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書評/本文を読む

永江 朗

[書評]

ナツイチ作品を読む

 今年のナツイチ、私がまず手に取ったのは浅田次郎の『帰郷』。戦争の悲惨さは一様でなく、さまざまなかたちがある。空襲による市民の犠牲や、戦場での兵士の死だけが戦争の悲劇ではない。戦場から生還しても、不幸が待ち受けていることがある。『帰郷』は太平洋戦争を題材にした短編集である。六つの短編は、それぞれ主人公や舞台となる時代が異なっているが、登場人物たちが戦争で辛く悲惨な目に遭うところは共通している。
 表題作の舞台は敗戦から三か月経った東京。娼婦を相手に復員兵が自分の半生を語る。男は信州の豪農の生まれで、長男として大切に育てられてきた。親は手段をつくして男が徴兵されないようにする。しかし戦局が悪化すると召集令状が来た。妊娠中の妻と幼い娘を残してマリアナ諸島へと運ばれる。戦争さえなければ極楽のような島が地獄になった。「青い海が真っ黒に見えるくらいの敵が押し寄せてきて」隊は全滅。男はジャングルを逃げ回って生き延び、戦争は終わった。
 男は故郷に戻った。郷里の駅のプラットホームに降り立ったのだが……そこから男の地獄編第二幕が開く。

 次に私が手に取ったのは池井戸潤の『陸王』だ。役所広司主演のドラマに興奮&感動した読者も多いことだろう。
 埼玉県行田(ぎようだ)市の「こはぜ屋」は足袋づくりの老舗。和装市場が縮小の一途をたどるなか、座して死を待つよりもと新規事業に打って出る。それが足袋のノウハウをヒントにしたランニングシューズづくりである。しかしビジネスの世界は厳しい。彼らの前には多くの困難が待ち受けている。
 池井戸潤の小説の魅力は、骨太のストーリーと徹底した取材による細部描写である。この小説でも中小企業の生き残り策やランニングブームと走ることのメカニズム、さらには実業団スポーツの現状や企業社会の厳しさなどが描かれている。これぞ池井戸ワールドの集大成だ。
 さて、〈ほっこり〉した気持ちになりたいと思った私が選んだのは、荻原浩『海の見える理髪店』。家族をテーマにした六作からなる短編集だ。ほっこりだけでなく、涙腺のゆるい人はハンカチを用意して読もう。極めつきは表題作。さびれた街の不便な場所に床屋がある。遠方に住む語り手は、わざわざ予約してこの店を訪れた。老いた店主は主人公の髪を切りながら、これまでの人生を語る。東京の下町の三代目として厳しく育てられたこと、一時は成功して銀座に支店も出したこと。やがて酒に溺れ最初の結婚に失敗したこと、二度目の結婚で子供が生まれたこと。そして、ヒゲを剃るとき、剃刀(かみそり)を語り手の喉に当てた理髪店主は言う、「じつは私、人を殺めたことがあるんです」と。いや、ホラーではありません。ほっこりする直木賞受賞作。
 森絵都『みかづき』は学習塾を舞台に描く日本の戦後史。一九六一年、小学校の用務員室から生まれた小さな塾が、やがて大きくなっていく。塾は学校にはできないことができる。子どもたちも学校では見せない顔を見せる。しかも、学校と違って塾は営利企業でもある。教育と経営という、あまり扱わないテーマをうまいことまとめたのがこの小説の面白いところ。背景には半世紀のあいだに急激に変化していく日本社会がある。高度経済成長から成熟へ、そしてバブルとその崩壊へ。教育も変わり、子どもたちの環境も変わっていく。だが、伸びやかに育ってほしい、健やかに育ってほしい、幸福になってほしいという、子どもたちへの願いは変わらないはず。

 桜木紫乃『裸の華』を読んで、〈切ない〉気持ちになった。主人公はケガで引退した元ストリッパーのノリカ。心機一転すべく、故郷の北海道で店を始める。バーテンダーとダンサーを雇い、飲みながらダンスショーを楽しめる店。踊る側から、振り付け・演出し、店を経営する側になったノリカは、若いダンサーの成長を見守りながら、やがて自分もふたたび踊りたいという気持ちを抑えられなくなる。ストリッパーの内面や、飲食店の経営などについても細かく描かれ、なにより札幌の空気感がよく出ている。
 三浦しをん『光』は、小さな美しい島で育った少年と少女の物語。少年は少女を守るために罪を犯す。それは二人しか知らない秘密だった。二十年後、平穏に暮らす二人の前にあらわれた男は、その秘密についてほのめかす。元少年は元少女を守ることができるのか。サスペンス要素もたっぷりの長編小説である。

 山内マリコの『あのこは貴族』を読んだら〈すっきり〉した。東京・山の手のお嬢様と、ガリ勉して進学・上京した叩き上げ女子。まったく違う育ち方をした二人の人生が、一人の男を巡って交差する。貴族のようなお嬢様にも闇と悩みはあり、叩き上げ女子にも喜びはある。彼女たちは敵対関係? それとも同志? 魔都・東京はアラサー女子のエネルギーを吸収して肥大していく。
 瀬川貴次『ばけもの好む中将』は平安版シャーロック・ホームズ。舞台は平安京。ホームズ役は名門貴族の宣能(のぶよしで)ワトソン役が宗孝(むねたか)。宣能は眉目秀麗、頭も良く、家柄もいいのに、唯一の欠点が「ばけもの」好き。怪異現象が大好物なのだ。第一話は、御所の仁寿殿(じじゆうでん)に大量の血が残されているという謎の解明。はたして鬼の仕業かと恐れおののく貴族たち。宣能はビビる宗孝をお供に、ばけもの探索をはじめる。謎は簡単に解き明かされたかのように見えたが、その裏にはさらにどす黒い陰謀が……。もしかして、鬼より怖いのは人間?

 東日本大震災のあと、震災を扱った小説がたくさん書かれた。桐野夏生『バラカ』はそれらのなかで一番の問題作である。東日本大震災によって福島の原発は四基すべてが爆発。誰もいないはずの警戒区域で女児バラカが発見される。被曝したバラカは原発をめぐる大人たちの争いに巻き込まれていく……。作家の想像力は現実を超える。〈ドキドキ〉しながら読まずにいられない。いや、震災後を生きる私達にとって必読の書というべきだ。
 柚月裕子の『慈雨』は人情味たっぷりのミステリー。退職した刑事の神場(じんば)は妻と二人でお遍路さんの旅に出る。その直後、幼女の誘拐殺人事件が発生。その手口は彼がかつて担当した事件と酷似している。だが、十六年前の事件で彼が逮捕した男は有罪判決を受けて服役中のはず。四国を歩きながら過去のさまざまなシーンが思い出され、現在と重なっていく。神場は携帯電話で後輩にアドバイスを与えながら事件解決に導いていく。
 ギヨーム・ミュッソ『ブルックリンの少女』はフランスでも大ベストセラーになったミステリー。婚約者の失踪、焼死体の画像、やがて明らかになるもう一つの事件。果たして婚約者の正体は?

 探検家でノンフィクション作家の高野秀行と歴史学者の清水克行による対談『世界の辺境とハードボイルド室町時代』は〈なるほど!〉と感心する話がたっぷりだ。高野が見てきた現代アフリカと、清水が専門とする日本の室町時代には、驚くほど共通点があるというのだ。たとえば泥棒についての扱い。アフリカでは泥棒を捕まえるとリンチにかけてしまう。悪くすると犯人が死んでしまうほど。警察すら止められない。日本の中世でも、盗みの現行犯は殺してもいいというのが庶民のルールだった。法で禁じられているが法律とは違う民衆のルールがある。
 インテリアや生活雑貨、アートに関心がある人には、原田マハ『リーチ先生』をおすすめしたい。濱田庄司や河井寛次郎とともに、民藝運動の陶芸をリードしたイギリス人作家、バーナード・リーチの伝記小説である。来日当初はエッチングの工房を開いていたリーチだが、柳宗悦らとの交遊を重ねるうちに陶芸を知り、自分の窯を開くまでになる。工房が全焼するなどの困難も超えて独自の陶芸を完成。やがてイギリスに帰国後は窯を開き、のちの世代に大きな影響を与える。

永江 朗

ながえ・あきら●書評家

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