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特集インタビュー/本文を読む

安部版「太平記」シリーズ刊行!
安部龍太郎 最新刊蝦夷えぞ太平記 十三とさの海鳴り』

[特集インタビュー]

古典の世界観に縛られずに、
経済・流通から南北朝時代を捉える

鎌倉時代末期、奥州十三湊おうしゆうとさみなと(青森県津軽地方)で起きた「安藤氏の乱」をご存じでしょうか。北条得宗家とくそうけの支配が揺らぎ、鎌倉幕府崩壊のきっかけとなったとも言われる、北国で起きた争乱です。
安部龍太郎さんの最新刊『蝦夷太平記 十三の海鳴り』は、蝦夷管領かんれい家、安藤氏の側室の子として生まれた安藤新九郎しんくろうが、安藤家の内紛と、アイヌと和人わじんとの対立に巻き込まれながら、型破りな生き方を貫こうとする物語。同時代の武将・佐々木道誉どうよ楠木くすのき正成まさしげの生涯を描いた『道誉と正成』、新田義貞よしさだを描いた『義貞の旗』に続く、安部龍太郎版「太平記」の第三作にあたります。
安部さんが「太平記」に挑むことになったのはなぜか。それぞれの作品に込められた思いはどのようなものなのか。この度文庫化された『道誉と正成』『義貞の旗』から、単行本新刊『十三の海鳴り』まで、たっぷりとお話をうかがいました。

聞き手・構成=タカザワケンジ/撮影=山口真由子

商業的武士団を描いた
『婆娑羅太平記 道誉と正成』

─ 安部版「太平記」の一作目が『道誉と正成』。文庫化にあたり、サブタイトル「婆娑羅ばさら太平記」が加えられました。

 主人公の一人、佐々木道誉が「婆娑羅大名」と異名をとった武将なんです。婆娑羅はサンスクリット語からきている言葉で、元になっているのは金剛石、つまりダイヤモンドのことなんですね。美しい、高価、硬くて傷つかない。それが変じて人の言うことを聞かない、自分勝手にことを成すという意味で使われました。
 僕の生まれた福岡県の八女やめ市には「ばさらか」という方言が残っているんです。「ばさらか美しか」とか言うんですよ。実は、僕の田舎は、南北朝時代に南朝方の人たちが落ちのびてきて山岳ゲリラのような戦い方をした場所なんです。北朝方に負けた人たちがそのまま居着いてしまったそうです。母方の先祖は、南朝方の皇子についてきた人なんです。

─ なんと。南北朝時代は、安部さんご自身のルーツにも関わりがあるんですね。『婆娑羅太平記 道誉と正成』は北朝方につく佐々木道誉と、南朝方の楠木正成が主人公です。敵同士ですが、どちらも貿易で財を成した商業的武士団を率いていたという共通点がありますね。

 現代の作家が南北朝時代に手を触れにくいのは、どうしても古典の「太平記」の世界観に縛られてしまうからなんです。「太平記」は、天皇のために命を散らした人たちの物語。それがいまだに南北朝史観のベースになっている。その強い磁場からのがれられず、想像力が解放されていかないわけですよ。
 ところが、日本史を勉強していると、南北朝時代の背景には、日本の経済構造の劇的な変化があったことがわかってきました。変化の原因はげんとの貿易です。歴史の教科書では、鎌倉時代末期に元が攻めてきて、神風で撃退したというところまでしか書いていませんよね。でも、ほんとうは元寇げんこうをきっかけに元との交流が始まり、日本から大勢のお坊さんたちが留学したりと、日元貿易が盛んになりました。貿易によって、大量の銭が日本に輸入されて、流通するようにもなりました。日本ではその頃、貨幣を鋳造していなかったので、元から来たお金が経済の中心になっていきます。

─ それまで農業が中心だった経済が、貨幣経済へと移行した、と。たしかに大きな変化ですね。

 そうなんです。日本の歴史を振り返ると、一つの法則が見えてきます。動乱が起こるのは、外国との貿易が盛んになり、新たに富を得て力を持つ人々が登場したときなんです。平清盛は日宋貿易で力を得ました。応仁の乱の背景には日明貿易があったし、南蛮貿易が盛んになったことが戦国時代を引き起こしました。幕末の黒船来航もそうですね。

─ なるほど、そうですね、たしかに。

 鎌倉末期に貨幣流通と、それによる商品経済の浸透によって新たに力を持つ武士が登場した。佐々木道誉と楠木正成がまさにそれです。後醍醐ごだいご天皇は、彼らを利用して幕府を倒そうとした。それに応じたのが楠木正成でした。経済構造の転換という視点で見ると、古典の「太平記」では見えてこない世界が見えてきます。

─ 尊皇というイデオロギーとは別の視点で南北朝時代を見るということですね。楠木正成は幕末の尊皇思想の中で持ち上げられ、その流れの中で維新に利用され、さらに、明治の末の南北朝せいじゆん問題以降、イデオロギー化されましたが、この作品では商業的武士団のリーダーとして描かれています。

 楠木正成は、明治維新のときに尊皇攘夷や倒幕派の人たちに利用されるだけ利用されました。特に京都とか関西方面では、長州様は楠木様をなさるらしい、という話が広まった。つまり、薩摩長州がやっていることは、楠木正成がやったことと同じ尊皇だ、という正当化ですね。

─ いわば神話化されてきた楠木正成という人物を、安部さんは等身大に描いています。

 僕が機械工学の出身だからかもしれないですが、ロジックが土台にないと書けないんですね。尊皇の志を持っていたからこんなことができた、というだけでは納得できない。そういう側面があったというのはもちろんありますけど、それだけではなく、鎌倉幕府のままでは経済が立ちゆかなくなるという現実的な理由もあったということですね。

古いタイプの鎌倉武士を描いた
『士道太平記 義貞の旗』

─ 二作目の『士道太平記 義貞の旗』の主人公は、意外にも新田義貞です。南朝方で楠木正成と並んで活躍した武将ですが、意外だったというのは、『道誉と正成』で佐々木道誉がくさしているから。「義貞という男を初めから買っていなかった。ひとかどの武人ではあるようだが、話しぶりに才智が感じられないからである」と(笑)。しかし、『義貞の旗』の新田義貞は、いくさに強いだけでなく、一本筋の通った男として描かれていてかっこいいんですよね。

 そう言っていただけると嬉しいですね。近江おうみの佐々木道誉が西の婆娑羅大名とするならね、上州の新田義貞は東の鎌倉武士。しかも古いタイプの鎌倉武士なんですね。
 新田義貞を書こうと思ったのは、佐々木道誉にあれだけ批判させたので、このままにはしておけんなということと、西国の武士と東国の武士がどう違うのかを書きたかったからです。しかも新田家は、足利あしかが家と比べるとかなり格が低いんですね。鎌倉幕府を政府とすると、足利尊氏たかうじは大臣クラス。義貞は町長クラスですから。

─ しかも新田家にはお金がありません。京都大番役(内裏や院の御所の警固にあたる仕事)をおおせつかっても、その費用捻出に頭を悩ませます。

 旅費や滞在費を幕府が出してくれるわけじゃないですから、東国の武士にとっては痛い出費ですよね。自分たちの知行地ちぎようちから上がるお金でまかなえというのが武士の原則ですが、借金のかたにその知行地を人にとられていたりする武士がいっぱいいた時代です。だから、借金を棒引きする徳政令とくせいれいを鎌倉幕府は乱発したりした。そのことが、経済の混乱をさらに招いていくわけですけど。
 新田義貞はそういう混乱の中で逆境から這い上がってきた男です。しかも、血筋でいえば足利尊氏よりも清和源氏せいわげんじの正統に近い。実際に軍勢を集めて戦ってみると、大活躍してしまう。意外と自分ってできるんじゃん、と思ったでしょうね。

─ 義貞は戦に強いだけでなく女性にモテますね。地元では宣子のぶこという評判の美女を側室にし、京都では公家の世尊寺房子せそんじふさこがぞっこんになります。

 新田義貞は、真っ直ぐ走る男の話。道誉のように、あるいは正成のように、カーブがある人生ではないんです。その分、エンターテインメントとしていろんな要素を入れることができました。
 二人の女性を登場させたのは、やはり関東と京都の女性の違いを書きたかったから。僕は京都に仕事場を持って十八年になるんですが、東京と京都を行ったり来たりしていて、その違いをことあるごとに感じるんですよ。

─ 義貞は古いタイプの鎌倉武士とおっしゃってましたけど、お金や地位よりも大切にしているのが義。「信じたこと、約束したことを貫くのが男の義だ」という男です。

 後醍醐天皇と、俺、おまえみたいに話せるような関係になれたのもそこですよね。後醍醐天皇も、自分の欲望のために鎌倉幕府を倒したいと思っているわけではない。みかどがこの国のあるじだということを万人の脳裏に刻み込むことが大事なんだ、と。後醍醐天皇が一番信頼したのは義貞だったと思うんですよ。正成よりははるかに気心が知れていただろうと思います。

─ 義貞は「俺は源氏の嫡流ちやくりゆうなのだ」と意識することが武将としての自覚にもつながっていますよね。血筋を信じることで誇りを持てる。その点で義貞と後醍醐天皇は通じ合う部分もあったのではないでしょうか。

 そうですね。後醍醐天皇が目指していたのは王政復古。天皇中心のかつての律令りつりよう体制みたいなものを復活させたかった。その中心になるのは、やはり天皇がこの国の主である、王であるという正統性なわけですよね。そうすると、義貞が誇りに思っている清和源氏の嫡流だというのも、同じところから流れ出ている。だから気が合うんです。

北の視点で時代を見る
『蝦夷太平記 十三の海鳴り』

─ いよいよ最新刊についてお話をうかがいます。主人公は安藤新九郎。『道誉と正成』にも大塔宮だいとうのみやとの関係で名前が出てきていた人物です。舞台は新九郎が生まれ育った津軽半島の奥州十三湊です。

「太平記」の世界を二作書いて、じゃあそのときの東北はどうだったのか? という興味から始まりました。それともう一つ、一三二五年に十三湊で起こった「安藤氏の乱」が、鎌倉幕府崩壊の引き金になったという史実ですね。

─ 「安藤氏の乱」のことはこの作品を読んで初めて知りました。蝦夷管領職をめぐって同じ安藤氏の中で起きた争いと、その前後にあったアイヌの反乱とが絡み合った乱です。一般にはあまり知られていませんよね。

 日本の歴史教育が、いかに東北やアイヌを正当に評価できてないかということの象徴だと思います。僕も資料を読んでびっくりしたんですが、アイヌと元がアムール川流域で戦っているんです。元寇の三年後(一二八四年)に。元軍は、軍勢一万、船千艘を出してアイヌと戦った、それも何年もかけてね(一三〇八年まで)。アイヌはそれくらい戦闘能力があったんです。
 その原因になったのが、元が領有していた樺太からふと中部からアムール川流域にかけて住んでいたニヴフという人々。ニヴフには鷹狩りの名人がたくさんいて、鷹の羽根をアイヌに売っていた。しかしアイヌがもっと鷹の羽根がほしいと鷹狩りの名人たちをさらうという事件が頻出したようなんです。それが開戦のきっかけになった。なぜかというと、鷹の羽根が、鎌倉とか京都でものすごく高く売れたからなんです。

─ アイヌと元が戦っていたというのは意外でした。そのあたりのことも含めて、『十三の海鳴り』には当時のアイヌのことが細かく書き込まれています。アイヌと元が戦っていたことにも驚きますが、その原因に遠く離れた鎌倉や京都で鷹の羽根の需要があったからということもすごいですね。

 そうなんです。例えば、もっと昔、源義経の時代にも、能登半島沖の先端の珠洲すずというところでつくる珠洲焼が、日本海各地、北海道まで伝播しています。それぐらい日本海の交易というのは盛んだったわけですよね。
 実を言うと鎌倉末期に幕府を支配していた北条得宗家は、交易の大名だったんです。彼らの資金源は交易の港でした。全国各地の港を北条得宗領として押さえていたんです。そこから上がる経済的利益が財源になっていたわけですね。その中心が北方交易で、仕切っていたのが蝦夷管領職。それが安藤氏だったわけです。

─ 幕府の収奪が激しくなり、アイヌたちが抵抗を始める。安藤家の中でも嫡流をめぐって対立が表面化する。そこに幕府か朝廷かという問題がかぶさってくる。『十三の海鳴り』を読むと、当時の状況と「安藤氏の乱」が鎌倉幕府の崩壊を招いたという意味がよくわかります。しかし多くの日本人は知らないでしょうね。

 津軽に取材に行くと「安部さん、この津軽というのは八百年前までは日本じゃなかったんだからね」なんて言う人たちがいっぱいいるんですよ。何となく心の中に、我々は一般に知られている日本史とは違う歴史を持っているという意識があるんでしょう。半分は誇りであり、半分はコンプレックスであるみたいな形で精神の中にあるわけですね。それは太宰治とか葛西善蔵のような津軽の文学者の小説からも感じますよね。
 安藤新九郎の頃はもっとリアリティがあったでしょう。二百年ぐらい前までは独立国だったんだ、みたいな認識があったと思います。今は北条得宗家から蝦夷管領職を与えられているけれど、北条得宗家を倒して、昔の奥州藤原氏のような体制に戻すんだという思いを持っていた人たちは多かったろうと思うんです。

─ 安藤新九郎は、蝦夷管領職にあった安藤又太郎季長すえながの三男ですが、側室の子ということで本家とは離れた場所で育ちました。ところが次兄の死をきっかけに本家に呼ばれ、「安藤氏の乱」に巻き込まれていきます。しかし、父親とも距離があり、この乱を冷静に見ている。しかも一種の自然児のような奔放な人物ですね。

 新九郎のイメージは縄文人ですね。朝廷と幕府は、近畿地方の弥生人たちと、その文化に影響を受けた東国武士たちで構成されている。しかし、東北にはそれとは違う、縄文的な、原日本人的な人間たちがいたのではないか。新九郎をそういうキャラクターにしたいと思いました。
 弥生文化のように、土地を所有して農業を始めると、土地や水をめぐって争いが起きます。一方、縄文文化のように、海や山で獲物を追っていくなら、猟場を争わない限り、戦争する必要はないわけですよね。だから、おそらく縄文人たちは非常にのどかに共存していただろうと思うわけです。原日本人が住んでいた頃の蝦夷や東北はある意味でユートピアだったんじゃないかな、と思っています。

─ 新九郎は安藤氏内部の権力闘争をめた眼で見ていますが、それは争いに意味を見いだせないからなんですね。しかし、新九郎は父の命令で、次兄が殺された事件の真相を突き止めるべく動き始めます。前半は一種の捜査というか、ミステリー的な要素があり、その謎を解く過程でアイヌの村に入っていきます。

 アイヌの人たちはどういう生活をしていたのか。アイヌとの交易というのは何なのかというようなところを書きたかったんです。私自身も興味があったので。

─ 今、マンガとアニメで話題の『ゴールデンカムイ』(明治末期の北海道・樺太を舞台にした作品)よりも約六百年前の時代ですが、その頃すでに密な交流があったことが興味深いですね。和人もアイヌも対等な関係で、互いに利用し合ったりしながら、共存しているのも印象的です。

 そこが交易のおもしろさだと思いますね。農業だったら、あの畑の収穫はこれだけだというようなことがだいたい見えていますから、計略を発揮する場面はありません。交易は商取引ですから、それがどれくらいの価値を持つのかは交渉次第。騙し合いみたいな部分がありますよね。しかもアイヌは和人以外とも北方交易をしていますから、かなり経験を積んでいます。どこと組んだらいいものが仕入れられて、どこにそれを売れば高く売れるかを考えていたはずです。

次は九州南北朝の戦いへ

─ 『道誉と正成』『義貞の旗』『十三の海鳴り』を読んで感じたのは、大塔宮の存在の大きさです。後醍醐天皇の皇子で、楠木正成、新田義貞、安藤新九郎の三人ともが心酔するカリスマ性がある。後醍醐天皇はよく知られていますが、大塔宮について初めて知る読者も多いと思います。

 大塔宮護良親王もりながしんのうは、僕の「太平記」で、主人公たちが夢見る理想を体現している人物です。書いていて気づいたんですが、大塔宮は日本神話のヤマトタケルなんですよね。父帝のためにあっち行け、こっち行けと働かされたうえ、非業ひごうの死を遂げ、白鳥になって飛んでいく。最初はそんなに意識しているつもりはなかったんです。だけど、三作目まで書いてくると、「ヤマトタケルだな」と自分で発見したようなところがありますね。

─ たしかに父親である後醍醐天皇との関係を思うと、重なりますね。それで『十三の海鳴り』の中で、大塔宮が「神刀」を手にするエピソードを書かれたんですね。

 あと、もう一つは、僕が子供の頃に、田舎の年寄りたちが、懐良かねなが親王(後醍醐天皇の皇子で南朝の征西将軍)、良成よしなり親王(懐良親王を継いだ征西将軍)のことを語る語り口が強く印象に残っているというのも大きいかもしれません。それはまさに正成や義貞、新九郎たちが大塔宮に対するような尊敬を込めた語り方だったんです。

─ 大昔のことなのに、代々語り継いできた。教科書の中の歴史ではなく、身体を通した歴史を耳にされたんですね。のちに安部さんが歴史小説家になった原点かもしれません。ところで、その安部版「太平記」ですが、今後の予定はどうでしょう?

 あと十冊ぐらいは続くと思います。今回は北方を書いたので、次は僕のふるさとの九州を舞台にしたいと思っています。大原の戦い(筑後川の戦い)を中心にした、九州南北朝の物語です。そこには自分の先祖たちも出てくる予定です。

安部 龍太郎

あべ・りゅうたろう●作家。
1955年福岡県生まれ。図書館司書を務めるかたわら、90年に短編で日本全史を網羅した『血の日本史』でデビュー。著書に『関ヶ原連判状』『信長燃ゆ』『天馬、翔ける』(中山義秀文学賞)『恋七夜』『等伯』(直木賞・歴史時代作家クラブ賞実績功労賞)『平城京』『おんなの城』等多数。2015年、福岡県文化賞受賞。

『蝦夷太平記 十三の海鳴り』

安部龍太郎 著

10月25日発売・単行本

本体2,000円+税

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『婆沙羅太平記 道誉と正成』

安部龍太郎 著

発売中・集英社文庫

本体840円+税

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『士道太平記 義貞の旗』

安部龍太郎 著

発売中・集英社文庫

本体980円+税

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