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インタビュー/本文を読む

阿部泰尚『保護者のための いじめ解決の教科書』集英社新書

[インタビュー]

全く角度の違う方法で
子供たちを解放したい

代表を務めるNPO法人で毎月二〇~三〇件ものいじめ相談に乗り、いじめに関する探偵調査も行っている阿部泰尚さんの新刊『保護者のための いじめ解決の教科書』が刊行された。「被害者vs.加害者/学校/教育委員会」という対立図式に入り込んでしまうとき、第三者が介入しなければ被害者を救うことができない現実もある。いじめから我が子を守りたいと願う親にとって、その段階に応じて具体的にどのような対策が必要なのか、事細かくわかる一冊だ。

聞き手・構成=藁谷浩一/撮影=五十嵐和博

「モンペ」扱いされないために

─ 阿部さんは、いじめ解決を支援するNPO法人ユース・ガーディアンで日々相談を受け、また「日本で初めていじめ調査を受件した私立探偵」として、NPO法人が必要と判断すれば無償で探偵調査を行っています。

 そもそも探偵でいじめの対応をやるというのは想定外でした。ただ、「これはとんでもないことになっている」ということがあってやり始めて、結果的に無償化に踏み切ったという感じです。いつの間にか積み重なっていった、というのが本音ですね。ネットでは「いじめ専門」の探偵みたいに書かれたりするんですけど、それだけだったら僕、飯が食えないですよ(笑)。だから、ほかにも専門性のある分野が幾つもあった上でやっています。
 僕らが初めて探偵としていじめの相談を受けたのは一五年ほど前で、これまで六〇〇〇件以上の相談を受け、四〇〇件以上に介入してきました。そんな中で、実際に他の「いじめの専門家」に会ったり話したりすると、彼らがすぐに持ち出すのはいじめをなくすための「制度と仕組み」の話です。そういうことをみんな聞きたがるし、信頼する。ところが、現場では、そういった制度や仕組みはほとんど運用されず、無視されています。結局、制度や仕組みを使うのは人間です。現場の人間が、制度や仕組みを使い切れてなかったり、使うこと自体を否定していたりするのは大きな問題で、そういう現状を知って欲しいと思っています。

─ 本を読み進めると、学校への幻想や思い込みがどんどん崩されていきます。いじめが起きたら教育委員会に訴えれば何とかなるかと思っていたのですが、実態は全く違う。例えば校長が動かないときに明白な証拠をつけた意見書を何度も教育委員会に送って、それでも教育委員会から学校へ事実照会の連絡が行くのは四割程度……というくだりには驚かされました。

 学校側がちゃんとした情報を教育委員会に上げていないということもあります。そもそも教育委員会というのは学校の要請を受けて協力する立場にあるんです。だから自ら働きかける機能が弱い。校長が評価されるのは、学力診断テストで生徒がどれだけいい点数をとるかで、いじめの対策をしたかどうかは何の評価にもなりません。自分の出世を考えている校長は、いじめが起きたことで自分の評価が下がることを恐れますから、いじめについて報告しない。報告する場合も、「これだけいじめがすごかったけどうまく収まりました」という報告しかしないんです。教育委員会は、校長から「協力は必要ない」と言われるのがわかっているので、まず動こうとしないんです。

─ 学校に問題があったときに設けられる第三者委員会というのも、企業で問題があった場合とは違って、基本的に身内だけで固められるようですね。

 企業だと、株主もいますよね。つまり、ある件に対して利害が一致していない人たちもいて、そこにまた別の権力があるのでバランスが働く。学校の場合、教育委員会に権力が集中しがちで、第三者委員会も教育委員会が選任しますから、外部の目とはならない。教師と教育委員会はことを大きくしたくないという点で一致していて、教師はそれを知っています。例えばドラマだと、生徒が「教育委員会に言いますよ」と言ったら先生が黙っちゃうような場面もありますけども、現実は「ああ、どうぞ」と言われちゃいますよ。

─ 本の出だしから、モンスター・ペアレント、つまり「モンペ」扱いされないための対策が出てきますが、実際に現場ではその略語で呼ばれているのですか?

「モンペ対応」、あるいは「M対応」などというふうに、教育委員会や学校では隠語が使われていたりしますね。話し合いの中で学校から僕らに対して、「モンペ」とされる親への文句がワーッとあふれるように出てくることがありますが、社会常識と重ね合わせると、彼らの文句のほとんどは「なに甘いこと言ってるんだ」としか聞こえないレベルのものです。

─ 被害者の親にとっては普通の主張でも、一つ手順を間違えてしまうと、一気にモンペ扱いされてまずい事態になってしまう。そうならないために、例えば学校へのファーストコンタクトはネット上によくあるテンプレートどおりの「要望書」を出すのではなく、朝一〇時頃に電話をするのがいいなど、具体的なことが細かく書かれていますね。

「要望書」というのがネットには出てきますが、一般の人がそれを出すと、あまりにも強くなり過ぎちゃうんですよね。先生たちにしてみたら「責められている」と思い込む。実際、ああいう要望書を出したら、弁護士さんと提携している教育委員会とか市区町村だと、すぐに弁護士が飛んできます。教育の話じゃなくて、法律論の話になります。弁護士を雇っているのは教育委員会=学校ですから、もちろん学校の味方です。あの人たちはクライアントの最大利益を求めるのが仕事ですから、「じゃあ親を黙らせよう」という方向になってしまうんですよね。これは極力避けなければいけません。

─ 教師というのはどういう生き物で、学校はどういう生態系で動いているのかが本書ではわかりやすく描かれています。「学校の優等生信仰を甘く見てはいけない」という話で、部室に二人きりで他に誰も見ていないときに限って暴行するという「優等生」に対し、探偵のテクニックとテクノロジーでいじめの証拠を固めていく箇所は印象的でした。

 結局学校には、「こういう子はいい子」「こういう子は注意する子」という固定観念があって、「いい子」認定の子たちって、いろんなことを許されているんですよね。成績が良かったり、部活で活躍しているような学校に利益になりそうな子たちは、いじめをやっても隠されやすいから、より強固な証拠を集めていかないと、牙城を崩せない。保護者としても誰かに頼らないと、そこまで自力で証拠を固められないというのはありますね。

ロジカルに学校を責め過ぎがちなお父さん

─ 父親と母親では、学校への出方が違うということも描かれていますね。例えば父親の場合、男性としてのジェンダーが問題解決の妨げになっている側面もあるように思えます。

 途中からお父さんが出てくるケースで多いのは、お母さんと学校とのやり取りを何となく横で聞いて、妄想が膨らんで怒りが頂点に達してしまった場合。あるいは、「ロジカルに言っているのにうまくいかない」と相談に来るお父さんもいるんですけど、その場合はロジカル過ぎるんです。一般企業だと、クレームがきたらすぐ動き出さなきゃいけないけども、学校はそういうところではありません。「一般企業ではこうする」「社会常識ではこうだ」と、お父さんがしっかり調べ上げて行くじゃないですか。学校側からすると、息の根を止められるんじゃないかぐらいのロジカルなものがドーンと目の前に出される。そうすると、先生たちは思考停止に陥る。先生は社会の荒波に揉まれてない人が多いので、心を病んで出てこなくなっちゃうケースもあるんですよ。
 お父さんも徹底的にロジカルに行くなら行くで、カードをちゃんと切ってほしいんです。それも、一通りに出すのではなく小出しにすることが大切。先生が一つできたら褒めてあげる。逆に「自分の部下を育てる」ぐらいの感覚で、「じゃあ、次これ行ってみようか」みたいにやれるといいですね。

─ 阿部さんご自身も、「あっ、先生たちにはこういう感じで行っちゃ駄目なんだ」と思うようなきっかけがあったのですか。

 そうですね。学校だと会議をやっても、議事録がないんです。「いじめについての職員会議をやりました」とか言って、その職員会議は文科省の「いじめ防止対策推進法」に基づいた会議なんですけど、そこで何が話し合われたのかを引っ張り出そうとしても書類が出てこない。僕らは探偵だから徹底的に調べ始めるんですけど、どうやら議事録が本当にないらしい。ここは一般常識が全く通用しない世界だとわかりましたね。
 やっぱり社会人経験を積まないで先生になっている人が多いし、その欠けているところを責めるのは簡単ですよ。ただ、新任の先生にはこちらが育てるぐらいの気持ちで対応しないといけないところがある。しかも、あまり上から目線でやると拗(す)ねてしまうから、本人がわからないように誘導してあげる。成功体験をさせてあげることでちゃんとした先生になっていくというのが、僕もわかってきたんです。
 はじめはもう本当に責め続ける感じでした。学校を潰してやろうというぐらいの勢いで僕らも突っかかっていきました(笑)。次から次へ証拠を積み重ねるだけ重ねて、学校がどうしようもなくなったら教育委員会が出てきて、教育委員会もどうしようもなかったら、政治家などもうまく利用して、市長から教育長に話が行くように仕向ける。圧力をかけられた教育長が「ちゃんとやれ!」ってキレると、現場の教員はもうなにもできない無能状態になってしまって、そこに教育委員会から補助教員みたいなのが入ってくる……という感じでしたね。仕事柄、人脈はそこそこありますし、僕らじゃないとできないことは多かったと思いますが、やっぱりはじめの五、六年はただ責め立てることが多かったと反省しています。

「いじっていただけ」という加害者の論理

─ いじめの問題を考えると、大人社会の価値観の問題に収斂(しゆうれん)するのを感じます。いじめ加害者が「いじっていただけ」とよく言うようになったのは二〇一〇年代半ば、テレビのバラエティ番組の影響だと指摘されていますね。

 その頃から急に増えだしたという肌感覚はありました。学校に行くと、校長が、「いじめではなくいじりなんです」とか言ってくるんです。だから、僕は「それは加害者の論理で、被害者側からすればいじりはいじめなんです」と言っていたんですが、みなさん「いじり」という言葉で誤魔化して、悪質なマウンティングをするようになりましたね。

─ そもそもいじめというのは、大人の場合は犯罪だという記述もありました。暴力を振るえば暴行や傷害で、SNSでの誹謗中傷は名誉棄損、人の物を隠したら窃盗、壊したら器物破損。そうであるにもかかわらず、いじめは子供同士の問題だから、と軽(かろ)んじられがちです。

「子供だから被害が少ないし、すぐ回復するんじゃないか」みたいなイメージもあると思うんですが、それは本当に「幻想」です。子供のときのいじめに、実は大人になってからも悩み続けて、うまく社会に適合できずに収拾がつかない状態になっている人たちに、僕は何人も会ってきています。
 いじめの話を大人に置き換えると、例えば突然会社で見知った人に殴られてお金を取られた、会社に行ったら自分のデスクがなぜか廊下に置かれて「今日からそこで仕事しろ」って言われた、誰に話しかけても口をきいてくれない……。要は、組織の中でいきなり自分の存在が否定されるんです。子供がやられるクラス内の無視なんか、普通に大人が会社でやられたら鬱になると思うんですよ。だから軽く考えないでほしいですね。

─ こういう人に特に本書を読んでほしいというのはありますか。

 やっぱり読んでほしいのは、今、悩んでいる子たちと、その保護者たち。具体的な対策を中心にして今までのいじめ対策の本とは全く角度が違うものになったと思います。読んでもらえたら最悪の事態は避けられるはず。また、これから子育てする世代の人たちにも、心構えとして知ってもらいたいですね。
 あとは、学校の先生たち、教育関係者の人たち。本の中で彼らにかなり厳しいことを言っていますが、「読んで、批判してこいよ」と思っています。これだけ問題が起きていて、一探偵でもこのくらいのことをやっているのに、なぜ彼らは何もしないのか。やっていると言うなら、なぜいじめから子供を解放できないのか。教育関係者には、そこを考えてほしいなと思っています。

阿部 泰尚

あべ・ひろたか●NPO法人ユース・ガーディアン代表理事、T.I.U.総合探偵社代表。
1977年東京都生まれ。2004年、探偵として初めて子供の「いじめ調査」を受件。以降6000件以上のいじめ相談を受ける。著書に『いじめと探偵』がある。

『保護者のための いじめ解決の教科書』

阿部 泰尚 著

発売中・集英社新書

本体780円+税

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