青春と読書
 今度、集英社で『ロシアン・ルーレット』という本を出版する運びになった。ぼくとしてはかなりの自信作である。読んでいただければ幸いです。
 ということで――ありがたいことに恩田陸さんに推薦文をいただいた。だれよりも忙しい方なのに申し訳ない、と当方としては恐縮することしきりなのだが――さすがに恩田さんで、あれは「私小説」ではないか、と鋭い指摘を頂戴した。
 もちろん『ロシアン・ルーレット』は徹頭徹尾フィクションである。通常の意味での「私小説」などでは全然ない。なにしろ幽霊は出てくるわ、悪徳刑事は出てくるわ、異常者は出てくるわ……で、だれが読んでも、フィクションとしてしか読めないはずなのだが――にもかかわらず、これが「私小説」である、という恩田さんの指摘は、多分、正しい。
 ぼくは小説を書き出したとき、情念のおもむくままに書いても、それが自然にジャンル小説になってしまうことに呆れたものだった。SFになり、プラモデルのような冒険小説になり、ミステリーになってしまう……ぼくという人間はどうやら自分自身の「物語」を持っていないらしい、何を書いてもジャンル小説になってしまう、とそう思い込んでしまったのだが――どうやらこれは大いなる勘違いだったらしい。
 ぼくの母方の祖父は大工だったが、多分に詐欺師めいたところがあった。それもじつに無意味な、何というか、ショーもない詐欺師だったようだ。
 ぼくが憶えている(といっても、母から聞いて憶えているにすぎないのだが)祖父の詐欺に「河童の掛け軸」詐欺がある。
 祖父は二つの掛け軸を持っていたのだという。二つとも同じ風景が描かれている。ただし、一つの掛け軸はその風景のなかに河童が遊んでいて、もう一つの掛け軸は無人であるという違いはある。
 祖父は道路から窓越しに見える場所にその掛け軸をかけた。天気の日には、河童が遊んでいる掛け軸を――雨の日には、河童のいない掛け軸を――来る日も来る日も――そしてついにある日、カモがかかった。
 いつも道を通りかかる人が、我慢できなくなったのか、雨の日には河童はどこに行ってしまうのですか? と訊いたらしい。
 ――あまりにこの掛け軸が名画であるために河童に命が宿った……多分、祖父はそんなようなことを言ったのだろう。そのために雨が降ると、河童は掛け軸を抜け出して遊びに行って、天気になると戻ってくる……
 もちろんカモは非常に驚いた。それは驚くだろう。ぼくだってそんな話を聞かされればのけぞって驚いてしまう。あまりの馬鹿ばかしさに。
 ところがカモは祖父を拝みたおすようにしてその掛け軸を大金をはたいて買ったのだという。カモがカモたる所以である。しかし、それが真っ赤な嘘だということはすぐにバレてしまう。それはそうだろう。そんなものは雨が降れば一発で嘘だとわかってしまう。
 ――何であんなすぐにバレるような嘘をついたのか。
 と周囲の人間は不思議がったというが、ぼくには祖父の気持ちがよくわかる。
 要するに祖父は思いついてしまったのだ。思いついてしまった以上、試さずにはいられない。後先のことなど考えてはいられない……理屈ではないのだ。とにかく思いついてしまった嘘はつかずにはいられない。そういうことだったのではないかと思う。
 まさにぼくがそのとおりの人間なのである。ショーもない一族のショーもない血が伝わってしまった。ぼくの本性は、ホラ話を吹く人間なのであって、それ以上でもなければそれ以下でもない。そうであれば、自分のことを書いてもそれが自然にフィクションになってしまうのもやむをえない。
 しかし、ぼくが自分のことを書いたのはデビューしてから5年ほどの間のことだった。それ以降は意識的にジャンルに寄り添う作品を書くようになった。
 人は永遠に「私小説」を書いては生きられない……
 しかし、ぼくはどうやら、歳をとって子供に戻ってしまう、というあのタイプの人間であるようだ。
 気がついたときにはまた自分のことを書くようになっていた。それも若いころよりさらに奔放に自分のことを書くようになったらしい。その作品がエンターテインメントであることに変わりはないが、ジャンルの枠を壊してしまうのを辞さないようになった。
 多分、河童は戻ってきてしまったのだろう。30年かけて戻ってきたのだから、これはもう、ぼくという作家は何の進歩もない、と言わざるをえないわけなのだが――それが何よ。
 ぼくは自信を持ってこう言いたい。山田正紀は何も進歩していない。だからこそ『ロシアン・ルーレット』はおもしろいのだ、と――


【山田正紀さんの本】

『ロシアン・ルーレット』
単行本
集英社刊
3月25日発売
定価:1,890円(税込)

プロフィール

やまだ・まさき●作家。
1950年愛知県生まれ。
82年『最後の敵』で日本SF大賞、2002年『ミステリ・オペラ』で日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞をW受賞。著書に『渋谷一夜物語』等。


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