[本を読む]
浮いた謝罪の言葉に見る人生の苦味
今は謝罪の時代、なのかもしれない。
インターネット上の炎上や企業の不祥事など、誰かの、あるいは世間の怒りが簡単に膨張し、とにかく謝ることが要求される。しかしその謝罪に意味はあるのか、それで本当に終わりなのかという疑問が残る。それは何気ない日常のシーンでも同じだろう。
『ごめん。』という謝罪の言葉がタイトルの連作短編集であるこの本のメインの舞台は、学生服専門の洋品店であるこぢんまりした会社だ。事務課の人々は一見ごくごく普通で、ルーティンの業務をこなしながら、人間関係にも角を立てないようにおとなしくやり過ごし、特に大きな問題を抱えているようには見えない。しかし作家の筆で各人をクローズアップすると、表面的なイメージとはまた別のそれぞれの悩みや欲望、家族との関係など、隠された感情や実情が浮かび上がってきて、何とも言えず苦味ばしった人間味が現れてくる。
部署最年少の女性社員と出入り業者の青年との恋、セクハラ課長の家庭問題、無口でお堅い事務員女性の息子への愛、恋愛妄想ばかりしている花粉症の事務員、そして各人の家族との関係にまで筆は及び、人はそれぞれの事情を抱え、決して甘くない人生を嚙みしめつつ、普通の顔をして会社に行き、それぞれの役割を演じていることがわかる。
ごめん、ごめんなさい、すみません、申し訳ありません……といった謝罪の言葉がいろいろな場面でたくさん登場する。謝罪の言葉は、本来人と人をつなぐ意味で発せられるものであろう。自分の落ち度を認め、相手に許しを乞い、穏やかな関係を続けるために。
しかし、時によってそれは浮く。誠意のない状態で発せられたがゆえに、あるいは相手に受け止めるつもりがないがゆえに、タイミングを逸してしまったがゆえに。浮いてしまった謝罪から人生の苦味を感じ、それでも普通に暮らしていくダメな人間への愛おしさを感じる。ページをめくり謝罪の言葉を見るごとに普通に暮らす人間の奥深さが沁みてくる。
神田法子
かんだ・のりこ●ライター