人が暮らすということ 中沢けい マンションや団地などの集合住宅に暮らす人が『ピロティ』を読んだら、なるほど、なるほどと頷くか、もしくは、そんな風になっていたのかと感嘆することだろう。『ピロティ』は退職を決めたマンションの管理人が、次の管理人候補者に引き継ぎをする一日を描いている。現在の管理人が、管理業務について説明する独白で進んで行くので、読んでいるほうも、自分の住んでいるマンションを案内してもらっているような気がしてくる。集合住宅には、居住者もめったに見ないような様々な場所があり、仕組みがある。それでエレベーターも異常なく動けば、水道もガスも使えるようになっている。 これまでこんなに丁寧に集合住宅を描いた小説を読んだことはない。丁寧に描いているだけではなく、仕事の手順を説明する言葉に温かな愛着が籠もっているのは、それが建物と建物に住む人の世話をする管理人が発する言葉だからだ。手をかけて守っているものには自然に愛着が籠められる。 マンションの管理人は長屋の大家さんのようなものだという表現が出てくる。長屋には人情があるがマンションには人情がないと言われる。ほんとに長屋に人情はあって、マンションに人情はないのか。人の住むところにはちゃんと人情はある。長屋にあってマンションになかったのは人情ではなく、そこに人が住むためのリアルな言葉と、リアルな言葉を生み出すための時間だ。後任の人物に業務を説明する管理人の言葉には、そのリアルな時間の感覚がたっぷりと含まれている。 表題の「ピロティ」は壁がなく柱だけの開放空間をさす言葉で、集合住宅や学校などでは共有スペースとしてよく見かける場所だ。『ピロティ』を読み終わった時、管理人ではなく「管理人さん」と呼びたくなってしまうのは人情だろう。 (なかざわ・けい/作家) |
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『ピロティ』
定価:1,365円(税込) ![]() |
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