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インタビュー/本文を読む

佐高 信 『いま、なぜ魯迅か』集英社新書

[インタビュー]

絶望の泥染めから浮かび上がる〝本当の希望〟

「長いものには巻かれろ」で、多数に従う「いい人」ばかりのこの国には、いまこそ、魯迅という精神の爆薬が必要だと私は思う。─佐高信さんの新刊『いま、なぜ魯迅か』(集英社新書)は、「忖度」が大流行している日本社会に対する鋭い批判の矢として、ご自身の「思想の原郷」である魯迅の思想をクローズアップしたものです。これまでにも折に触れて魯迅を取り上げ、「魯迅と生きる」道を歩んできた佐高さんにとって、今回の本は魯迅論に「決着をつける」べく書かれたものだそうです。
「魯迅を振り返ることは、自分の生の軌跡を振り返ることである」という佐高さんに、本書に込めた想いをうかがいました。

聞き手・構成=増子信一/撮影=中野義樹

日本人には知られていない痛烈な批判精神

─ 魯迅との出会いは?

 それ以前から魯迅を読んではいましたが、本格的に魯迅の思想に参入していったのは、学生時代にむのたけじさんを媒介として読むようになってからです。魯迅を読むことによって、むのさんの思想に対する理解も深まったし、むのさんを通して魯迅理解が加速されたわけです。
 そして、高校(山形県立庄内農業高校)の教師になってから、先輩、後輩、六、七人が集まって「魯迅を読む会」を始めたんですね。岩波の『魯迅選集』(全十三巻)を順番に読んでいくというもので、そのおかげで二十代前半で岩波の選集を一応全部読むことができた。
 そうやって、私なりに魯迅を読んでいったのですが、私が学生の頃はみなマルクス一辺倒という感じだったんですね。でも私はむしろ魯迅で、その頃友人に、「日本人にはマルクスやウェーバーよりも魯迅が必要だ」という手紙を書いている。魯迅は、奴隷を持つことにおいて、奴隷の主人もまた奴隷であると喝破しましたが、そういう〝奴隷精神〟を何とかしないと日本はどうしようもなくなる、という思いは今でもすごくありますね。

─ 佐高さんには「辛口」という形容詞がよく付きますが、魯迅の批判もかなり激烈ですね。

 魯迅は百種以上のペンネームを使って、批判のゲリラ戦を展開していた。その点、佐高がペンネームで書かなくていいのは批判がぬるいからだと書かれたことがあって、うーん、それもそうなのかなとか思ったりしましたけど。
 ただ、そうした魯迅の強烈な批判精神は、案外に知られていない。日本人の魯迅のイメージというと、やはり教科書に出てくる「狂人日記」や「阿Q正伝」といった小説ですよね。

─ はい。「故郷」もよく教科書に入っていました。

 そうした小説作品よりも、妻の許広平きよこうへいとの往復書簡の『両地書』、あるいは「『フェアプレイ』は時期尚早であること」といった評論から入ったほうが、魯迅の考えはわかりやすいんじゃないかと思うんですけどね。たとえば散文詩集『野草』のなかに「犬の反駁」というのがあって、《シッ! 黙れ! 権勢にへつらう犬め》と犬にいうと、《どういたしまして。とても人間さまには及びません》と返される。ああいうのは痛烈ですよね。
 それから『両地書』のなかで、魯迅が許広平に、「私の作品は暗すぎるのです。私はいつも『暗黒と虚無』だけが『実在』だという気がして、そのくせそれらに向って、絶望的に戦っているのです」と書いていますが、ここには絶望からの出発みたいなものがある。
 ところが今の日本のメディアは、「なんでもいいから何か希望を持てるような話をしてください」みたいなことをいうじゃないですか。そうするとこっちは、ふざけんなという感じがするわけですよ。今の日本の現実で明るい話をするのはバカでしょう。つまり、「希望」というものが手垢にまみれて、どこでも安売りされている。「希望バーゲンセール」みたいになっていて、ものすごく嫌ですね。むのさんもいってましたけど、「日本人に欠けているのは希望なんかじゃない、絶望だ」と。希望というのは、文字通り「まれなる望み」なんです。その辺にやたら転がって安く売っているようなものは希望じゃないわけですよ。
 これは別のインタビューでもいったのですが、大島つむぎというのがありますね。あれは泥のなかに浸してはじめて絹糸にあの独特の美しい光沢が出てくる。まさに、絶望の泥染めをしないと、本当の希望が浮かび上がってこない。泥染めしてない、ぺらぺらした希望というのを追いかけている今のメディアは、どうしようもないですね。

─ 佐高さんが名付けた「まじめナルシシズム」、「誠実」讃美者に対するうさん臭さも、ここで指摘されています。

 魯迅の短篇に「傷逝しようせい」というのがありますね。職を失って生活が不如意になった主人公が、思わず妻に向かって「正直に言おう。……ぼくはもうきみを愛していないんだ」といってしまう。妻はその残酷な言葉に傷つき、主人公のもとを去って失意のうちに死んでしまう。主人公はそれに対して自責の念に駆られるのですが、しかし、重荷を負うのは自分ではなく、「真実の重荷をかの女の肩におろしてしまった」わけです。つまり、誠実であれとかという人は、大抵、相手にではなく、自分に対して誠実なんですよ(笑)。

魯迅を取り巻いたさまざまな人々

 今回の本は、以前、雑誌の『Bart』でサラリーマンの人生相談(『スーツの下で牙を研げ!─ 史上最強のサラリーマン人生相談』)をやっていたときの担当編集者に「魯迅の決着をつけてください」と迫られたことから始まったのですが、その雑誌の連載が終わったときに、ご褒美として「好きなところに行っていい」といわれたんです。もう四半世紀前のことですけど、あの当時は出版業界もけっこう恵まれていたんですね(笑)。
 そういわれても、私はヨーロッパもアメリカもあまり好きではないから、上海に行かせてもらったわけです。で、その担当編集者とカメラマンと三人で行ったんですが、そのときに魯迅の墓参りをしている。こっちは忘れていたけど、担当の彼には私が魯迅に執着しているという印象がすごく残っていたんでしょうね。

─ 今回は、ご自身の思想遍歴をたどる旅ということで、むのたけじさんをはじめ、上野英信、斎藤ひと、ニーチェ、中野重治、伊丹万作、久野おさむ、竹内よしみといった人たちの魯迅との関係にも触れられています。

 ええ。自分なりにいろいろなかたちで力点を置いたつもりです。たとえば、ニーチェに関していえば、魯迅はかなりニーチェを読んでいるし、私自身、学生時代にほぼ同時にその二人の思想に触れたということもある。もう一つ、ニーチェと魯迅を対比させたのは、ニーチェはキリスト教の神を殺し、魯迅は東洋の圧倒的な儒教の厚みのなかで、儒教へ手袋を投げたという、この反逆の精神が共通しているからです。
「はじめに」にも書きましたが、親孝行の男が、貧しくて母親に食を与えることができないので、自分の息子を埋め殺してしまうという話を引き合いに出して、魯迅は、これが親孝行の道だと儒者は説くが、自分の父親がこの男のような孝行息子だったら、埋められるのは自分ではないかという恐怖を語っている。実に痛烈な儒教批判ですね。
 そのほか、私の郷里の庄内の出身の斎藤野の人に魯迅が影響を受けていたという関係も出てきたり、いろいろおもしろかったですね。そのなかでも、今回一番なるほどなと思ったのは、内山完造ですね。

─ 晩年の魯迅がよく通っていた上海の内山書店の店主ですね。内山完造が出てくるのは最後ですが、そこまでの非常に激しい魯迅と比べると、内山書店でリラックスする魯迅のイメージが出てきて、少しホッとしました。

 厳しい政治情勢のなかで、それこそ命まで狙われていた魯迅ですから、内山書店でのひとときはオアシスのようでもあっただろうし、そこまで心が許せるほど、深い関わりだったということでしょうね。それをよく表しているのが、蔣介石しようかいせきの南京政府が魯迅たちに対する弾圧を強め、日本軍も魯迅を狙っているという緊迫した情勢のなか、内山書店の一室に魯迅をかくまうという話を聞いた許広平が、日本人を信用していいのかと訊くと、魯迅がこう答える。「老板ローベ(旦那=完造)は私にいつもこう言います。友人を敵に売り渡さない人は日本人にもいます、と」
 でも、完造の奥さんの美喜さんの存在も大きいんですね。美喜さんは京都生まれで、父親の借金を返すために花柳界に入り、通っていた京都教会で完造と出会うわけですね。美喜さん自身、いろいろな水をくぐってきた人で、そういう絶妙なコンビが魯迅という人を救ったわけです。
 魯迅の死後の話ですが、許広平が日本の憲兵に捕まったときに、完造が憲兵隊本部に釈放を求めてかけ合いに行く。あの時点でそんなことをするのは、すさまじく危険なことです。自分たちだっていつ殺されるかわからないような状況のなかで、ああいう動きができたというのは立派ですね。
 変な言い方ですけど、そこにはインテリではない強さというのがあるんだと思いますね。私の先生である久野収が言っていましたが、インテリというのは、いざ捕まったときに、自分の考え、思想は頭から入っているから、弾圧を受けて耐えられなくなると自分の考えを変えて転向してしまう。ところが、インテリじゃない人は、頭から入っていないから考えを変えずに耐えられるんだ、と。
 内山完造・美喜の夫婦は、そういう意味では自分の思想を変えられない、変えない人で、そこを魯迅も見ていたんでしょうね。

単なる読書ではなく、生き方として読んできた

 魯迅は「人をだましたい」といってみたり、〝フェアプレイ〟といった考えに対して冷笑を浴びせたりして、いわゆる「正人君子」への呪詛を投げつけている。これは、どこから来ているのかといえば、その根底にあるのは、魯迅の儒教嫌いだと思います。
 私は『故事新編』のなかにある「出関」という作品が好きなのですが、弟子が老子に、先生と孔子は道を同じくしているのではないですかと問いかけると、老子が「たとえば、同じ一足の靴であろうとも、わしのは流沙を踏むもの、彼のは、朝廷へ登るものだ」と答える。なんとも痛烈な孔子批判ですよね。
「『フェアプレイ』は時期尚早であること」のなかでも、「誠実なる人がしきりに叫んでいる公理にしても、現今の中国にあっては、善人を救助することができないばかりでなく、かえって悪人を保護することにさえなっている」と言って、「『公理』は一斤何円ですか?」と強烈な皮肉を投げる。

─ ソクラテスは悪法も法なりといって毒を飲みましたが、魯迅だったら飲まないでしょうね。

 飲まないね。死んでたまるかという感じでしょう。「捨身飼虎しやしんしこ」なんてとんでもない、虎に死骸も食わせない。

─ そうした魯迅の思想が、佐高さんの思想の血肉になっているわけですね。

 私自身いろいろな人の影響を受けているわけですが、こと魯迅に関していえば、魯迅という人を本当にうまく紹介したのが竹内好で、魯迅精神を実行したのがむのたけじだという構図でしょうね。
 中野重治の項に書きましたが、私自身、魯迅を読むということは単なる読書じゃなくて、共産党の勧誘に対して切り抜けるすべでもあった。だから、本当に生き方として読んできたという感じですね。

─ 今の日本に欠けているのは、そうした魯迅的な生き方、精神であると?

 森友学園の幼稚園で子どもたちに教育勅語を朗唱させていたことが問題になったとき、教育勅語はいい部分もあるという言い方があったでしょう。でも、そういう打ち返し方はだめなんです。親孝行そのものに問題があるんだといういい方をしないと対抗できないよ、ということです。
 たとえば漱石にしたって、文豪としてまつり上げられてしまって、「時鳥厠ほととぎすかわや半ばに出かねたり」という反権力的な側面というのは忘れられている。魯迅が慕った漱石というのは、そうじゃないよ、と。
 もうひとついえば、『魯迅烈読』という本に、「〝ホメ殺し〟の効用」という章があるのですが、なぜその章を設けたかというと、魯迅は実に巧みに〝ホメ殺し〟の技を使っているからです。
 その昔、江藤淳さんと対談したときに、「私の人切りの方法、批判の方法は、江藤淳と竹中ろうに学んだ」って、江藤さんに直接いった。これはまさにホメ殺しですよ(笑)。江藤さんも「何かホメ殺しに遭っているみたいだ」とかいうから、「今日はそのつもりで来たんだ」と(笑)。久野収先生に唯一褒められた対談です。
 それこそ、ホメ殺しの怖さを教えてくれたのが久野先生なんです。批判にはけっこう耐えられて崩れない人でも、ホメ殺しには崩れていくんですね。久野先生をやたら持ち上げている人がいて、その人が書いたものを見て、先生が「この人おかしいよね」といったのをよく覚えている。だから、褒められたときに気をつけろというのはやっぱりどこかに残っているんですね。
 今回の本をどう書こうかと思っていたとき、一九〇四年の秋に魯迅は仙台へ行っている。そういえば、その二年前に石原莞爾かんじが仙台にいたんだな。ああ、そうか、魯迅と日本という形なら書けるなと思い、それで中野重治、竹内好といった人たちが出てきた。そしたら、なんと久野先生まで出てきちゃった(笑)。
 いろいろなことを思い返すことができて、なかなかに楽しい旅をした感じですね。

佐高 信

さたか・まこと●評論家。
1945年山形県生まれ。慶應義塾大学卒業。高校教員、経済誌編集長を経て、評論家として活躍。「憲法行脚の会」呼びかけ人の一人。「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」共同代表。著書に『未完の敗者 田中角栄』『自民党と創価学会』『敵を知り己れを知らば』、共著に『国権と民権 人物で読み解く平成「自民党」30年史』『安倍政権を笑い倒す』『戦争と日本人』など多数。

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