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SF設定のエモーショナルな
本格ミステリ
《その可能性はすでに考えた》シリーズで知られる謎と論理の魔術師・井上真偽が、まさかこんなタイトルのミステリを出そうとは。
ベーシックインカム(最低給付保障)とは、作中の説明を借りれば、「国民の一人一人に、最低限の生活ができるレベルのお金を一律無条件に給付しよう、という社会保障制度」のこと。とはいえ、本書は社会派サスペンスでも経済学ミステリでもない。全五話のうち、表題作となる最終話には、たしかにジョン・スチュアート・ミルやクリフォード・ヒュー・ダグラスの名前が出てくるし、事件現場は大学の経済学研究室だが、その核心は、「オートロックのドアと暗証番号で守られた金庫からいかにして通帳が盗まれたか?」という謎。基本はあくまで本格ミステリなのである。
他の四話は、第70回日本推理作家協会賞短編部門にノミネートされた「
たとえば、「もう一度、君と」では、失踪した妻が直前まで体験していた観賞型VRソフトが焦点になる。〈鎌倉怪談〉シリーズの新作だという問題のタイトル〈雪之下飴乞幽霊〉は、いわゆる〝子育て幽霊〟もののバリエーションで、夜ごと飴屋のもとに飴を買いに来る女の幽霊の物語だが、映画のように外から見るだけでなく、登場人物の目になって体験することもできる。ですます調で語られるこの作中作がすばらしくよく書けているだけでなく、VR技術を介することで、古典的な怪談が現代人の心の謎と鮮やかに結びつく。
技術は革新されても人間の情は変わらない。驚くほどエモーショナルな連作集だ。
大森 望
おおもり・のぞみ●書評家、翻訳家