[本を読む]
花に育てられた少女の数奇な運命
物語は、オーストラリアの海辺の街で暮らすアリスが、父に火を付けようと考える場面から始まる。彼女と母は父から毎日のように殴られる生活を送っているからだ。少しして、アリスは本当に火事が原因で父を失う。彼女が深く愛した母も一緒だった。
少女はその後、父方の祖母が経営する花農場で「花」たちに育てられる。「花」とは、オーストラリア固有種の花のこと。そして、農場で働く、悲しみをうちに秘めた女性たちのことだ。アリスはそれほどの時間をかけずに、花を通じて思いを伝え合う術(すべ)を知る。一方で、自分の出生にまつわる謎は、その後、長い時間をかけて知っていくことになる。
読んでいる間ずっと、ひとりの女性のことを思い浮かべていた。彼女は私の知り合いで、性暴力被害の「サバイバー」だ。そして花にまつわる仕事をしている。彼女ならきっと、小説に描かれたたくさんの花の名前から、私よりもずっと正確な連想をするのだろう。アリスが、花に手で触れて、香りを嗅(か)いで、見て覚えていくのを、彼女にも追体験してほしいと思った。彼女も、花と対話することで生きる道を取り戻した人だからだ。
彼女やアリスのように過酷な状況でなくても、人には人生の中で必ず、自分が生まれてきた環境を振り返り、なぜこのように育ったのかを確認する瞬間があると思っている。なぜ今、自分はこうしてこの地に立っているのか。過去にとらわれてはいけないけれど、過去をおざなりにしてもいけない。
アリスは何度か「私はここにいる」と繰り返す。物語の中でそう書かれるわけではないが、PTSDを発症した性暴力や虐待のサバイバーにとっては、「今ここ」にいると実感できるようになることが治療の目標のひとつとなる。「解離」と呼ばれる症状により、記憶や意識、感覚が希薄なためだ。けれど私は思う。サバイバーでなくても、「今ここ」に集中するのは、実は難しいことだ。五感を働かせ、そのかけがえのなさに気づいたときに、生はいつでも新しく始まるのではないか。自分を取り戻す長い長い物語の後にも、人生は続いていく。
小川たまか
おがわ・たまか●ライター