推測している。
「ここで考えられるのは、慶安三年に死んだ長兵衛と、明暦三年に死んだ長兵衛は別人ではないかということだ。水野十郎左衛門に殺された長兵衛とは、先代の名前を継いだ二代目だったのではないだろうか」
 そう考えれば、さまざまな史料のずれを正すことが出来ると、著者は言う。
 二代目がいれば、それ以降代々長兵衛の名を引き継ぐ者がいてもおかしくないと思ったわけではないが、本シリーズは九代目長兵衛が主人公である。
 時代は文政元年(一八一八)、初代長兵衛の死からおよそ百七十年後のことで、九代目長兵衛は二十六歳である。
 映画や芝居でお馴染みの俠客をみてみると、このとき、上州じようしゆうの俠客大前田英五郎おおまえだえいごろうは二十五歳で、博徒の親分を斬り殺して長い草鞋わらじを履いている。国定忠治はまだ八歳、『天保水滸伝』の笹川繁蔵も忠治と同じ八歳、飯岡助五郎は二十六歳、清水次郎長にいたってはまだ生まれていない。
 ちなみにこのシリーズの中で今後、長兵衛と接点をもつことになる鼠小僧次郎吉は二十一歳。大名屋敷を荒し回るのは、この五年後からである。
 初代の長兵衛の出自ははっきりしないが、西国の浪人の子とされている。長兵衛のように江戸初期の俠客は浪人など、武士の流れをくむ者が多いが、江戸後期では農村出身者が多くなる。先の大前田英五郎は上州大前田村の名主なぬしの子であり、国定忠治もまた上州国定村の旧家のせがれである。
 時代とともに変わっていく博徒の世界の転換期に、初代幡随院長兵衛の心意気を継ぐ九代目長兵衛が登場する。
 九代目は初代から脈々と受け継がれてきた、義理と人情、意地と度胸を売り物に権力と悪とに対峙し、常に弱者のために命を張る。縄張りに固執したり、己の利益のために喧嘩を繰り返す博徒とは一線を画する。
 私のこれまでの作品は家族をテーマにしたものが多かったが、この作品で、はじめて男を描くことに挑戦するつもりでいる。俠客の長兵衛を通して男の格好よさを描ければと思っている。

小杉健治

こすぎ・けんじ●作家。
1947年東京都生まれ。83年、データベース会社に勤務の傍ら執筆した「原島弁護士の処置」で第22回オール讀物推理小説新人賞を受賞しデビュー。著書に『絆』(推理作家協会賞)『土俵を走る殺意』(吉川英治文学新人賞)他、ミステリ、時代小説含め多数。

『九代目長兵衛口入稼業』

小杉健治 著

集英社文庫・発売中

本体640円+税

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