青春と読書
 かねてよりビルドゥングスロマンというものに興味があった。
 一般的に、「教養小説……主人公の人間形成の過程を描いた長編小説」と訳されているが、私は「成長小説」と解釈している。そして、これこそが物語の原型ではないかと思っているのである。
 かつての物語は、大抵主人公がどういう環境で生まれ、どのように育ってきたかが事細かに語られていた。いきなり大人になったところから始まったりはせず、古典のほとんどが、主人公の成長を描くことに費やされてきたのである。なぜならば、人間の成長、それは永遠に人を感動させるテーマだからだ。
 田中啓文の新作は、なんとこのビルドゥングスロマン、しかも題材は落語であり、ミステリ仕立てだというのだから驚きだ。
 章のタイトルも「たちきり線香」「らくだ」「時うどん」「平林」「住吉駕籠」「子は鎹」「千両みかん」と古典落語の演目になっており、かつての学校の担任から落語家の弟子になることを教養ならぬ強要された青年が、高座に上がるようになるまでを追っていく。
 田中啓文と言えば、粘液系(と私が命名した――つもりだが、誰かが先に言ってたかも)SF(含む、伝奇&ホラー)作家として知られている。頼まれてもいないのに過激なギャグと執拗な駄洒落を盛り込み、登場人物は理不尽な事情で(大抵は、常識では理解不能の凶悪な登場人物によって)殴られたり泥酔したり怪物に襲われたりして、文字通り血や粘液や排泄物にまみれ、完膚なきまでに破壊される羽目になる。
 この『笑酔亭梅寿謎解噺』も粘液系であることには変わりない。師匠である梅寿は意味もなく気まぐれに暴力を振るうし、酒を飲んでは他人に迷惑を掛けまくる。師匠の息子は主人公がヤンキー時代にさんざん追いまわされた刑事であり、出てくる人物は皆、口より先に手が出るか、もしくは凄まじい毒舌で他人を攻撃するかという狼藉者ばかりである。
 だが、この連作では、登場人物が壊れていれば壊れているほど、落語という存在の大きさと恐ろしさが際立つ。作者はやたらと破壊しようとするけれど、それは落語という存在があまりにも巨大だからなのだ。もはや、壊すことすら難しい、それが古典という存在なのである。
 この作者は、とにかく生真面目だ。狂気にも似た露悪的なギャグには使命感すら感じる。SF作品の場合、それが目くらましとなってなかなか見えてこないが、この作品にはミステリ仕立てのせいもあって、論理的な解決を図る際に、作者の本質である、古典に対するストイックなまでの敬意が透けて見える。作者はジャズマニアでも知られているが、そもそもSFにしろジャズにしろ、古典を研究し、模倣し、消化し、破壊することが運命づけられている。現在の場所にとどまることを許されぬ、進化し続けなければ意味のない、実に厳しいジャンルなのである。だから、同じく巨大な芸術である落語をテーマとするこの作品の中に、ジャズプレイヤーが登場するのは決して偶然ではないのだ。
 主人公の青年が「新しい笑い」を追求したつもりで考えた新ネタ「ヘイ、タクシー!」が、師匠に「おまえ、あれは『住吉駕籠』と同じ噺やないか」とあっさり看破されたり、お笑い系ライブハウスでふらっとステージに上がりこんだ師匠が、スタンダードな古典落語を演じただけなのに、落語など見たことのない全ての観客を引き込んでしまうところなどに、「古典とは何か、新しいとはどういうことか」という作者自身の探究心を感じる。そして、その模索の過程がそのまま主人公の成長に重ねられているのだ。漫才コンビの相方とうまくいかず、一人で漫才をやるはめになったチカコという少女の設定も興味深く、主人公と彼女のやりとりに作者の思考の過程が託されているのも読みどころだ。
 それにしても、つくづく落語と本格ミステリは相性が好い。落語には、見立てや題材の組み合わせなどに、一種不条理で、シュールなところがある。サゲに向かって伏線を張り、観客を一つの方向に誘導し、最後のひとことでアッと驚かせ、腑に落ちさせる。世界は反転し、客の先入観を鮮やかに引っくり返してみせる。そこが非常にトリッキーであり、真相のために全てを構築する本格ミステリと似たところがあるのだ。
 もっとも、この作者の場合、落語のサゲには駄洒落が多いという理由が大きかったのではないかと密かに疑っているのだが、どうだろう。
(おんだ・りく/作家)


【田中啓文さんの本】

『笑酔亭梅寿謎解噺』
単行本
集英社刊
好評発売中
定価:1,890円(税込)





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