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(1)本誌巻頭の詩のタイトルに「詩の擁護」とありますが、どうしていま「擁護」なのでしょう。 小説って基本的に人間の業を書くものでしょ。もう業にはみんな飽き飽きしてるんですよ。自分も業をもってるし他人も業だらけだし、業をリアルに書いて、オレは人間性をここまでわかってるよって威張ったって、それは人間の未来には繋がらないよ、というのがぼくの考えですね。未来に繋がるのは幸せ、ハッピーしかない。詩は、「本当は人間は幸せだ」という方向にいかないといけないんじゃないかな。 (2)谷川さんの詩には、アクロスティック(行頭の文字をつなげて、ある言葉にする技法)のような、言葉遊び的なものが多い気がしますが……あれは? ぼく、詩に形が欲しい人なんですよ。形がないと垂れ流しになるという感覚があって。形から入るという意味では、たぶん、職人的なんだと思う。言葉の芸術家って、やむにやまれぬものがあって、形なんか吹っ飛ばしてほとばしるように書くというところがあるわけでしょ。うんと若い頃は別として、そういう書き方って、ほとんどしないんですよ。 (3)歳をとって、ほとばしるものがなくなってきたということではなくてですか。 初めからほとばしっていないんです。一つには、自己表現みたいなものをあまりしないで済むくらい充足して生まれ育っているということがありますね。母親に100パーセント愛されて、その後も女性たちに愛されて(笑)、恨みつらみがないんですね、この世に。 その分、幸せも過剰にならない。すべてに対して、パッション、情熱が足りないんだと思います。パッションって、受苦、受難でしょ。ぼくは苦しんでいないおかげで情熱もないんじゃないのかな。武満徹なんか、若い頃すごいパッションがあって、こいつ、人を殺すかも知れないという危険さがありましたよ。ぼくには、そういう危険さがなくて、あるバランスのもとで生きていきたいというところがありますね。 (4)詩を書くときは頭の中に詩の調子で言葉が流れてくるのか、それともなにか参考にしているものがあるのですか。 参考にしているものは全然ないし、頭の中にもなにもない。というか、頭の中を空っぽにしないと詩の言葉が浮かんでこない、生まれてこないんですね。若い頃のことはよく覚えてないけれど、いまはパソコンの前に坐って、自分を空っぽにするべく精神を集中している。でも、これがけっこうむずかしくて、人間って、つい頭の中に邪念が渦巻くじゃないですか。だから、たとえば詩のテーマをもらっていても、テーマのことなど一切忘れ、自分の理性も捨て、できるだけ自分を空っぽにして待っている。それで、運がいいと最初の一行、あるいはどこかの一行がポコッと出てきて、それを実際にディスプレイで客観的に見ていると、そこからいろんな連想が働いてくる。 詩の最初の生まれ方というのは、いまだに昔ながらのインスピレーションですね。 (5)幸せなときと、ショックなことがあったとき、どちらの方がいい詩が書けますか。 いい詩というのは、自分では判断しにくいんですけどね。自分ではよく書けたと思っても他人は全然いいといってくれないこともあるし、自分では駄作と思ったものが誉められたりするから。ぼくの場合、幸せかどうかというのはあまり関係ないような気がします。ただ、すごい落ち込んだときに詩を書いて気持を少し引きずり上げた経験はありますけどね。といって、幸せだから詩がつまらなくなるとも思ってない。 それについては音楽と比較すると面白いんだけど、武満徹と湯浅譲二という実験工房をやっていた作曲家は二人とも、夫婦喧嘩してるときには絶対に曲は書けないっていってました。音楽ってそういうものなんですね。ぼくは夫婦喧嘩してるとき、けっこういい詩が書けたんです。小説もそうだと思います、島尾敏雄さんの『死の棘』なんかその代表みたいなものですけど。 でも幸せなときにも詩を書く。というより、詩人には不幸なときにも幸せな詩を書く責任があると思ってます。 (6)詩の中で子供にとくに伝えたいということはありますか。 ぼくは「伝えたい」という発想は、詩を書くときにはあまりないんです。最近、「この詩のメッセージはなんですか」って訊かれることがけっこう多いんですけど、これは学校教育の弊害ですね。詩にそういうものを求めるのは、それで詩を要約してしまいたいからです。「この詩は愛を大切にしたいといってんだよ」って。でも詩というのは、味わいというのが一番のもとだから、細かいところを味わってもらわないと意味がない。テーマとかメッセージであれば詩にする必要はなくて、ちゃんと正確な散文で簡潔に伝える方がいいに決まっているわけでしょう。 だから、子供に伝えるというのではなくて、子供の前になにかおいしそうなお菓子を出して、子供が食べてくれればうれしい、というのがぼくの基本的な態度ですね。いかにおいしいものを作るか、そういう苦心なんです。それに、おいしさってのがけっこう複雑でね。ただ簡単に塩辛いや甘いでは済まないわけでしょ。本当においしいものは複雑だから。詩もそういうふうに受け取って欲しいなと思って、書いてます。 (7)最後に、これからやってみたいことは? 本当にエロティックな詩を書きたいとずっと思い続けていて、たとえば、堀口大學なんかが晩年けっこう書いているし、最高なのは金子光晴の『愛情69』。あれに匹敵するエロティックな詩を書きたいと思ってるんです。でも、これがなかなかむずかしい。エロスって、言葉にならない、言葉を超えたものなんですよ。金子さんも古今東西のいろいろなエロティックなものに託して書いていて、それがすごい面白いんだけど、ぼくは、もう少しじかにエロスというものに迫りたい。つまり言葉が破綻するような形で迫りたいんですね。 ときどきそれが発作的にうまく書けるとすごくうれしいんですよ、自分の殻を破ったみたいで。
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プロフィール
1931年東京都生まれ。 詩集に『日々の地図』(読売文学賞)『シャガールと木の葉』『谷川俊太郎詩選集』(全3巻)等。 |
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