青春と読書 本の数だけ、人生がある。 ─集英社の読書情報誌青春と読書 本の数だけ、人生がある。 ─集英社の読書情報誌

定期購読のお申し込みは こちら
年間12冊1,000円(税・送料込み)Webで簡単申し込み

ご希望の方に見本誌を1冊お届けします

今月のエッセイ/本文を読む

佐藤賢一 『ナポレオン 1 台頭篇』

[今月のエッセイ]

ナポレオンはフランス人か

 ナポレオンは何人(なにじん)かと尋ねれば、フランス人と答えが返る。当たり前だ。世に聞こえたフランス皇帝なのだ。ならば、ナポレオンの出身地はどこか。そう問いを続けると、これまた意外に知られた話で、コルシカと答えが返る。正解であるが、そこなのだ。ほとんどがコルシカと答えて、コルスとはいわない。ナポレオンの故郷は今日までフランス領で、フランス語ではコルスであるにもかかわらず、イタリア語でコルシカと発音されてしまう。
 無理もない。その地中海に浮かぶ島は、伝統的にはイタリアだった。コルシカ方言もトスカナ方言に近かった。つまりはフランス語でなく、イタリア語の方言だ。古代ではローマ帝国、中世からはピサ大司教、ジェノヴァ共和国と交替したが、コルシカを支配したのは常にイタリアから来る勢力だった。そういう言い方をすれば、イタリア領だったのだ。
 ナポレオン自身がイタリアの血筋である。後に「ナポレオン・ボナパルト」とフランス風に改めたが、それまでの名乗りはイタリア語で「ナポレオーネ・ブオナパルテ」だった。このブオナパルテ家の発祥地は、トスカナとリグリアの境界サルザナに求められる。一五一四年、ジェノヴァ共和国に雇われ、駐留軍の傭兵隊長としてコルシカに赴任した、フランチェスコ・ブオナパルテという男が先祖なのだ。「ナポレオーネ」も一家に受け継がれてきた名前で、意味は「ナポリのライオン」である。さらに遡(さかのぼ)る先祖はナポリから来たのか、ナポリから来た猛々しい男を婿に入れたのか、ナポリで一旗揚げた男がいたのか、いずれにせよイタリアで完結して、やはりフランスは出てこない。
 いつ登場したかといえば、一七六八年である。五月十五日のヴェルサイユ条約で、フランス王ルイ十五世はジェノヴァ共和国から、コルシカを二百万リーヴルで買いとったのだ。どうして売りに出されたかといえば、一七二〇年代からコルシカ独立運動が激しくなっていたからだ。一七二九年に「独立戦争」が始まり、一七三五年に「独立宣言」が行われ、手を焼いたジェノヴァは、それなら手放してしまえとなったのだ。かくてコルシカはフランス領コルスになり、その独立運動もヨーロッパ最強の軍隊に押し潰された。独立の指導者パオリが逃亡を余儀なくされたのが一七六九年六月、ナポレオンが生まれたのが直後の八月である。フランス領にフランス人として出生したことになるが、実際はどうか。
 父親カルロ・マリア・ブオナパルテが目端の利く男で、フランス人の総督に取り入り、息子を陸軍幼年学校の給費生として、フランスに送りこむことに成功した。ナポレオンは勉学に励み、パリの士官学校にも進んで、フランス軍の少尉になった。が、この若かりし英雄は、驚くほどコルシカ人なのだ。フランスで苦労するほど、コルシカ同胞の夢再びと、確信的な独立主義者に成長したのだ。軍で取れるだけの休暇を取ると、コルシカに入り浸る。フランス革命が勃発すると、いよいよ故郷にのめりこむ。体制の揺らぎは好機だ。今度こそコルシカの独立なるか。せめて自治なるか。そうやって興奮しながら、もうフランスでの軍務などそっちのけで、コルシカで政治活動に励むのだった。
 そこで失敗した。帰島していた指導者パオリに睨(にら)まれ、言葉通りに命まで狙われて、コルシカを離れるしかなくなった。独立の闘士たらんとする夢破れ、のみか故郷まで喪失して、絶望のナポレオンはフランスに逃(のが)れた。このとき今日からフランスでやっていかなければならないとは考えたろうが、今日から自分はフランス人だと思ったのかといえば、なお疑問である。むしろ意識的には無国籍、のみならず挫折感の反動から、もう国などいらないと吐き捨てたのではないか。コルシカが国にならないのなら、どんな国もいらないと。
 ナポレオンはフランスで将軍となり、第一執政となり、皇帝となり、それに留まらず他国を侵略して、ヨーロッパ大陸をほぼ征服してしまった。兄ジョゼフをスペイン王に、弟ルイをオランダ王に、もうひとりの弟ジェロームをウェストファリア王に、義弟ミュラをナポリ王につけ、自身はフランス皇帝にしてイタリア王なのだから、実質的なヨーロッパ統一である。世界帝国といってもよいが、いずれにせよ国の否定だ。フランスさえナポレオンには単なる権力資源、帝国を築くという己の野望を実現するための道具でしかなかったのだ。
 そこで腹心の外務大臣タレイランと対立した。この生粋のフランス人は、フランスを過度に疲弊させてまで帝国を築く必要はないと論じ、諸国による勢力均衡を唱えた。この対立が致命的だった。負けがこむようになると、ナポレオンはフランス皇帝を退位させられた。タレイランに、いや、フランスに捨てられたのだ。
 とはいえ、歴史として後から振りかえると、ナポレオンのときほどフランスが勝てた時代も珍しい。それをフランスの栄光にするためには、この英雄をフランス人のなかのフランス人にしなければならない。だからナポレオンはフランス人─それは死後に作られた神話、まさしく国民神話といわれるべきものかもしれない。

佐藤賢一

さとうけんいち● 作家。
1968年山形県鶴岡市生まれ。山形大学卒業後、東北大学大学院で西洋史学を専攻。93年『ジャガーになった男』で小説すばる新人賞、99年『王妃の離婚』で直木賞、2014年「小説フランス革命」シリーズで毎日出版文化賞特別賞受賞。著書に『傭兵ピエール』『双頭の鷲』『オクシタニア』『テンプル騎士団』等多数。

『ナポレオン 1 台頭篇』

【佐藤賢一 著】

単行本・集英社刊

8月5日発売

本体2,200円+税

購入する

  • twitter
  • Facebook
  • LINE

TOPページへ戻る