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四代に亘る家族 その秘密と赦し
もっとも身近なはずなのに、心の奥底まで辿りつけないのも家族。遠く離れていたのに、わずか一瞬で和解が訪れるのも家族。この世に生を享(う)けることは、家族という不可知な繫がりに身を投じることでもあるのだろう。
連作短編集『私の家』は、四代に亘(わた)る家族の物語なのだが、滔々(とうとう)と流れる大河が描かれるわけではない。流れのなかから掬(すく)い上げられるのは、澱(よど)みがち、沈みかけのものごと。むしろ、微細な折り合いのつかなさによって家族のありさまは織り上げられてゆく。
人口二万人に満たない川沿いの町。祖母の法要の日、中学校の体育教師だった祥子(しようこ)のふたりの娘が帰省してきた。次女の梓(あずさ)は、同棲相手と破局して東京暮らしを引き上げ、そのまま居候(いそうろう)を決めこむ。祥子は車にぶつかってきたシングルマザーの親子と交流をもち、夫の滋彦(しげひこ)は、解体寸前の家の主から山の絵をもらい受ける。ちょっと奇妙な日常を営む気丈な大叔母、道世(みちよ)……各人の視点による語りが提示するのは、家族という木の下に埋没している夥(おびただ)しい無言の存在だ。
物語は、家族が握る秘密の鍵束にも踏み込む。祥子は幼い頃、洗い張り屋を営む祖父母の家に預けられて育った。ある夏、訪ねてきた兄がしでかす不始末。父の葬儀以来二十年の音信不通ののち、恩讐(おんしゆう)を超えて新しい家族とともに姿を現した兄は風呂敷包みを携えていた。物語の終盤、その中身があたかも一本の赤い糸のように四世代を連結する情景は、きわめて鮮烈だ。
包みを受け取った祥子の、とっさの感得にひどく胸を突かれた。
「結局あたしたちは、後回しにされたものを受け取るのに精いっぱいだったってこと」
しかし、後回しにされた積み残しの荷物さえ、家族のあいだではおたがいを繫ぎ合わせる鎹(かすがい)になる――私は、読後にもたらされたふかい感情を「赦(ゆる)し」と名づけたかった。
『私の家』には、長い時間に降り積もった埃や塵まで生の証しとして呼吸している。
平松洋子
ひらまつ・ようこ●エッセイスト