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あぁ、好きだなぁ。 この無鉄砲さ。このバンカラさ。そして何よりも、この心身の真っ直ぐさが。 「えーと、それではぼくたちは怪獣を探しに行こうと思ってます」 本書は、こんな魅力的な一行から始まる。 さすが、その蛮勇!? で名高い早稲田大学探検部。怪獣探しという突飛な提案にもかかわらず、「乱れ飛んだ文句(?)」が、「本当にそんなところへ行けるのか?」「資金はどうするのか」「入国の許可はとれるのか」だった、というのが、いい。何を馬鹿な、と一笑に付さないところが、いかにも早稲田大学探検部だ。 怪獣の名は、通称コンゴ・ドラゴン、本名モケーレ・ムベンベ。ヨーロッパの文献にも早い時期から登場しており、20世紀に入ってからも、複数の探検隊が目撃しているという。その目撃談からすると、浮かび上がって来るのは、ネス湖のネッシーのような恐竜像である。 そのムベンベに魅せられた探検部2年の高野秀行が仲間を募り、怪獣探しの夢に乗った仲間3人が集まった段階で、部内の恒例ミーティングでの宣言、と相成ったのだ。 怪獣探しは、ミーティングの翌年、1987年、「コンゴ・ドラゴン・プロジェクト」として、正式に発足する。 当時、日本とコンゴでは、民間レベルでの交流さえなく、情報収集につとめるも「サハラ砂漠、リビングストンなどの探検家の生涯、ザイールやアンゴラの内乱とかに詳しくなるばかり」。コンゴそのものについての日本語の情報は皆無に等しく、ならばせめて言葉だけでも、と現地の言葉リンガラ語を学ぼうにも、そもそも在日コンゴ人を探すことから始めなければならないのである。 「池尻の定食屋でコンゴ人学生がアルバイトをしているという未確認情報を得て、夜の池尻を走り回り、飲食店をしらみつぶしに探したこともあった。」 何故に池尻? 何故に定食屋? と思わないでもないが、それでも、コンゴ人学生を探して、むくつけき野郎ども(失礼)が、夜の池尻を右往左往しているところを想像すると、じんわりと可笑しさが込み上げて来る。この、いい意味での、“思いこんだらまっしぐら”な姿勢が、彼らをコンゴの奥地、テレ湖まで導くのだ。 遅々として進まぬ情報収集に業を煮やした高野は、87年の6月、衝動的に部室の連絡ノートに太いマジックで書きなぐる。 「オレは夏休みにコンゴへ行く。費用は40万、一緒に来たい奴は誰でも来い」 この、「一緒に来たい奴は誰でも来い」という豪快さがいい。この時の一カ月にわたるコンゴ生活で、リンガラ語をかなりおぼえ、翌春の本隊遠征を実現可能にしてしまう行動力は、この豪快さに支えられたものだと思う。 高野はこの遠征で、マラリアに罹り、「一時は死ぬかと思ったり」もするのだが、「初めてのアフリカでマラリアの偵察もできるとは、おれはついているにちがいない」と思うのである。ついているのか? と思わないでもないが、“探検家”たらしめているのは、この前向きな楽天性にあるのだろう。 かくして、本隊は、88年の2月20日、コンゴに向けて旅立つ。隊員は、隊長の高野以下、探検部の部員9名。そこに、社会人の“未知動物研究家”である高林、駒澤大学探検部OBの野々山が加わった、総勢11名の目的はただ一つ、「怪獣探し」だ。 コンゴ到着から、テレ湖への行軍、さらには、未開の湖であるテレ湖でのキャンプ生活、さらには、目的であるムベンベとの遭遇が叶ったのかどうか、は、実際に本書を読んでみて欲しい。次々と襲うアクシデント、したたかな現地人との丁々発止のやりとり、等々、読みどころ満載である。 読み手によってハマるツボはそれぞれあると思うのだが、私が何よりもいいなぁ、と思うのは、この探検記の執筆者である、遠征隊の隊長高野の、何事にも動じない、でん、と構えた大らかさ、だ。 勿論、彼なりのいら立ちや悩みも描かれてはいるのだが、探検部内で“極楽トンボ”の異名をとる、彼の生来の陽性さが全編を覆っているのである。内容はハードな探検記でありながら、どこかじわりと可笑しく、スラップスティックな味わいを醸し出しているのだ。 さらにさらに、食べ物に対する彼の偏見のなさがいい。カワウソを食し、ニシキヘビを食し、オオトカゲを食し、野生のゴリラを食す。郷に入っては郷に従え、とばかりに、「食わず嫌い」をしないところが、読んでいてすごく気持ちがいい。 アナログかもしれない。泥臭いかもしれない。だけど、こういうタイプの若者たちの無鉄砲さは、いつの時代にもあり続けて欲しい、と思う。 探検よ、永遠なれ! |
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