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私の夢見る地獄と恐れる天国は同じもので、ならばあっさりと夢見る天国に恐れる地獄といえばいいのに、それはできないというためらいと意地とがある。 ちなみにこの原稿を書いているのは天国でも地獄でもないが、異郷だ。夜の韓国はソウルに、たった一人でいる私は、本当にたった一人なのに、地獄にいる私と天国にいる私とどこにもいない私とがいる。 これを書いている今は大晦日で間もなく新年が来るというのに、岡山にいる別れた前夫の元にいる子供達にも会えず、東京にいる二度目の夫となる彼とも何日も前から喧嘩ではないが気まずい関係になっていて、正月休みに会えるかどうか確かな約束は一つもできていない。 ソウルには一人の友達も知人もいないから、ご飯を食べたらホテルの部屋のベッドに寝転んで、そう、たった一人で衛星放送の紅白でも観ながら眠るしかないのだ。もちろん、そんなふうに一人で大晦日や元日を過ごす人は少なくないことくらい想像はできるし、だからといって彼らがみんな可哀相で淋しくて不幸だなどと、そこまで決め付けるほど傲慢でもない。 私は見方によっては一人で気ままにのんびりと、ちょっと贅沢に大晦日や正月を海外で過ごせる羨ましい人、でもあるのだ。自慢でも見栄でも媚でも自虐でもなく、ただ素直な現実として、私は思い立ったらすぐに海外へ飛べるだけのお金と休暇は捻り出せるし、あれこれ要らぬ心配もせずさっさと行動できる。 何より、子供達には事情があっていつでもは会えないが、ずらした正月休みにならひっそりと会えるし、気まずくなったとはいっても、東京にいる彼が私から完全に離れていってしまうことはないのだと確信もしている。 改めて私は、夢見る地獄と恐れる天国とが好きだ。だから書くものもすべて、そんな物語になってしまう。主人公にも脇役にも、そんな役割を強いる。 中でもこの『悦びの流刑地』は、最高で最悪な天国と地獄とが開示されていると自負している。私が何よりも憧れる花園があり、どこよりも恐れる理想郷がある。愛することは憎むことで、恋われることは見捨てられることだと信じている私の分身ばかりが登場するのだから。 たとえばあなたは誰かと二人きりで、無人島なり獄舎なり座敷牢なりに閉じこめられるといった、出口のない夢を描いたことはないだろうか。どこか淫猥な悦びに満ち満ちた、悪夢にときめいたことはないだろうか。 この場合、独りぼっちよりも二人きりの方が、より地獄と天国は色鮮やかになり、逃げられない感も強まり、孤独も一層増すというのは、わかっておいてほしい。ともに閉ざされる誰かが、憎む相手や無関心な相手であることよりも、愛する相手である方が、さらに刑期は延びるし恩赦も遠ざかるというのもまた、知っておくべきだ。 いや、一度でも天国と地獄とについて思いを巡らせた人ならば、私がいうまでもなくわかっておられることだろう。 ところで何故に私は今、ソウルにいるか。私にとってソウル、韓国には特に深い関わりも意味もない。思い立ったらすぐ、航空券さえ取れればビザなしで2泊ほどして帰ってこられるといえば、韓国か台湾しかない。それだけだ。 思い立った時の私は、東京よりも寒い街に行きたかった。台湾は暖かく、韓国は寒い。だから、後者を選んだ。直前まで私は、常夏のベトナムにいたのだ。 ベトナムもまた憧れの地獄で恐怖の天国だったのだが、それはここで書くべき物語ではないので割愛するが、ともあれ私は『悦びの流刑地』でそんな悪夢の理想郷を描いた。少なくとも、作者である私はそう信じている。 ――今私は携帯用のワープロを持って、ロッテホテルのバーにいる。新年へのカウントダウンが始まる。一人で飲み続ける女は、さすがに珍しいらしい。相手をしてくれるバーテンダーは、一度だけ寝た覚えのある東京の男に少し似ていた。少し似ているというだけの異国の男と、年越しをする。まさに今、私は悦びの流刑地にいる。 |
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プロフィール
岡山県生まれ。 『ぼっけえ、きょうてえ』で山本周五郎賞と日本ホラー小説大賞をダブル受賞。著書に『邪悪な花鳥風月』『チャイ・コイ』『猥談』等。 |
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